第492話
視点を足元に固定していると……背けることは敵わないとばかりに黒い靴を履いた細い足がカットインしてきた。
「いつまで頭を下げてるのよ。シェーナならもういないわよ?」
「いえ……まだお嬢様が残られてるので。そんな……頭を上げるなんて……私にはとてもとても」
「立場を理解するのはいいけど、私の意を汲まなくてどうするのよ? 状況ってあるでしょ? 分からない?」
分かりません、今どういう状況ですか?
「早く顔上げてよ、話しにくいでしょ? 馬鹿ね」
言うだけ言って対面にあるソファーにドサッと腰を降ろすお嬢様ことハーフツイン。
渋々と顔を上げると……不機嫌そうな顔のお嬢様が、足を組みソファーの肘掛けに肘を乗せて頬杖をついてるところだった。
「……何?」
そりゃこっちの台詞やろがい。
「いえ、何も……」
……おめーが顔上げろって言ったから上げたんじゃねえか――――とは言うまい。
お嬢様の装いは、当然だが鯨の胃の中とは変わっていた。
黒系のスカートに白系のシャツという大まかな部分では同じだが、
ハーフツインに結った髪型に変化はないが、髪飾りが黒いリボンで、鯨の胃の中では香ることのなかった甘い匂いまで漂っていた。
……好きな色は白と黒で間違いなさそうだなぁ。
俺の服も上下共に黒のズボンと長袖のティーシャツなので、もしかしたらローブに合わせてくれたのかと思っていたのだが……下手したらお嬢様の指示である可能性も出てきた。
相手の格好を見ていたのは俺だけじゃないようで……お嬢様は俺の姿を上から下までジロジロと睨め付けると言った。
「貴方……似合わないわね?」
「お嬢様は大変お似合いで……」
「当たり前でしょ? ……というか、いつまで見下ろしてるつもり? 下がりなさいよ」
「ハッ! それでは失礼します」
これ幸いと一礼して、急がず……しかし流れるように扉へと足を進めた。
「待ちなさい。何処に行くのよ?」
夢は外へと繋がる扉の一歩前で潰えた。
くっ……! あと少しだというのに……!
せめてもの抵抗とお嬢様に言い訳を投げる。
「いえ……下がろうかと……」
「はあ? どう考えてもそんな意味なわけないでしょ? 私は、見下ろさないでって……ああ、もういいわ。座って」
誤解しようがない程に、お嬢様は対面のソファーをクイッと指差す。
……シェーナさああああん! ここ! クソガキここやで! はよ見つけてや?!!
何処ぞのお姫様と違って冗談が通じそうにないから言わないけど……。
渋々と対面のソファーに腰を降ろすと、不機嫌そうなお嬢様の視線とまたもぶつかる。
……嫌だなぁ、こう……特に何もしてないのに相手の機嫌によってピリピリの対象にされるの。
誰かとケンカでもしたんだろうか? そういうのは本人に言ってくれって思うよ……。
また口を開いて不興を買うのも嫌なので黙っていると、お嬢様の方から話し掛けてきた。
「……なんか想像よりも随分若いわね?」
「あ、よく言われます」
「声も違うし」
「あのローブの効果でして……」
「ふーん……歳は?」
「十五です」
「成人ではあるのね? どうでもいいけど」
なら聞くなや。
……なんだこの時間? 尋問? 尋問なのかな?
謁見云々という話だったが、もう目の前に居るんだし、さっさと感謝の言葉とやらを賜わって帰りたいんだが……。
やっぱり何かしらの見栄の張った形式が必要なんだろうか?
俺はまだしも連日に渡り鯨の胃の中生活を送っていた先着組は疲れてるんじゃ――
……そうだよ。
「……お嬢様は、お疲れではないのですか?」
よくよく考えなくとも丸二日は鯨の胃の中に居たわけだし、ようやく出られたんだから、ゆっくりしたいと思うのが人情なんじゃない?
なんで今、急いで感謝の言葉とやらを俺に与えねばならないんだろうか?
別に明日でも良さそうなものだが……?
不機嫌そうにこちらを見つめていたお嬢様の視線がフイッと逸れる。
「……疲れてるに決まってるでしょ。見て分からないの?」
「でしたら、私の方はいつまでも待ちますので……明日以降に予定をズラされては如何でしょう?」
こちらはこちらでズラかるのでお気になさらず。
俺の心よりの気遣いの言葉に……お嬢様はこれ見よがしの溜め息を吐き出して続けた。
「それじゃダメなのよ。こっちには色々と事情があるんだから……察しなさいよ。本当に頭の巡りが悪いわね? これだから庶民は……」
よっしゃ、心は決まった。
シェーナさんを呼んでこよう。
しかし庶民が暴走するよりも早く、パタパタという足音めいた音が聞こえてきた。
ついでに台車を転がすような音も聞こえるので、どうやら先程の食事云々で遣わされた者だろう。
つまり目的地はここ。
同じように聞こえたのだろう、扉の向こうへと視線を飛ばしたお嬢様が、素早く腰を上げる。
「……ほんとにシェーナは融通が利かないんだから! 施しなんて後回しでもいいのに……もう!」
ズンズンと怒りも露わにするお嬢様が、俺の座るソファーの後ろへと回って――調度品として置かれた大きな壺を……とてもそんな軽々しく扱えないように見える壺を、片手で横へと滑らせた。
ヌルリと音もなく滑った壺の下には……人一人ならギリギリといった階段があった。
呆気に取られる庶民を置いて、お嬢様が階段へと消えていく。
……じゃあ庶民は言い付け通り、施しを受けときますね?
――――とは行かず。
戻ってきたお嬢様が頭だけ覗かせて言う。
「なにしてるのよ! 早く来なさいよ! 閉められないでしょ?」
……昔にもこういうことがあったよなぁ――なんて、何処か現実逃避気味に考えながら、本当は途轍もなく重い腰を渋々と持ち上げてお嬢様に続いた。
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