第491話


 あ〜……お腹痛い、お腹痛いなあー。


 結婚式のスピーチとか逃げる系の村人だからなぁ〜、俺……。


 チャノスとケニアの結婚式でも、何故か回ってきた言祝ぎ役をテッドに変わって貰うぐらいにはプレッシャーに弱いから。


 異世界でもちゃんとした手順のある結婚式には、何処の世界でも同じなんだなと思ったものだ……。


 前世含めて祝福される側の経験は無いけどね!


 …………あー、お腹痛くて涙出るわ。


 要望に沿った一番小さい部屋とやらで待機している。


 お嬢様との謁見待ちだ。


 謁見て。


 仕事前の『行きたくない感』を百倍にして重力でデコレートすれば今の状態に近いだろうか……。


 これを修行と呼べるのは戦闘民族サラリーマンだけなので、現村人の精神では耐えられない。


 それでもやっぱり会社へと向かってしまうのが社畜根性。


 上級者にもなると、いつ会社から出たのか思い出せなくなるというのだから世は大監獄時代で間違いない。


 しっかりと前世の記憶が焼き付いたそんな世界を生き抜いてきた俺としては、嫌々ながらも出社時刻には足が動くんだろうなー、と諦念中である。


 逃げるにも黒ローブ回収されちゃったしね……。


 メイドさんが着替えさせてくれるという一大イベントに、いきなり感と羞恥でお断りを告げながら「自分で着替えるから!」と言い切った手前、お湯で体を拭いてから用意された衣服に袖を通したのも束の間。


 僅かな隙……というか、いつ回収されたのか分からないぐらいの手際で回収された黒ローブ。


 謁見には魔道具を持ち込めないと言われていたこともあって、直ぐに返してくれとも言いづらく……。


 ズラかるタイミングを逃して今に至った。


 ……ずっとローブ一丁だったので、下に着る服が欲しい――という欲を出したのがいけなかったとでも言うのか?


 でもさすがに鯨の胃の中ならともかく、街中で裸にローブっていうのはねえ……良識ある新成人としては見逃せないよ。


 直前に接していた女騎士さんの視線にも思うところがあったしね……。


 いや、ちゃうねん……別に趣味とかやないで? スリルを味わってるとかでもない。


 しかし誤解を解ける立場にもなく……。


 言い訳すらさせて貰えない身分の違いに乾杯、もとい完敗だよ……へへへ。


 そんな奴に服をくれるって言うんだから、全部貧乏のせいにして服を貰ってもいいでしょう? ねえ?


 そんなことを考えながらデケぇソファーで丸くなっている。


 何故かって? この体勢が一番お腹にいいからだ!


 謁見というだけあって時間が掛かるのか、それとも『待たせる』という形式が必要なのか、俺が着替えてからも、そこそこの時間が経過したと思う。


 実際には三十分も経ってないんだろうけど……こういう時の時間の経過はやけに遅く感じる。


 ピリピリと来た精神……もしくはお腹に、思わず文句が口を衝く。


「おっせぇな……」


「悪かったわね」


 …………。


 あー、お腹痛い……痛いなぁ。


 脂汗すら掻き始めた体調は、居る筈のない人物の幻聴をも可能にしたらしい……。


 ムクリと起き上がって、恐らくは迎えが来る筈の扉を見た。


 閉まっている分かっているだって声はそこから聞こえてきたわけじゃないもんね?


 チリチリとした視線が頬に刺さる。


 ソファーの背もたれ側から聞こえてきた幻聴が、どうやら圧力すら伴って俺を殺しに来ているようだ。


 黒ローブ……諦めたらダメかな?


 信用を失った俺の耳が、誰かが廊下をバタバタと走る音を拾った。


 足音は扉の前まで駆けてきて、ノックもなく開かれた扉からは桃色のポニーテールが顔を出した。


 胃の中で遭った女騎士がお出迎えだ。


 ……気になるのは寸前でサッと身を沈めた背後の誰かだろう。


 キョロキョロとした視線は、ソファーから立ち上がって姿勢を正す俺――などは捉えずに、部屋の中に何かを探し求めていた。


 『何か』というか『誰か』なんだろうなあ……。


 やめてくれよ? ……なんか変に巻き込むの。


 なるべく気配も消そうとする俺に、ポニテ騎士ことシェーナとやらが……ようやく気付いたと視線を合わせてくる。


 いや、俺のことなんてお気になさらず。


「ああ、お前か……。ここで待つように言われたのか? ……随分と狭い部屋だが?」


 うちの村のどの部屋よりも広いけど?


 訝しげに表情を歪めるシェーナに、下手な誤解をされては堪らないと否定する。


「あ、いえ。自分から狭い部屋を希望しました。……我々のような民草は、普段からの環境に近い方が落ち着きまして……」


 普段からこんな豪勢な部屋を見掛けることなんてないけどね。


 一応の納得を得たのか、表情を晴らした女騎士が、ついでとばかりに尋ねてくる。


「まあ、そういうこともあるんだろうな。私には理解出来ないが……。そんなことよりも、お嬢様を見掛けなかったか?」


「見ていません」


 嘘じゃないもの。


 背後にいる誰かがコソッと動く。


 知らないよ?


「外を誰かが駆けていく音を聞いたりは?」


「していません」


 いつの間にか居たからね。


 ――どちらかに肩入れしたところでどちらかの不評を買うのは間違いないだろう。


 だから正直に話すことにしたのだ。


 具体的にはより上位者に阿る感じで。


「そうか……」


 軽く溜め息を付いて会話を切り上げに掛かるポニーテール。


「もう少し待っていろ。お嬢様は今、席を外している。お前に対して感謝の言葉を授けると言っていたのだが……気分屋なのだ。興味の対象が他に移った可能性もある。そうだ、食事を用意させよう。腹を満たしているといい」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げる俺に応えることもなく足早に去っていくポニーテール。


 足音が随分と遠いたと思われるところで……ヒョコっと顔を出す誰か。


 うーん、これは…………良い絨毯だなぁ。


 きっと良い毛を使ってるんだろう。


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