第483話


 当然ながら地震などではなく。


 さりとて俺の視界そのものに原因があるわけでもなく――


 単純に鯨が動いているようだ。


 …………この鯨、滅多なことでは大きく動かないって言ってなかったか?


 鯨の胃の中ということで、最初に心配したのは天地が逆になるような……つまりは鯨の激しい運動が問題になると思っていた。


 しかしそこは巨体なだけあって、滅多なことでは激しく動かないと教えられている。


 胃の中に四日も滞在しているオジサン連中が言うのだから間違いないだろう。


 この鯨の食事の回数も凡そ二日に一回という頻度で少なく、しかも前世にあった鯨の何十倍という体を持っているのだから……余り動かないと言われたらエネルギー総量的にも納得出来た。


 ……そもそも鯨って言っていいのか分からん存在だしなぁ。


 傍目に強力だと思われる胃酸もそうなのだが……取り込まれる獲物の中には水棲の魔物も存在した筈だ。


 そんなの食ってる存在なのだから……余程な上位捕食者なのは間違いないんだろうけど……。


 そんな異世界鯨が、珍しいと言われる激しい動きを披露している。


 食われている立場としては分からないが、これが外ともなると波や圧がとんでもないことになってるんじゃなかろうか?


 今まさに内部もそうだけど。


 鯨的には大した動きじゃなかったのかもしれないが、内部に住み着いた人間としては地震並みの縦揺れを食らう。


 当然ながら立っていられなくなり、誰もが肉の地面に這いつくばった。


 それは元より跪いていた俺は勿論のこと、突然の地震に対応出来なかったポニテやハーフツインもそうだった。


 仲良く揺れに耐えている。


 ――――そうだ、オジサン達は?


 奥で寝転がっている筈のオジサン連中に視線を飛ばせば、……初対面の時の厭世観もなんとやら、弾きとばされてなるものかと誰もが肉の地面に張り付いていた。


 これで「寝ていた」なんて言われたら……もう心配するのもバカらしい逞しさである。


 大丈夫そう――


「シェ、シェーナ?」


「お嬢様?!」


 視線を切った一瞬で、お貴族様コンビが声を上げた。


 同時に地面が大きく傾いた。


 潜っているのか、それとも浮かび上がっているのか――


 ――問題は足場が角度を上げたということだ。


 ポニテの叫び声に視線を戻せば――――お嬢様が、ちょうど胃酸の海へと落ちていくところだった。


「ああ?! 俺の金ヅル!」


 自分の体が胃酸の海に落ちていくことに驚いて目を見開いているお嬢様は、咄嗟のことでどうしたらいいのか分からないらしく……己が身をキュッと小さく固めている。


 お陰様で、ポニテが懸命に伸ばした手はお嬢様に届かず――


 ――――僅かな風切り音を響かせて、俺がお嬢様に飛びつくことになった。


「え?」


 驚いているような、呆けているような……そんなポニテの声が後ろから響いた。


 壁を走る要領で地面を走り抜け、身を固くしていたお嬢様の腰を引っ掴んだ。


 なんせ腕も足も体の内側で折り畳まれていて……そうすれば助かるとでも言わんばかりに身を固くしているので他に掴める所が無かった。


 ビックリした時の猫か?


「……生憎と、うちの村の猫はそんな隙を見せてくれませんがね」


 後ろから腰抱きにしたお嬢様が、瞳だけで『死んだ? 死んだ?』と問い掛けてくる。


 心配に思うのも仕方ないだろう。


 半ば宙に浮いていたお嬢様を捕まえるのに両手を離して体を伸ばしているので……お嬢様的には二人で仲良く落ちているようにしか思えまい。


 しかし足は接地している。


 柔らかいせいか普通の地面より幾分か掴みやすい肉の地面を、強化された足が二人分の体重を物ともせずにギュッと掴む。


 ピタリ、と落ちるのをやめた体に――――お嬢様の瞳が右に左に動く。


 壁から生えた釘みたいになってんだろうなぁ……。


 なんとも非常に危うい体勢に見えるだろう。


「お、お嬢様?」


 問い掛けてくるポニテの声も、『いま話し掛けて大丈夫なのだろうか?』と恐る恐るとしたもの。


 まあ全然大丈夫なんだけど。


 なんならここから逆さになったところで落ちやしないが……その時はオジサン連中やポニテ騎士の方が心配だ。


 しかし振り返ってみたところ、両方共に平気な顔で……というか驚いた表情でに張り付いていた。


 ……そういえばこっちの世界の人の身体能力っておかしいんだった。


 初心者レベルを抜けた冒険者連中ってだけで、プロのアスリートでも敵わない動きするしな……。


 ポニテの方も立派な装備を着けてるだけあって余裕そうだ。


 さすがに足だけで壁に張り付くなんて芸当はしてないが……。


 ともあれまだ災難が去ったわけじゃない。


「だっ……大丈夫よ、シェーナ。……なんか大丈夫」


 全然大丈夫そうに見えない……未だカチコチのままのお嬢様が言った。


 …………どうかなぁ?


 グラッ、とまたしても大きく地面が傾いた。


 というか鯨が動いた。


 今度は反対側に揺れた地面が、平行な……地面としての在り方を取り戻す。


 しかし全てが全て元通りということもなく……。


 急激な地面の変化には膝を曲げるだけで対応出来たのだが……。


 この揺り返しにより――――飛沫一つ上げなかった胃酸の海が、大きな波となって襲い掛かってくることになった。


 ……大丈夫じゃなかったよシェーナさん、全然大丈夫じゃない。


 ……………………どうすんべ、これ?


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