第480話


 めっちゃ良い匂いするやん。


 鉄板の上でジュージューと文句を奏でる鯨肉が、胃を刺激してやまない。


 ……そういえば俺も丸一日ぐらい何も食べてなかったなぁ。


 もう充分だと湯気を立てている鯨肉に、未だ手を着けていない理由は――――鉄板を前に腰を降ろしたお嬢様の存在にある。


 さすがにカトラリーどころか食器も無い鉄板焼きに、お嬢様の元へ焼けた肉を運ぶということも出来ず……。


 直食いしてもらう事になったのは状況が状況だけに仕方ない。


 しかしそうなると色々と手順というものがあるようで……。


 一口目は偉い人――――の、毒見役がするということで……ポニテが親指サイズのナイフを握っていた。


 の代わりである。


 相変わらずの一口サイズに切られた肉は、剣で切ったと言い訳を入れたが――その実は魔法で薄切りにしたのだ。


 そこかしこにある闇が俺の魔法を隠すのに一役買ってくれたのでありがたい。


 ……イメージとしては焼き肉屋で出てくるお肉だったので、ぶっちゃけ剣で薄切りするのは難しいというか無理だった。


 そういう技術が必要っぽいのは強化魔法じゃどうにもならないのだ。


 まあ俺としてはブツ切りでも良かったけどね……。


 これもお嬢様達の食べ方に配慮した結果だ。


 ……「生でもいい」というオジサン達のために火を入れる時間を短縮しようってのもある。


 正直、こっちの世界の生食がイケるのかどうか分からないというのに「じゃあ生で」とは言えなかった。


 そんなわけで――テーブル二つ分程の鉄板の上に薄切りにした鯨肉が山と積まれている。


 焼く用のスペースはきちんと確保しているので、そちらで焼いている肉はもう食べ頃だと思う。


 ポニテもそろそろだと感じ取ったのか――澄まし顔でスッとお嬢様の隣りに立つと宣言した。


「それでは毒味を致します」


「……ねえ、必要なの?」


 それな。


 お嬢様の意見に完全に同意である。


 この状況下での毒見は、単なるつまみ食いとどう違うのか?


 取り分減るやん。


 しかしポニテは真剣な表情でお嬢様を諭す。


「お嬢様、どのような状況であろうと油断するわけには参りません。お嬢様の安全を、命を懸けてでも確保するのが私の仕事です。ご寛恕を」


「…………わかったわ」


 全然納得してなさそうな了解の返事と共に、ポニテが並べられている肉の一枚を三分の一ほど切り取って口に運ぶ。


 目が見開かれる。


「……! ……ま、まあ? 悪くありませんね」


 グルメ漫画か?


 ホフホフと熱を逃しながらも紅潮するポニテの頬に、肉の良さを知れた。


 ……はあ、早く終わんないかな……このイベント。


 ゴクリという生唾を飲み込む音が一塊になっているオジサンの集団から聞こえた。


 早く食べたいだろうに鉄板から一歩下がっているオジサン達とは違い、水の補給役として居る俺は、お嬢様と鉄板を挟んだ位置で膝を着いている。


 匂いがダイレクトだから生き地獄だよ……。


 そういう事情を察したのか……それとも単に腹が減っていたのか、ポニテが手早く他の肉も切り取って食べていく。


 パクパクと焼けている鯨肉が消費される。


 最後の一口を飲み込んで言う。


「……はい、は問題無さそうですね」


 その一言に『ようやくか』とオジサン連中が前のめりになったのだが――


「それでは――このまま毒の反応が出るかどうかを見るために、しばらく時間を空けましょう」


 ――続くポニテの一言に表情を失った。


 バカなのかな? 普通に焦げるけども?


 いやそんなことよりも――


 今までは現物が無かったことや武力の差もあって頭を押さえられていたオジサン方のストレスが際立っている。


 そう――――オジサン達が肉にありつけるのは、お嬢様のなのだ。


 それが一人だけ飯にありついた奴の口から出ることも怒りを増している原因だろう。


 従者がやらかしたこういう時は主人が諫めてくれるのが常道なのだが……。


 お嬢様の方は空気が読めないためか、このギスギスし始めた雰囲気を理解していなさそうだった。


 ただただ不満そうではあるのだが……それはたぶん自分の腹も減っているからだろう。


 澄まし顔に唇を油でテカらせたポニテはどちらも気にしていない。


 やはりこいつも貴族っぽいからなぁ……そういう配慮に掛けているのかもなぁ? ――それともオジサン連中の感情を『どうでもいい』と思っているのか。


 ――――あるいはクソ真面目なのか。


 …………仕方ないなぁ。


 溜め息を我慢して立ち上がる。


 膝を着いていた俺が許可もなく立ち上がったことで、ポニテが警戒を強める。


 先程まであった柔らかい雰囲気が無くなっていることから……やはり本人でも少し無茶な要求をしていると思っているんだろう。


「……なんだ?」


 声も幾分固い。


「すいません……少し内密な話になるので、お耳を……」


 俺の言葉にポニテが怪訝な表情になる。


 『何で今?』的なことだろう。


 しかしながら水に肉にと提供された負い目があったのか、ポニテも渋々ながらも頷いてくれた。


 ススス、と近付くと……鉄板に背を向ける形でポニテを呼んだ。


 その場で耳打ちされるとでも思っていたのか、ポニテは益々と訝しげな表情を深めた。


「……なんなのだ? 私は――」


「――口元が油でギトギトです」


 コソッと呟いた言葉に、ポニテは咄嗟に口元に手をやろうとして――しかし止めた。


 ……やっぱり育ちがいいと拭く物を探してしまうんだなぁ。


 当然ながら自分の服の袖で拭くという発想もないのだろう。


 ここで俺の服の袖を上げてしまえば解決するのだが――


 それじゃにならない。


 ちなみにこの密談の最中に俺は背中側で忙しないハンドサインを送っている。


 羞恥が勝っているポニテ騎士様は自分の顔の醜態を思ってか振り向いたりはしないが……。


 そろりそろりとオジサン連中が鉄板に近づいていた。


 問題はこの作戦に一番必要な最高権力者の賛成なのだが……。


 チラリと振り向いた俺の視界には、忙しなく動く俺の手と近づいてくるオジサン連中を見て理解の表情を浮かべたお嬢様が――――ニヤリと笑う様が入ってきた。


 イケる口のようだ。


 ここだな。


 僅かに顔を赤くしている真面目騎士に、俺は悪魔の一言を囁く。


「私が水球を出しますので……こっそりどうでしょう?」


「そ、そうか? ……そうだな、そうしよう」


 何歩か前に――――明かりが届くギリギリにポニテを誘導して大きめの水球を出した。


 秘技、バケツ三杯分である。


 結局顔を拭くことになるのだが、ポニテは口元の油を落としたいためか気付かない――


 バシャバシャという水音と水そのものに視覚と聴覚が封じられたポニテを見て、『今です』と手を振る。


 腹ペコさん達が瞬く間に鉄板の上の肉を食べていく。


 先程まであった張り詰めた空気は消え、悪戯を隠す子供のような沈黙が心地良い雰囲気を生んでいた。


 やれやれだ。


 まさか自分が『やれやれ』を披露する時が来るなんて……。


 人生って分からないもんだなぁ。


 …………ところで俺が食事にありつけるのって何時になるのかな?


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