第473話


「まあ……なんだ? 気が動転することもあんだろうがよ、割と希望は持てるらしいからな……投げ遣りにはなるなよ?」


「はあ……」


 暗闇の中で、オジサン声の誰かと会話している。


 僅かに照らされる光源から……そのゴツゴツした手と筋肉質な腕が見えるぐらいで、全容はよく分からない相手だった。


 しかもこのオジサン声だけじゃなく、近くには他の人の呼吸音まで感じられるのだから……余計に状況が分からない。


 ここは何処? から行くか、貴方は誰? から行くか……。


「な〜に、そう落ち込むなって! ここに居るのは全員同じような状況にある――いわゆる『お仲間』ってやつだからよ! ……で? お前は何しててたんだ?」


 よーし、決まったぞ。


 問い掛ける言葉を迷っていた俺に対して、やたらとフランクに接してくるオジサン声の誰か。


 しかし掛けられた言葉が気になり過ぎて他の疑問も後回しにせざるを得なくなった。


 いや食われたて。


 俺は問い掛けた。


「……食われた?」


「おう、そうだよ。食われたろう? パクっとさ。俺も仲間と一緒に沖に漁に出てたんだがよ? 船ごとパクっといかれて腹の中よ。いや〜、参るよなぁ? ガハハハハハハ!」


 食われた、腹の中、シュワシュワ……だと?


 いやいやいや……いやいやいやいや?! そんなまさか…………ねえ?


 しかしここが世界なのだとしたら、そんなことも起こり得るのかもしれない………。


 脳裏を過ぎるのは、鼻の伸びる人形の童話と、実際に遭遇したことのある爬虫類目の姿である。


 ほらぁ、やっぱりぃ、パクっとしちゃうんじゃん?


 テトラには今後の交友関係の在り方を説いて、アレら関連はバッサリといって貰わねば……。


 もし万が一なのだとしたら、問題はその存在にではなく――


 ――俺の感性の方にあるよね?


 前世でも、地震に気付かず朝まで寝ていた――なんてことがあるが……まさか生まれ変わってまでそうだなんて……そんなまさか……ねえ?


 いくらなんでも…………食われてんのに気付かずに寝ていたなんてことは――――


 いやいや、あり得ないよね?


 自分の死因すら気付かずに転生を終えていたという前科があれども! それはそれ! あれは神様が悪い!


 いやいやの嫌! そもそもまだ巨大生物に食われたと決まったわけでもないから!


「ハハハ、こんだけデケェ鯨の癖に、別に魔物じゃないなんて信じられねえよなあ? 食事の摂り方もよ? 時折大きく深呼吸して、その場にいる生き物を海ごと丸呑みなんだとよ。あれには参ったね、なんせ海流発生装置モーターなんてあってないような吸い込みだったからなぁ……。いやあ! 生きてるだけ俺らは運が良かったぜ!」


「あまり追い打ち掛けないでくれます?」


 うっかり鯨の腹の中とか認めたくないので。


「ガハハハハハハ!」


 随分と明るい笑い声を響かせるオジサン声に、『なんか随分と明るいなぁ……』なんて思う。


 だって食われとるやん、俺等。


 ……もしかして、前世で読んだ漫画の如く何処かに出入り口でも存在しているんだろうか?


 そういえば希望が持てるとか言ってたな?


「えと……あのぅ、……それで? 希望が持てるっていうのはどういう……?」


 たぶんこの辺りに居るんだろう所へと声を掛けたら、笑い声を落ち着かせたオジサン声が問い掛けに答えてくれた。


「おう! 捕鯨だよ、捕鯨。なんでもこのレベルの鯨はよく狙われるらしくてな? 腹の中から生き残りが見つかるなんて話もザラなんだとよ。だからここで待ってれば、いずれは……てな?」


 それ大丈夫じゃなくない?


 助かる方が奇跡的な確率に思える上に……このオジサン声の話しぶりからして伝聞……。


 思わず疑問が口を衝く。


「それ誰から聞いたんですか?」


 酒場の与太話とかじゃないの?


「あ、心配してんだろ? ハハハ、大丈夫大丈夫。御伽話でも無けりゃ、巷のホラでも無ぇからよ。なんとこの話は、お貴族様発信よ! しかも軍部に伝手があるっていう由緒正しきな! ほら、そこの……って見えねえか」


 フイッ、と動く小さな光源が……他の気配を指そうとして揺れる。


 先程から目印にしている小さな光源は、どうやらライターのような魔道具らしい。


 どうりで小さいわけだ……。


 ――――いや待て?


 


 確信的な嫌な予感が背筋を撫でていく。


 それでも指された気配が動くことはなく……また指先程の光源では照らし出されることも無かった。


「あー……これじゃ見えねえか。まあ、でも挨拶しといた方がいいだろ? なんせ――」


「よく俺に気付きましたね?!」 


 言わせまじと言葉を重ねて問い掛ける。


「……あ? 何がだ?」


「いや……えー……その、ほら? それじゃ全然周りが見通せないでしょ? それでよく俺が船に乗ってるのに気付いたなー、って」


 まあ、あながち誤魔化しでもない話題だよね?


 本当……よく気付けたよな?


 あれだけ真っ暗だったら寝ていた俺は疎か、小舟の存在すらも把握するのは難しかったんじゃなかろうか。


「……あー、それか……」


 適当な誤魔化しだったというのに、初めてオジサン声が言い淀む。


 …………え? 何か地雷踏んだ?


 暗闇だというのに戸惑っている気配を感じさせる沈黙は、やがてポツポツとした語り口で破られる。


「いや……悪ぃんだけどよ? 別にお前のことを見つけたってわけじゃねえんだ。ただ溶かされる音は聞こえるだろ? シャワシャワシャワシャワ……ってな? もしかしたら俺等みたいな奴もいるんじゃねえかと思ってよ……とにかく音が聞こえてきたら声を上げるようにしてたんだよ」


 …………あんな小さい音を拾ってたの?


 それで……居るかどうかも分からない犠牲者に怒鳴り声まで上げてたの?


 俺は姿が見えないオジサン声を白日の下に晒すべく電灯魔法を行使した。


 ――――嫌な予感がしたからだ。


「うえ?! な、なんだ? 急に、まぶし……」


 光に照らし出されたのは……予想に違わず野卑なオジサンだった。


 ――――ただちょっとばかり目の下にクマがあって、頬が痩けていて、青白くて、引き攣った笑いの――


 周りに広がる……まだ生きてるというのに顔を伏せている他の気配は、オジサンと違って元気がないようだった。


 オジサンとの会話に入ってくることもなく……また照らされているというのに動かないぐらいには。


 …………限界状況じゃねえか。


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