第十章 天承天戯 序
第471話
月明かりが照らす海原を、ひんやりとした風が駆け抜けていく。
静けさに船を揺らす波の音だけが響く船上で、ぼんやりと月を眺めながら横になっていた。
「……やべえ、眠い」
呟いた言葉が全てだ。
ちなみにこの世界における安眠というのは人の生活する場でしか得られず、前世にあったような屋外で行うキャンプだかグランピングだかをしようものなら、途端に命のリスクがあるというのだから救われない。
比喩じゃなく救われない。
レスキューとかも無いんだから。
でも眠い。
「あ〜〜〜〜…………あああああ!!」
なんか喋ってないと落ちそう。
無造作に転がっていた『海』の魔晶石とやらを使い切る程に海を進んだ。
大まかに北に。
しかし変わることのない景色というのは、深夜の高速道路並みに眠気を誘った。
分かってる……分かってるよ?
自分が追われる立場だというのは。
それでもやっぱり無理なんだから仕方ない。
戦場を後にした安心感と、強化魔法を解いてから募らせた疲労が、夜という魔力を得て増大。
つまり超眠い。
「あーー……あああ! どうすっかなぁ?!」
眠気に耐えるための独り言は……しかし眠る体勢には敵わないのだとウトウト。
…………――いかん?! ……寝たら、…………寝たら死ぬぞ?(冗談じゃなく)
この世界の動物というのは凶暴で、更に『魔物』なんて言葉通りのモンスターまでいるのだから……。
波間を漂う小舟なんて朝までに無事かどうかも分からない。
……でも……でも具体的にどうなるのかな? …………何も……実際は、何も起こらないんじゃないかな?
じゃあ…………じゃあ、大丈夫なんじゃ――――いっっっかん!
もういかん! この思考の流れはいかん! これ以上は一巻の終わりだ! 上手いこと言った! 座布団をくれ!(枕にする)
すっかりと鈍ってしまった精神が、健康な生活にどっぷり。
お陰様で久しぶりの徹夜が耐え難い。
前世であれば二徹からが本番、
今じゃ寝ても構わない理由まで探してるというのだから……変われば変わるものである。
ていうか別人だからね、そりゃそう…………だよねぇ……?
…………――――ハッ?!
落ちそうになっていた意識に気付いては覚醒を繰り返す。
そのペースが短くなってきたことに、そろそろ危機感を覚えなくはない……。
「……手はある」
そういって持ち上げた右手は、しかしちゃんと着いている。
――――余計な付属物を拵えて。
右腕を貫いて存在する細身のロングソードが月明かりに反射する。
柄頭に魔晶石なのか宝石なのか分からない綺麗な石ころを着けた宝剣は、俺の腕の半ばから生えてその存在を主張していた。
……この剣を抜けば痛みで起きるんじゃないかな?
ぶっちゃけ抜くのが怖すぎて放置していた剣である。
強化魔法の甲斐あって痛みもそこそこに減じていたのだが……。
戦場を後にするとなれば魔法を解くのが自然な流れ。
なんとなく……回復魔法を掛ければ自然に抜けないかなぁ、なんて行使してみれば……腕に剣が埋め込まれたまま見る見ると傷口が治り――――強化魔法を解除しても痛くなかったので
……左腕は綺麗に治ったのになぁ。
しかしいつまでもこのままというわけにもいかないので、そろそろ向き合う時なのかもしれない。
寝る前特有の投げ遣りな意識で、剣の先を船へと押し当ててみる。
コツン、激痛。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ?! ―――――ァッツツ!!」
ちょっ…………洒落にならないんですけどお?!
思わず傷口近くを圧迫して、しかし動くと痛さが増すとばかりにピクリとも動かずに身悶えていると、ゆっくりと痛みがマシになってくる。
眠気なんてもう無い。
己の策が上手くいって良かったというよりかは、『なんてバカなことをしてしまったんだ……』と後悔しきりである。
ズレた分だけ剣身に付いた血が生々しい。
小康状態にあった傷口が『斬れている』という事を思い出したかのように血が垂れてくる。
「…………ううぅ。……強化魔法掛けよう」
月明かりが瞳の端に光る水滴を照らす中、別に魔物に襲われたというわけでもないのに節約しようと思っていた魔力で
いや、でもこれ洒落にならんて。
研ぎ澄まされて万能感すら得られるようになった感覚が、腕の異物感を強く主張してくる。
……分かってる、分かってるって……抜きますよ? 抜けばいいんでしょ?
今度は剣の柄をしっかりと握って深呼吸。
能力には数分前の痛みが刻まれているので強化したからとて恐怖が無くなるわけじゃない。
……めっちゃ痛かったよね? …………もう、
明日に……しようかなぁ…………。
しかし明日に延期する理由は無かった。
せめて何か魔物でも襲って来たなら中断もあり得るのだが……
まあ海中を探るのは特に難しいので断定は出来ないが……。
少なくとも今は静かな夜の海が堪能出来ている。
聞こえるのは己の呼吸のみ。
つまり
…………よし、やろう。
黒髪のポニーテールと戦う時並みの気合いを入れてもう一度深呼吸。
一息に剣を抜いた。
宙を走る赤い線を眺めながら――そうでもなかった痛みに深く安堵である。
……良かったぁ〜、強化魔法様々やでぇー……。
緊張していただけに落差も大きく、思ったよりも来なかった痛みにこのまま回復魔法を掛けるべきかどうか躊躇する。
重ね掛けは魔力を食うのだ。
…………でもまだ余力は充分あるし、強化魔法を解いた途端に痛みがぶり返されるのも……ねえ?
そんな言い訳で緑に発光。
ウニョウニョと無事に傷口が塞がる。
たぶん大丈夫と右腕を裏表としながら――――強化魔法を解除する。
傷口は無くなっていたのだが、ここで『もしかして……』なんて思うのが芸人魂。
しかし予想に反して痛みが襲ってくることは無かった。
更に大きく安堵して体の力が抜ける。
楽な体勢を求める心情が、再び体を横たえさせた。
唯一無二となった戦利品を月明かりに照らす。
「おー……なんか凄い感じするなぁ」
銀色に反射する刀身と凝った細工のある柄。
柄頭にある透明感のある青い石ころも美麗だ。
名工が云々とも言っていた。
――――売ったらいくらになるかなあ? ヘッヘッヘ……。
長々と持っていたくはないギルドマスターからの略奪品だったが、それでも値段に思いを馳せてしまうのが小市民。
裏に表に……僅かに漏れ出る魔力にと目を凝らす。
しかし……まさか普段使いするわけにもいかんしなぁ……上手く売り飛ばせないもんだろうか?
それも、これからをどうするのかによるのだが――
あまり深くは考えまいと剣からも視線を切って頭を空っぽにする。
一頻り眺め終えた剣を脇に置いて、一段落が付いたせいか深く息を吐いて目を閉じてしまった。
――――リラックスを求めたが故である。
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