第470話
――――ストレスだ。
原因はストレス。
全力疾走ならば余裕で走り抜けられる距離なのに、一歩を踏みしめる度に足を取られるような苛立ち――
襲い掛かってきたウェットスーツの賊共はギルドマスターと比べると動きが遅く、更に一段落ちる程度の実力なのだと予想がついた。
落ち着いて対処出来る範疇――――だったのに。
海の上にある不安定な足場では全力を行使するのが難しく……打撃は、所謂『手打ち』という腰の入っていない物に成らざるを得なかった。
それでも常人を……いや、たとえ超人だったとしても行動不能に出来るぐらいの威力は出せていた筈なのだ。
それ程の腕力があった。
しかし相手の装備や薬による強化により――『効きにくい』『食らいついてくる』という意識が攻撃に現れた。
いや…………鬱屈とした感情が攻撃に乗った――――
距離を詰めたウェットスーツに対して、大きく踏み込んでからの大振りな一撃――
拳を振り抜く前に、己の失策に気付いた。
――――そこまでの威力を出す必要はないだろっ?!
殴り付けられた腹をベッコリと凹ませて直線的に飛んでいくウェットスーツは、ギルドの船の一つに命中してその船を破壊した。
船を落とせたのは完全なる偶然によるものだ。
――――お陰で足場を無くしてしまった。
海中は……ッ!
咄嗟に海面を蹴りつけて別の小舟へと移ろうとするも――他に襲い掛かってきていたウェットスーツによって邪魔をされる。
諸共とばかりに覆い掛かられた。
組み付くような動きは、最初から俺を海中へと引き込む算段だったのだろう。
――――離せ!
飛び付いてきたウェットスーツ共を、蹴飛ばし、殴り付けて、更に数を減らすも――多勢に無勢と襲い掛かられては海中へと引き込まれてしまう。
嫌な予感というのは当たる。
海中に既に潜んでいた賊共――――そいつらの手に、見覚えのある魔晶石があった。
マズ――――!
『味方ごとでも構わない』とした捨て身が、俺を魔晶石の効果範囲へと留まらせた。
視界に映る一切の景色が固まる。
海の流れも、波に揺蕩っていた木片も、纏わり付くウェットスーツ共も。
俺だけが動ける――――しかし重い。
のっそりとした……海の中にいる時の本来の動きのような遅さに焦りが浮かぶ。
ぐッ…………クソォ?!
俺には一度受けた魔晶石の効果を変更する術が無い。
動きを止めたウェットスーツの奴らを引き剥がす中で、残るギルドの中型船から魔法が放たれるのを感知した。
――――数は三。
今度は確実に動きを捉えるべく注視した海中で、空気にコーティングされた火球を発見。
こちらとの距離が詰まる程、周りの空気が見る見るとその嵩を減らしている。
対抗するべく咄嗟に魔力を練り上げたが――何を撃つべきなのか分からずに躊躇した。
海中で発動しなかった竜巻が尾を引いている。
魔法とは――――いや、俺の力とは何なのか?
嫌な予感というのは本当によく当たる。
出たり出なかったりする自分の特異な力に信用が置けなかった――
それでも――――この場は、強化された己の頑丈さを信じて体を丸める。
衝撃が体を貫いた。
明滅し掛ける意識を歯を噛み砕くことで繋ぎ止め、即座に自分の状態を確認する。
滞空している――また飛ばされたんだ――しかし規模が――いくらか向こうの船にも損害が――――――――左手?
感覚が曖昧になった左腕を――掲げた瞬間に痛みを認識した。
……随分とジグザクになったなぁ。
焼け焦げた肌に、無事な下半身と右腕はともかく、関節が増えたかのように折れ曲がる左腕は直ぐに使えるものじゃないと一目に分かった。
「――――ハハハハハハハハ!!」
最悪な笑い声が響く。
お前らの主戦場は、海じゃねえのかよッ?!
練り上げた魔力を回復魔法へと変える前に――赤い残像が尾を引きながら接近してきた。
吹き飛ばされた船の残骸を足場に空を駆け上がってくるのが見えた。
そのための威力だったとしたら……。
「イカレてんな……!」
「そういうもんだろ?」
呟いた言葉に返事を返せるほど近付いたウィーネが剣を振るう。
今度は受けられることを考えていたりはしない――――正真正銘、全力の一振りだ。
こちらの状態を一目で見抜かれた音の無い一振りが左側から俺を襲う。
勢いを殺せない体で、それでも仰け反れたのは奇跡に近かった。
仰け反った体を掠めながら、左から右へと剣が通過していく。
斬り裂かれた胸が焼けるように熱い。
「――――甘いね?」
呟きと共に手首を返され――――剣が戻ってくる。
今度は躱されまいと更に一歩踏み込まれた斬撃は、俺の首を断つ軌道にあった。
――――躱せない。
油断があった、躊躇があった、後悔があった――――
何故――――何故、両強化を四倍へと押し上げなかったのか?
使える瞬間は幾度もあったろう?
特に――魚雷魔法が着弾する瞬間。
魔力は、発動するための時間は、そのための覚悟は――全部足りていただろう?
…………分からない。
それでも……魔法を受けることよりも、致命的だと思えたのだ。
なら――――
俺は剣の軌道へと右腕を掲げた。
鮮血を拭き上げて金属の塊が俺の腕へと侵入してくる――
「手持ちで! どうにかするしか――」
――ねえだろ!
俺の腕を斬るべく進んでいた剣の速度が鈍り――――骨を半ばまで断った所で止まった。
引き抜かせまいとした筋肉が剣を絡め取って締まる。
神経をヤスリで削られるような痛みと不快感に耐えて、一瞬の隙を生んだウィーネへと蹴りを放つ。
確かに捉えた。
しかし吹き飛ばされた筈のウィーネの体捌きは軽やかで、海面へと叩き付けられることもなく――クルクルと踊るように体を回転させては落下速度を殺して不時着した。
バタバタと再生したローブが風に波打つ。
体勢を整える程の余裕が無かったこちらは、どちらが勝ったのかという速度で海面へと叩き付けられた。
休んでいる暇はないと、沈み行く体に叱咤を打って近くにあった木片へと乗り上げた。
「ハア……ハア……」
息を切らしながらもウィーネの動向を注視する。
まだ損傷の無い小舟の上に降り立ったウィーネは、蹴られた腹を押さえながらも魔法薬を使い回復しているところだった。
視線の合ったウィーネが言う。
「……出来れば返してくれないかい? それは魔法金属製で、名工の一品だからねえ」
未だ腕に刺さったままの剣は……どうやら貴重な一品のようだ。
「…………俺の中の常識じゃ、海賊からは奪っても良しとなっている……」
「おやおや? それは我が国の法に反するねえ……ギルドマスターとしては、とてもじゃないが認められないよ」
パチン、とウィーネが指を鳴らすと……未だ生き残ったウェットスーツや冒険者装備の輩が、まだ無事な中型船からワラワラと湧いて出て来た。
ああ…………くそ……どうなってんだよ、世の中ってのは。
実際に無限湧きとかするんじゃねえよ。
随分と減らした小舟の数はともかく。
ギルド固有の中型船はまだ五隻が新品の状態で残り、そこから『おかわり』という名の戦闘員が小舟を伴い降りてくる。
確実に減らしている筈なのに……見た目には減って見えないというのだから巫山戯てる。
「フフフ……安心してくれていいよ? 今度はあんたの力量に敬意を表して――最初から秘薬を使わせてるからね! アハハハハハ!」
「…………そりゃどうも」
今度は躊躇するわけにもいかないようだ――
広がりを見せる小舟を見逃しながらも息を整える。
なんだかんだと言いつつも……俺が先手を打てないように常に近場に待機しているウィーネは大した役者である。
ギルドマスターの行う牽制が、楔のように戦場へと刺さっていた。
それが俺を優位な戦場へと運んでくれない。
この場から遠く動けば……それこそ他の船がガンテツさん達を追うとした背景が、戦場を海の上へと限定した。
既に二回は勝っているであろう一撃を叩き込んだというのに……まるで堪えることのない敵の首領が風に髪を流している。
…………使うしかないぞ。
言い聞かせるように決意して魔力を練り上げた。
「さあさあ! 早いとこ決めようじゃ――」
意気揚々とほざいていたウィーネが、言葉を途切れさせると共に真顔になった。
…………なんだ――――?
様子がおかしい。
棒立ちとなったウィーネに……何らかの罠を警戒していると――――そのおかしさは戦場全体へと波及していった。
……今度は何だよ?
またしても水中からの奇襲だろうか?
既に魔力は練り上げていた。
こちらは、いつでも両強化を四倍へと引き上げられる――
黒い何かをウィーネが吐き出した。
「ぐっ、げう……なん? ……ぅうえ! ――ガッ?!」
「………………あ?」
何が起こったのか、俺には分からなかった。
黒い……血? だろうか……。
それにしては黒過ぎる何かを、ウィーネは口から――目から、止めどなく吐き出していた。
しかもそれはウィーネだけには留まらず。
戦場にいる俺以外の奴らが、時間差はあれど似たような状態へと追い込まれていった。
……なんだ? どうなってんだ?
また強くなるのだろうか?
だとしたら困るんだけど…………とても演技には見えない苦しみ方を各自がしている。
「……」
俺は魔力を練り上げたまま、ウィーネの近くへと駆けた。
誰にも邪魔されることなく……一瞬で蹲るギルドマスターの前に到達出来た。
呆気ない――――
未だに『何かの罠なんじゃないのか?』という可能性が拭えず……頭を垂れて、身じろぎすらも出来ずにいるウィーネを見つめた。
戦場の各地で……恐らくは秘薬とやらを射った奴らが身悶えしている。
薬を射っていない敵も、ピクリともしない味方をどう介抱するべきなのかと混乱を生んでいた。
…………知らなかったのか? ……こうなるって。
そうとしか思えない幕切れだ。
動けなくなった敵の首領を、それでも油断なく見つめていると……フラフラとしながらもウィーネが顔を上げた。
黒い。
白目の部分が黒く染まっている――――そのうえ、瞳孔が縦に裂けるという変化が起こっていた。
輜重隊に所属していた上司を思わせる変化だった。
違いは……やはり瞳孔だろうか?
確かそこまでの変化は無かったと思う……。
だんまりを決め込む俺に、ウィーネが顔の筋肉を痙攣させながらも微笑んだ。
「まいった、ね……? こんなのは……きいて、ないん……だけど……ね?」
どうやら罠や演技じゃないようだ。
自制も利かずに細かく痙攣する体は、もはや一歩足りとて動けるようには見えなかった。
溜め息を吐き出したのは……たぶん、安堵からだ。
「……あんた達の負けだな」
「……ふふ、ふ…………とどかない、もん……だね……?」
それが何を指しているのか……俺には少しだけ分かった。
何者をも寄せ付けない強さというのは――――誰だって憧れるものなのだ。
…………どいつもこいつも。
だからといって同情出来るほど、俺は聖人でもなければ余裕があるわけでもなかった。
未だに俺の右腕には剣が突き刺さったままなのだから――
だから。
膝を着くウィーネの首根っこを引っ掴んで他の船へと放り投げた。
まだ無事だった部下に受け止められたウィーネの表情は何処か呆けている。
痛みがあるだろうに、それを無視してまでウィーネが訊いてくる。
「…………なにを、してん……だい?」
何って?
「モーターを起動させてる。逃げるためにな」
手順を習っておいて良かった。
僅かに動きを見せ始めたモーターに、足元へと落ちていた『海』の魔晶石を拾い上げる。
あとはこれを嵌めるだけだ。
「…………なん、で? いま……ちゃんす……」
「なんでって何だよ。俺の目的は、あんたらの足止めなんだよ。その状態じゃ当分のこと誰の跡も追えないだろ?」
魔晶石を嵌め込んで魔道具を動かす。
僅かに動き始めた船に、それでも答えを待つかのように沈黙しているウィーネに苛立ちが募った。
ストレスを吐き出す。
「殺るか殺られるかなら、たぶん殺れるよ。俺も死にたくないからな。でも抵抗する力を無くしてる奴にとか……ああ、な? やっぱり無理だわ。一緒にすんなって思う。けど勘違いすんなよ? 別に度を越したお人好しってわけじゃねえから。なんなら自分のことを
いつだったか吐いた文句――
そうだ……それが俺だろう?
確認するように吐き出した言葉に、積もり積もった苛立ちが少し薄れる。
ウィーネがぼんやりと呟く。
「ああ…………あんた、……ぼんじん、だったの……かい…………?」
今更――
加速を始める船に身を任せて――――俺は戦場から逃げ出した。
自嘲するような笑いが浮かんだのは何故なのか……俺にも理由はよく分からなかった。
――――――――第九章 完
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