第468話
――――注射器……?
手に持った細長い筒のような何かから、これまた細い針のような物が伸びているのが見えた――
首元にその針を刺した後で、ウィーネの親指が動く。
その動作がどうにも注射を射つように見えて注射器を想像してしまった。
回復魔法の存在する世界で、注射器というのは初めて見た気がする。
何をする気だ――――?
「早めに潰すか……」
呟いて魔法をキャンセル。
確実に仕留めるために再び海へと身を投げた。
「…………フフフ……ウフフフフ……アッハッハッハ! ああ!! これかい?!」
……なんだろう? 薬かな? キメちゃったのかな?
戦場で色々と麻痺させるために、そういう薬を使用することがあるという知識が、一瞬だけ脳裏を掠めた。
だとしたら問題ない。
再び狂ったように笑う凄絶な表情の美人目掛けて海面を蹴った。
――今度こそ戦闘不能にしなければ。
意識を狩りきれなかった理由……。
足場のせいで上手く力が乗り切らなかったことが、まず一つ。
さすがに船の上での戦闘ともなると不慣れだ。
それと流石はギルドマスターだけあって装備も頑丈だった。
一度陸にぶっ飛ばして――
今後の戦闘プランを練る俺を置いて、バカ笑いしていたウィーネの表情がピタリと消えた。
――――いや動いた。
しかし水面で足を止めるわけにもいかないとした理由が、俺に突撃を敢行させる――
自分以外は誰も動けない世界の中で、ウィーネが散歩するように海へと一歩を伸ばした。
瞬く間に駆け出され――足場の無い海原で激突を果たす。
「ッ、嘘だろ?!」
「――これが! 英雄の! 景色!!」
真正面から振り下ろされた剣に、刃を折るつもりで放った裏拳を受け止められた。
剣は折れることなく――また押されることもなかった。
間違いないッ、付いてきてる!
僅かに肉にのめり込む刃の感覚に、無理やり裏拳を振り切って突き放した。
衝突による衝撃波も相まって、海面が波立ち爆音が生まれる。
――――手応えが軽い!
こちらの力に逆らわず、弾かれるように舞い上がったウィーネに対し……こちらは余波を丸々と受けて海中に没した。
あれはガンテツさんとの一合で見せた技術だ。
ウィーネは十全とした技を使っている。
それはつまり――――ウィーネが俺の身体能力に追い付いたことを意味していた。
――あり得ねえだろ?!
即座に切って捨てた可能性に、しかし発動している強化魔法自体が『応』と唱えている。
人を越えた感覚が『並ばれた』と言っている――
――――クソッ!
海中はマズいという直感に従って、直ぐに海上へと飛び出した。
バラバラに散らばっている木片の一つを足場に、弾き飛ばしたウィーネを探す。
存在を主張するような赤毛が、隠れることもなく先程と同じ小舟の上にあった。
まるで格の差を表すように――
「フフフフフ、ズルいじゃないか? ……あんた達はいつもこんな気分で戦ってたのかい? こんな、こんな……フフフフフ」
「……勘違いも甚だしいぞ。一緒にするな」
回復魔法を使用して、手の甲から流れる血の線を消す。
「このうえ回復魔法まで使えるのかい? 与えられし奴ってのは違うねえ……。フフフ、そんな奴を今から葬れるのかって思うと……また格別な気分になるよ!」
緑色の光を見咎めたウィーネが高らかに叫ぶ。
……完全にハイになってやがる。
間違いなくヤバい薬だったようだ。
それは相手にも……そして俺にとっても――
体の調子を確かめるようにウィーネが剣の素振りをする。
常人には見えぬ動きで風斬り音だけを響かす様は、何処か新しい玩具を貰えられた子供のようにも見えた。
しかし――――追える。
何処ぞのポニーテールと違って、その力量は『まだ』と言える範囲だ。
波に揉まれる木材の上でバランスを取るのは、強化した感覚でのゴリ押しのようなものだ。
そのくせ『海面を駆ける』という離れ技まで披露していたのは、圧倒的な力量差があったからだ。
今の一合で分かったのだが……海上での戦闘は不利だ。
本来なら飛び上がること自体が隙となる高速戦闘で、しかし水に浸からないとするウィーネの動きは海での戦闘の慣れを意味していた。
感覚的には……勝てる。
少なくとも負けやしないだろう身体能力の差がまだあるのだが……。
そこに経験と海という要素を加えると、たちまち拮抗されてしまう。
…………長引く予感がする。
この場合の長期戦は吉なのか凶なのか?
早期の決着を着けるべきか……着けるとしたらどうやって? ――なんて迷っていると、素振りを終えたウィーネがこちらを向いた。
「ああ、悪いね。待たせたかい?」
「うるせえ。いま考え事してんだ。黙ってろ」
「つれないじゃないか? ガンテツを相手にするための手をあんたに使ってるってのにさ? ……ああ、そうだ。じゃあ、こうしようじゃないか」
箸が転んでも面白いと言いそうなほど『ハイ』なギルドの責任者が、剣を握っていない方の手を上げた。
薬指だけを曲げるという――どう見ても何かの
変化は、未だ健在な小舟で起こった。
ウェットスーツの奴らだ。
腰に吊るしたポーチから何かを取り出して首元へと――
瞬く間に背筋が粟立った。
止めるべく動き出そうとした俺の視界に――白刃が煌めく。
再び手の甲で刃の側面を受け止めた。
「このッ――」
「――おかわりはタップリと用意してあるよ?」
興奮を収めた冷徹な赤い瞳が、『逃すまじ』と俺の姿を映していた――――
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