第449話


「大丈夫だったなー?」


「いや、もう……マジで、ハイ。俺が悪かったです。だから今は逃げましょう? ね?」


 砂浜に乗り上げることなく、小舟はいつでも出れる態勢で海岸へと寄っていた。


 中にいたパーズからしても、わざわざ陸に呼びに来るということもなかった。


 これも信頼の為せる業なのだろう。


 ……だからチクチク言わなくてもいいじゃないですか?


「さっきもおんなじようなこと言ってたなー。陸者だからかー?」


 これは怒ってる合図サインだよ……表情や声からは判断がつかなくとも、二回も置いてきぼり食らわせたんだから間違いないよ。


 そうです、悪いのは早まった判断で行動した私です……さーせん!


 砂浜から泳いで近付くこと数分、乗り込んだガンテツさんと俺を見て、パーズの放った第一声である。


 ……いや、こっちの姿が見えてからというもの、ずっと視線が剥がれなかったから……何か言われるなあとは思ってたけど。


 まさか感動の再会よりも優先されるとは……。


 ここはお互いの無事を喜びあって、ガンテツさんとパーズが気の置けない遣り取りをするところじゃないの?


 勝手な部下を上司が詰めている間、ガンテツさんは持ってきた荷物を詰め込んでいた。


 さすがに銛一丁で出向くというわけではなかったようで……最低限の装備と生活物資を木箱に入れていたのか、それを運んでいたのだ。


 小舟に乗り込むのに少し手間取ったのはそのせいである。


 一切手伝う様子を見せなかったパーズからして、その怒り具合も分かろうというもの。


 でも……あのね? 非常事態……今、非常事態だから。


 ――――なんて言おうものなら逆鱗に触れるとバカでも分かるので黙っておこう。


 なんか既にオコの中のオコな気配も感じられるから……。


 いや勘違いかもしれないけどね?


 海を眺めるパーズの姿は、普段通りと言えば普段通りな気もした。


 その『普段』ってやつを知らないけども。


 傍目には――


 荷物を固定させたガンテツさんが仲裁するように言う。


「おう、なんか知らんが後にしろ。とりあえず――」


「爺ー……――ちょっと黙ってろー」


「お、おう」


 やっべ、激オコだぜ……。


 しかし状況が状況だけに、ガンテツさんがモーターを起動させるのまで文句は言われなかったが……。


 前世と違って駆動音どころか振動もないモーターが船を進ませる。


 ガンテツさんは船尾で操舵、パーズは船首で警戒、俺は荷物番――――という定位置なのだが……。


 ち、沈黙が痛い…………。


 やや船尾よりに陣取ったのは、俺の心情からしても仕方ないと思うんだ。


 迷惑そうな――ともすればそれだけで心臓を止められそうな眼光のガンテツさんが話し掛けてくる。


「……オメー、今のはアレじゃねえか? 言い方が悪かったんじゃねえか? 女はそういうの気にするぞ?」


 おっふ……マジかよ、二度目なんだけど? もしかして蓄積突破かな? 堪忍袋を気付かず攻めちゃった系かな?


 ここで「俺、また何かやっちゃいました?」と言えるほど勇者ではない。


 っていうか、転生してるからって勇者になれるわけじゃないよね?


 あいつら物語の主人公スゲーよ、勝てねえよ……。


 今の雰囲気空気にそんな一言を放り込めるだなんて……それ絶対に日本で育ってなくね?


 装飾系ならぬ草食系男子としては、大人しく嵐が過ぎ去るのを待つのが常道……。


 ここは一つ、待ちの一手で!


「なんか知らんが謝っちまえ。早い方がいいぞ。女は引きずるからな……」


「マジっすか?」


 世の中の酸いも甘いもついで苦味も噛み分けそうなダンディーからの忠告だ。


 ……ならば聞かねばなるまい。


 だって女性に対するノウハウなんて一っつも無いんだから仕方ない。


 コソコソとした男性会議を終えて、ガンテツさんは何食わぬ顔で操舵に戻った。


 とても俺を脅していた人と同一人物とは思えない変わり身ですね?


 それだけ、ガンテツさんにとってもパーズの不機嫌さは不都合なのだろう。


 風を掻き分けて進む船の中で、既に乾いた白髪をサラサラと靡かせるパーズへにじり寄った。


 ある程度の距離は空けてあるから大丈夫だ。


 いざとなったら海に飛び込める。


「あ、あの……パーズさん?」


「なんだー?」


 振り返るパーズは……怒っているように見えないのだが…………ということに激しい違和感を覚える。


 常に楽しげ……というか好き過ぎて海に視線が固定されているように感じていたから尚更だ。


 チラリと背後に視線を流せば、『代わりに警戒しています』とそっぽを向くボケ爺。


 お前…………これ、そっとしといた方が良かったんちゃうんか?!


 ――――誠意だ。


 ここはきちんと誠意を見せておこう。


 命を助けて貰ってからまだ一日しか経っていないのだ、猫ですら恩を覚えているというのに……。


 …………さすがに勝手が過ぎたな。


 パーズの青い瞳を見つめる。


「勝手に飛び出して行ってしまって、申し訳ありませんでした」


 特に何かを付け足すようなこともなく――素直に頭を下げた。


 許されるまで……最低でも声が掛かるまではと頭を下げていると、パーズが言った。


「お前なー、もうオレのなんだぞー? ちゃんと分かってるかー?」


「分かってるから……ちゃんと感謝してるし、お金も稼ぐよ」


「……ならいいー。本土に着いたら、ちゃんと話そうなー。海の走り方とか、どこから来たかとかー」


「うん」


 ややこしくならない範囲でなら。


 秘密は幾つかあるけれど――――恩人に求められるというのなら話そう。


 …………でも出来ればナイショにして頂きたい。


 風を切る音を耳にしながら顔を上げると、機嫌が直ったかのように微笑むパーズがいた。


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