第405話
練り上げた魔力が濃い闇すら侵食して空気を紫に染める。
体から立ち昇る紫のオーロラだ
……綺麗だな。
赤ん坊の頃、これを見つめて精神の安定を図っていた。
魔力が抜け切ると夢すら観ることなく眠れるのが良かった。
――――現実を見なくて済むのが良かった。
「余裕のつもりじゃないけど、言っておくわ」
闇の向こうから声がする。
聖剣の光も弱く、奥までは届かないと思われる暗闇の中で、元ポニーテールの戦闘狂は俺の姿を捉えているようだ。
空気の動きや熱を感じることで、俺もそれと同じようなことが出来る。
暗闇の中を、歩調を合わせるようにして……付かず離れず、日本刀を持ったアテナが着いてきた。
負傷者からかなり離れたというのに文句の一つも出てこないのは、それだけ『余波』が強いと自覚しているからだろう。
思いっきり殺るという言葉を実現するための素直さかぁ……。
化け物め。
「あなたが到達した強さを、私は既に越えている。……あなたも似たようなことが出来るんでしょうけど、前と同じとでも思っているんなら……早々に考えを改めて」
カチャリと鳴った刀から、そろそろ始めるといった意思を感じた。
「私、まだ本気じゃないから」
アテナから膨れ上がる闘気のようなものと呼応して、練り上げた魔力の出力を上げた。
本能がストップを掛けている。
――――――――いいのか?
よく分からない忌避感が理性を諌める。
――――――――戻れなくなるぞ?
とめどなく湧き上がる感情を枯らせと俺の全てが訴え掛ける。
――――――――…………お前が求めるままに
逡巡は一瞬。
アテナに答えた。
「俺もだ」
解き放たれた魔法が
身体能力強化を四倍に――――
反射神経や脳の処理速度など、言葉は追い付いても目に見えない己の力が強化される。
肉体強化を四倍に――――
筋肉や鼓膜、体のあらゆる器官が、人の到達しうる領域を越えて変化する。
本来合わさる筈の無い
吐き出した息が熱い。
僅かに漏れるそれだけで身を焼けそうな程に。
膨れ上がる血管が千切れ、体を紅く染めていく。
体表を覆うそれは新しい皮膚であるかのように。
魔力が、光が、新しい世界を観ろと視界を広げる。
血液なのか魔力なのか――――真っ暗だというのに世界が色付いて見えた。
暗闇の中を無数に走る斬撃が開戦の合図となった。
質も量も比べ物にならない。
本気じゃないという言葉は本当だったのだろう。
硬さが売りの床に軽々と傷をつける『飛ぶ斬撃』は、しかし直接斬られるよりか威力は抑えられている――
足を止めた俺は拳の連撃をもって迎撃した。
実体がある攻撃ではないというのに、斬撃の一つ一つを壊す度に甲高い音が響いた。
壊すだけじゃ――
五月雨のように飛んでくる斬撃を破壊しながら、間を縫うように前進した。
あくまで遠距離攻撃用の手段でしかない『飛ぶ斬撃』は、もはや脅威ではなくなっていた。
距離なんて――あって無いようなものだ。
一撃足りと食らっていないというのに迫り上がってきた血液を吐き捨てて、目尻から流れる熱い何かが皮膚を焦がすのを感じながら――――戦闘狂の懐へと飛び込んだ。
「――最高ね」
「――最低さ」
振り降ろされた日本刀と持ち上げられる拳がぶつかった。
いつかの再現だ。
ただし内包されるエネルギーは違ったのだろう。
空間が歪む――――その余波だけでここの床が凹み崩れていく。
使えるエネルギーの高さからして、昔の四倍を遥かに越える力量を捻り出しているというのに……ッ!
以前は使う度に体の何処かで壊れる音が絶え間なく響いていた両強化の四倍は――――
ここに来て、何故か心地良さしか感じなかった。
暗闇で戦闘狂が嗤う。
それはどっちの表情だったか?
返す刀で首を取りに来た一撃を、鮮血を噴き出しながらも皮一枚で躱す。
その動きだけでアテナの腕から血液が散る。
持ち上げるだけで地面が崩れるような上段の蹴りを、肩を当てるようにアテナが受ける。
骨の砕けるような音はどっちから聞こえてきたのか――
時間と空間が入り乱れる狭間で、拳と刃物がぶつかり続ける。
暗闇を彩る紅い色が、火花のように散ってはまた咲く。
イケる、イケる、勝てる――――!
僅かに勝る。
その事実を相手の意識と共有出来る。
しかし止まらなかった。
結果は簡単に裏返るだろうから――――
手刀と日本刀の鍔迫り合いを、相手の妙技とも言える技で受け流された。
流されるままに腹に肘が入る。
血が込み上げるより早く、地面を掴んだ足に腰が回転し蹴りを放つ。
背後から後頭部を襲う蹴りを避け切れまいと受け、反撃とばかりに刀の柄ごと再び腹を殴り付けられる。
たたらを踏んだのは一瞬。
それさえも既に過去のことだと再びぶつかり合う。
一撃を放つ度に何処を壊し、一撃を受ける度に何処かが壊れた。
何処が無事で何処が壊れたのか分からない。
傷は、もう大した意味を持たなかった。
どちらが先に尽きるのか――――
純粋な命の蝋燭の長さの差が、結果に現れようとしていた。
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