第404話


 知ったことかと回復魔法を使う。


 ビクともしなかった魔力の残量がグングン減った。


 今の状態で強化魔法を解くのは自殺に等しかったので仕方ない。


 それでも九割は残っている。


 限界値のラインも上がっているので、これから使う魔法を考えると、そんなに余力はないのかもしれない――


 知ったことか。


 折れ曲がっていた骨がバキバキと音を立てて元に戻る。


 斬られ、抉られ、焼かれた背中の傷がムニムニと繋がっていく。


 痛みはそのままに、既に歩けるようになった足で立ち上がった。


 傷をつけるのも一苦労な壁に空いた大穴の中で――――握り締めたフードを被る。


 俺を隠す。


 俺を隠せ――


 スイッチが入った魔道具が効果を表す。


 僅かに背が高く、前世の声が蘇り、黒衣を黒い靄が覆う。


 一歩目を踏み締めると激痛が体を走り抜けた。


 掌底を受けた腹を確認するつもりはなかった。


 治ってるさ。


 だから大丈夫。


 俺は歩ける――――


 二歩目からは気にならなくなった。


 ガラガラと壁片が落ちる大穴から歩み出る。


 見開かれる目に、見つめられる。


 一人は阿呆で、一人は狂人だ。


 赤黒く染まった瞳で熱心な程に見つめてくる狂人が、体を震わせながら口を開く。


「……………………あなた……私と遭ったこと…………ない?」


「すまないが……負かした相手を思い出せるほど暇じゃなくてね」


「…………レ? あ? れ?」


 聖剣を拾うべくリーゼンロッテへと近付いていたアンが、俺の出現に足を止めている。


 俺は俺が入ってきた通路を指差した。


「アン。その道を少し戻れば他の騎士やテッドが控えている場所がある。最初は偽物と疑われるから、テッドに本人証明をして貰え。確認が取れたら人手を融通して貰ってこいつらを運べ」


「させると思う?」


 チャキッ、と日本刀を鳴らすアテナの姿は、つい先程まで大剣を使っていたとは思えない程に、構えも仕草も堂に入ったものだった。


 武芸百般ってやつか?


「思いっきり殺り合いたいんだろ?」


 相手の狙いに沿うことが交渉の基本だ。


 ピクリと肩を動かしたアテナに成功を見た。


「ここじゃ……悪いが気が散るからな。前みたいに半端に負けたくないだろう? 大丈夫。今回はちゃんとトドメを刺してやるよ」


「まるで前回も出来たのにしなかったみたいに言うじゃない……」


「その通りだろ?」


「……あの時とは違うわ」


「同じさ。アン、行け」


「で、でも……」


 躊躇を見せるアンを他所に、アテナが刀を振るった。


 斬られたのは――――鉄っぽく見える金属の壁だ。


 俺が指差した通路だ。


「いいわ、行って。元々見逃すつもりだったもの。あなたが仲間を伴って駆け付ける前には終わってるだろうし」


「……! レ、レン!」


 斬線どころか、腕の動きすら見えなかった。 


 どうやって斬ったのかすら……。


 例の『飛ぶ斬撃』なのかもしれないが、精度も威力も段違いのようだ。


 両強化の三倍では届かない。


 分かっていたことだ。


 隔絶された実力を感じたのは何も俺だけじゃなかったようで……逃げ道が開かれたというのに何処か覚悟を決めた顔で見てくる幼馴染に顎を振る。


「行け。気にしなくていい。大したことないから」


「挑発しなくてもあなた以外を狙ったりしないわ。もう、あなたしか見えないわ」


 …………なんて色気の無え台詞。


「……」


 時間が無いというのは分かっているだろうに……それでも迷う幼馴染を優しく促した。


「リーゼンロッテの怪我が深いよ。そこに倒れているシュトレーゼンって騎士も、もしかしたら間に合うかもしれない。使。時間を稼ぐよ、早く応援を連れて戻ってきてくれ」


「……!」


 …………そんな顔するなよ。


「……そうね。そっちの七剣はどうか分からないけど、そっちのうるさいのは生きてるんじゃない? 息を吹きかけただけだし。助けるんなら早い方がいいわよ?」


 話を合わせてくるのは、その方が都合がいいからだろう。


 この……胸が痛むような表情に感化されたわけじゃない――


 涙ぐむアンなんて……いつぶりに見るかな?


 いや……結構見てるよなぁ? …………ああ、でも――――



 ここまで悲痛そうなのは初めてかぁ……。



 アホのくせに。


 大きくなったよなぁ。


 大丈夫だと、安心しろと、いつものような笑顔を浮かべる。


 残念ながら表情は見えまいが……欠点とも言える唯一露出した口元が、微笑を称えている筈だった。


 グシグシと袖で涙を拭く幼馴染を待つ。


 赤く腫れた目元は決意に満ちていた。


「…………絶対に死なないで」


「わかった」


「…………直ぐに戻るから待ってて」


「勿論だ」


「…………約束したからね!」


 飛び放たれた矢のように駆け出したアンは、振り返らなかった。


 それが僅かながらもタイムロスになるからだろう。


「……ここであなたを殺したら、あの子の頭は私でいっぱいになるわね?」


「訪れない未来に想いを馳せるなんてロマンチックだな。少女趣味か?」


 示し合わせたように――――この分岐の奥へ奥へと歩み始めた。


 身に纏う黒が溶け込まんばかりの闇へと――


 一定の距離を保ったまま、軽口のような会話が続く。


「……逃げられないわよ? もう、あなたの顔も声も覚えたから。何処までだって追い掛けられる……追い掛ける」


「死に際だがいいのか? いつもの髪型にしなくて」


「留めていた紐が切れたからね。問題ないでしょ? 今の私にあなたが適うとは思えないもの」


 傲慢だな。


「分からせてやる」


「是非ともお願いしたいわね」


 足音が止まった。


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