第402話


 くたばり――――ッやがれ!


 纏わりつく大気を掻き分けて、響く音すらダメージに繋がりそうな拳を連続で放った。


 さすがのケルベロスと言えど生物としての道理からは逃れられないのか、背中から落ちた一瞬で即座に動くことは出来ず、拳で作った弾幕にむざむざと被弾した。


 道路工事のような音を響かせて踏み付けたケルベロスの巨体を余すことなく殴った。


 なにせこの巨体だ、手当り次第、目に付く大地毛皮の何処を殴ろうとダメージになるだろう。


 ――――だから! 速く! 落ちてくれえええええ!!


 割と耐久力があるのも顔面をぶん殴った時から知れている。


 現に三倍強化の強化魔法を併用で使用しているというのに、殴りつけている毛皮への手応えはゴムタイヤのようだ。


 そのうえ全力疾走時の無呼吸状態のような連打だというのに、残る二つの犬面からは苦悶の声が漏れている。


 そう、まだ意識がある。


 ……まだあんのぉ?!


 これが実物の魔物なのか幻なのかは分からないところだが、出来ればさっさと消えて欲しいと願う。


 もしくは――――


 チラリと流し見た視界には、望む通りの光景が映った。


 リーゼンロッテが聖剣の輝きを束ねてアテナの足止めをしている。


 屹立する光の檻は、もしかしなくても捕獲用の物なのだろう。


 背中に当たる斬撃が無くなったことから時間稼ぎが上手くいったのだと分かってはいたが、目にするとまた安心感が違う。


 その隙を突いて走り出したアンにもまた安堵だ。


 荷物を抱えての移動には文句を言いたいところだが……まあ、それが性分なのだと言われれば仕方ない。


 へっ、お人好しめ。


 動きに付いて来れなかったシュトレーゼンがワンテンポ遅れて魔法を放つ。


 明後日の方向へと飛んでいった火球が暗闇を晴らした。


 それも仕方ないことだろう。


 むしろリーゼンロッテとアンの方が良くやっていると言える。


 瞬間的な速度だったら、俺、犬、ポニテしか――――


「グオオオオオオオオッ!!」


 瞬時の思考を遮るように、ケルベロスの声が苦悶から怒りへと変わった。


 ケルベロスの体の上にいるのだ。


 攻撃に躊躇するのも計算の上――また躊躇しなくなることも然り。


 これ以上のダメージを見過ごせないところまで来たのだろう。


 腹を掻き毟るかの如く爪の一撃が、傷を負った背中を抉る。


 しかし連撃は緩めない。


「ギャワアアアアアアアアアアア?!」


「うるっせんだよ、さっさと沈め」


 こいつの手数の多さや警戒心を考えると、こんなチャンスは何度も無い……。


 ましてや第三勢力もいるのだ。


 時間稼ぎも長くは持たない筈である。


 どういう訳か、一段と強さを増したあのポニテが……真実、場の情勢を握っている。


 時間を稼いでいる間に撤退という方針だったが……予定はとっくに変更された。


 ここで三面犬だけは潰しておかねば。


 非戦闘員――――怪我人だけアンに任せればなんとか……。


 なんとかなれよ、頼むから。


 背中から流れ出る血の量に比例してケルベロスの掻く速度が上がってきた。


 大丈夫、まだ大丈夫だ!


 俺よりもお前の方が痛いだろ? 我慢比べなら負けやしない。


 なにも速度を上げれるのはお前ばかりじゃないと拳の回転率を上げる。


 あとちょっと……の筈!


 ここを越えるまで回復魔法は控えよう。


 重ねて使うと魔法の効果はそのままなのに使用量が上がるのだ。


 過去に強化魔法の併用時に風の魔法を使ったことがある――


 ごっそりと持っていかれた。


 ここを耐えて――――一瞬、一瞬だけ強化を解いて――回復する、そしたら――――



「――――イタッ?!」



 守るべき幼馴染の声に、反射的に視線を流した。


 抱えている人数を増やしたアホが、それでも俺達が来た通路へと駆け込もうとして――――足を止めていた。


 本人の意志じゃないのは


 壁だ。


 黒い鉄のような壁が、幾つかある分岐を覆っている――――


「アテナせんぱーい。……ハズレでした〜。はあ……散々っす〜。使ったのか隠したのかはわかんないんすけどぉ〜、ここにはもう無いみたいっすねえ……」


 は?


 聞こえてきた声に耳を疑った。


 そういえば賊は二人とかなんとか言ってたなぁ……。


 分岐部屋の更に奥――――未だ見えぬ暗闇に包まれるそこから、黒いローブの誰かが現れた。


 聞き覚えのある声は……否定したくとも本人がフードを外したことでそれを許さず――


 血のように赤い髪をローツインにした、深い緑色の目をした少女が顔を出す。


「ふーん。じゃ、帰れば? 私はもうちょっと楽しんでからにするわ」


「ダメっす〜。お仕事するなら最後までっすよ〜? 念の為、目撃者は消してくださーい」


「……まあ、元々そのつもりだけどね」


 光の檻の内と外で会話をするアテナとクソドS。


 気分を害したのは俺だけじゃなかったようで、対戦中である捕獲者のリーゼンロッテが言う。


「確かに……貴方の方が実力は上のようですが、それは生半可な技では破れぬ檻です。今まで繰り出した技と同じものとは思わぬことです。未だに私を侮っていると言うのなら……それも仕方ありませんが、驕りは早く捨てた方がいいでしょう。私は、決して貴方を逃がしません」


 ……確かに。


 その檻から感じられる魔力は一際強く――何か特別なものを感じさせた。


 しかし――


「いいえ、驕ってないわ。むしろ認めてるのよ? 私、あなたのこと『つまらない』って思ってたもの。確かに特別製みたいね……。合計で四年も使ってるのに、ビクともしないのには驚いたわ。だからこれは……私からの、あなたに対するはなむけよ」


 嫌な予感が膨れ上がる。


 素手に響く音の質が変わってきた。


 爪で抉られる回数も減り、ケルベロスの命はあと僅かのようだ。


 しかし死んだのか、死んでいないのか……消えないことだけは確かだ。


「……せんぱ〜い」


 責めるような賊の声が響く。


 もう――――!


 直ぐに行くべきだという直感に従って、連打を緩めた瞬間――――顔の一つが最後の抵抗とばかりに噛み付いてきた。


 自分の腹ごと、俺をあぎとへと収める。


 暗闇に閉ざされる瞬間――ポニテの声が耳に届いた。




「『死活生』、更に使うわ。――――さあ、踊りましょう?」




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