第399話


 ――――動いたのは一人と、一匹。


 僅かな動揺を見抜かれたのか、最初の攻撃よりも速くケルベロスが飛び掛かってきた。


 同時にリーゼンロッテがポニテへと聖剣を振るった。


 残光が闇の中に在々と軌跡を残す。


 反応出来たのもまた二人。


 結ばれた黒髪が体の動きに沿って跳ねる――――


 受け止められた聖剣と禍々しい気配を宿す大剣との攻防を最後まで見ることは叶わなかった。


 咄嗟に交差させた腕に、途轍もない負荷が加わったからだ。


 視界を黒く塗りつぶしたのは、犬の肉球に当たる部分だろうか――――


 ――――まッッッッたく、柔らかくないんですけどッ?!


 ミシミシと受け止めた腕から悲鳴が上がり、噛み締めた唇から血が溢れる。


 既に罅の入っていた床がこの一撃で更に罅割れ、潰れろとばかりに掛かる圧力に足が地面へと沈み込んでいく。


 ……洒落しゃれにならん!!


 鉄パイプを止めたような衝撃と痺れに、連続で受けるのは不味いと本能が訴えてくる。


 反撃にしろ躱すにしろと足に力を入れた。


 踏ん張った力をかすように唐突に負荷が軽くなる。


 『潰れなかったか……』と足を退かしたケルベロスが、今度こそはと間髪入れずに噛み付いてきた。


 今度は頭二つだ。


 ――それは悪手だろう?


 こいつの絶対的アドンバンテージは、覆すことの出来ないリーチにある。


 そしてまた逃れることのない不利も、その体の大きさ故にある。


 的はデカい方がいい。


 これ幸いと顔を突き出してくれるんなら――――!


 二択から一択へと方針を変更する。


 大地を掴む踏み込む力を腰から腕に、大きく動く犬面へと目掛けて拳を振り上げた。



 ――――スッと。



 それまでの勢いはどうしたものか――飛び込んでくるかに見えた犬面が後退をする。


 ブラフかよ?!


 空振った拳が颶風を生みながらも振り切られる。


 大気を叩く衝撃波も、そよ風のように目を細めて受けた犬面が――――赤く染まる口腔を開いた。


 直後に吐かれた炎は、瞬く間に視界を火の海に沈めた。


 バケツ三杯分の使い方を――


 炎が体を焼き尽くすより速く、弾丸のように炎の海を突き抜ける。


 ――見せてやろう!


 しつこく食らいつく炎が、頭上より現れた水を被ることで鎮火した。


 目ざとくも頭の一つが炎から逃れた俺を見つけ、距離があるにも拘らずその大口を再び開く。


 今度はパリパリという音と共に、口腔内に紫電が散る。


「――――『紅蓮焦球ファイヤーボール・ストライク』!」


 こちらに気を取られていた犬面の一つに、シュトレーゼンが唱えた火魔法が炸裂した。 


 一抱えはありそうな大きさの火の球が、頭の一つに三発も撃ち込まれる。


 着弾と共に爆音が上がった。


 戦争で見た火魔法よりも強力な爆発を有する火の球は、派手な爆炎と共にケルベロスの頭を炎で包んだ。


 シュトレーゼンが呟く。


「フッ、騎士の――……」


 続く言葉は、纏わり付いた水滴を払うように首を振るだけで炎を払ったケルベロスの前に消えた。


 しかしナイスだ! これで――


 飛び込むべく距離を詰めようとした俺に、しかし頭の一つが気付き距離を取られる。


 あっちも自分のアドバンテージが分かっているようだ。


 …………犬のくせに!


 腰溜めに拳を構えたまま、ジリジリとケルベロスとの間合いをはかる。


 僅かな膠着を待っていたかのように……大きく響く金属音の後で視界の端へとアテナが入ってきた。


 肩で息をするリーゼンロッテと細かい傷跡が目立つアテナ。


 傷の有無では圧倒的に押しているように見えるリーゼンロッテだったが、消耗度の差もまた明らかだった。


 ……長期戦は無理っぽいなぁ。


 頬に引かれた赤い線から垂れる血も気にせずに、目の前の相手も何処吹く風とアテナが見つめてくる。


 …………あれで隙が無いとかなんなんだろう?


 死闘を繰り広げているようには思えない声音で、ポニテが首を傾げながら言う。


「……う〜ん、思い出せないなあ。それだけ強いんなら記憶に残ってると思うんだけど……。私と斬り合って生きてる人って少ないから、ちゃんと覚えてると思うのよねえ。…………誰だろ?」


「そりゃ初めまして」


 父さん母さんありがとう、モブ顔って最高です。


 剣を降ろすことなく思案深げにアテナが続ける。


「ってことはさ? たぶん将来的に殺り合うつもりだった相手だと思うのよ? その時点で弱っちかったら、私も萎えちゃうから」


「いえ、自分なんてまだまだなんで」


 まだまだ徒手空拳の域を出ないんで。


 何かを思い出し掛けているアテナに冷や汗が垂れる。


 顔……見られてなかったよな? あのときと同じ黒ローブで、そろそろ身長も追い付きそうだけど……ってバレるわ?! いやいや待て待て? 黒いローブ着た奴なんて腐るほどいるから、……うん、大丈夫……。


 目を細めてジッと見つめてくるアテナに冷や汗が濁流。


「氣属性よねぇ……貴方。ぜっっったい、忘れないと思うんだけど?」


「いやいや……これは恐れ多くも姫様から承った魔道具の真価――――」


 …………あれ?


 バテ気味だったリーゼンロッテが、俺の言葉に顔を上げた。


 その表情は『うん?』という……何かおかしなことを言った奴に向けられるそれで……。


 アテナの方も『それは面白い』とばかりに笑みを深くしている。


「そう……氣属性の魔道具、ね」


 ……なんだその意味深な呟き方は。


 続く言葉は――――敵対している筈のリーゼンロッテから漏れた。


「……絶対に、ありえません」


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