第398話


 いやだって無理じゃない?


 威嚇するような唸り声を上げる三つ首の化け物から、視線を逸らさずに逃げ道を模索する。


 ややもすると最強レベルの魔物を前に、比較的にも落ち着いていられるのは……この『部屋』の特性故にだろう。


 部屋なんて言いつつも、ここは『デカい分岐』なのだ。


 いざとなったら、へと逃げ込めばいいという意識があった。


 本当に部屋よろしく扉があるわけでもなく、また『ボスからは逃げられない』なんて事態でも実際には無いわけで……。


 しかもここの床や壁は謎に硬すぎるファンタジーな素材で出来ているから、いつかの巨大髑髏とは違って無理やり這い出るなんて事も不可避だろう。


 まさかこの化け物相手じゃ、シュトレーゼン恋で盲目と言えども意地を張り通すわけが無い……よね?


 いや無いよ、無い無い。


 姫様の安全にも関わるし。


 鼻面をピクピクと動かして、こちらの反応を見ているケルちゃんは知能も高めのようだ。


 ……乗らねえよ、そんな挑発。


 三つある頭は、それぞれに警戒する相手を変えて、つぶさに動きを観察している。


 リーゼンロッテ、アテナ……それで新たに俺といったところだろうか。


 野生の勘でも働くのか、それはこの場に置ける戦闘力に正しく比例していると思う。


 犬は序列に厳しいって言うしねぇ……。


 嫌な察知能力だ。


 それでも救助隊が逃げられずにいた理由は……歴然とした余裕を漂わせるポニーテールの存在故にだろう。


 体力の残りがあまりにも違い過ぎる気がするな……?


 一日中走れるとかいう化け物アンはともかくとして……リーゼンロッテや残りの救助隊員の様子の方はギブアップ寸前に見えた。


 荒く息を吐き出して、指に引っ掛かる剣を頼りに、気力で立っているような有り様だ。


 手数や純粋な戦力じゃ、ポニテの戦闘狂を上回っているように思えるのだが……。


 だとすると原因はこの魔物の方にある。


 配置、立ち回り、目的意識……。


 なんにしろ使のだろう。


 対立上では三竦み的な構図だが、実際はていよく擦り付けられたのではないかと予想出来た。


 戦闘経験の違いは如実で、結果として余裕が見られるポニーテールだ。


 ダメージファクターとして地獄の番犬をけしかけられちゃあ、息も絶え絶えで仕方ない。


 それでも一人二人なら逃げられそうなものなのだが……そこはそれ。


 全員が騎士としてのプライドを持っていたとかいう理由なんだろう。


 互いが互いをフォローしたか? ……切り捨てられればまだ逃げ切れただろうに……。


 お陰様で幼馴染が無事だよ、ありがとう。


 だからこいつの相手はしてやろう。


 体温の上昇と共に生み出されるエネルギーに気持ちを乗せて、浮気性の三つ首の気を引くために足を踏み鳴らした。


 ――――轟音。


 先程から『行くぞ? 行くぞ?』と挑発を放つ黒犬の態度は上位者のそれだ。


 完全にナメている。


 ぶん殴られたというのに、首の一つでしか俺を見ていないのが良い証拠だろう。



 ナメんなよ?



 ズン、と――只の踏み込みを見せた足はしかし、これまでどれだけ黒犬が暴れようとも掠り傷すら付かなかった床に放射状の罅を入れ、研ぎ澄まされた戦意は三つに分かれた意識を俺だけへと集中させることに成功した。


 ――――こいつはこれで、速度特化の魔物だ。


 爪が生み出す真空波や、その巨体に似合わぬ動きの速さからしてもそうだろう。


 


 知能、攻撃力、防御力、速さ、手数にブレス……。


 折れた牙も大したこと無さそうなので、もしかしたら回復能力もあるのかもしれない。


 倒すのは無理だ。


 てかやってられない。


 このうえポニテまで参戦するなんて……考えただけでウンザリする。


「シュトレーゼン様、一旦下がりましょう」


「――」


 俺の声掛けに詠唱を続けるシュトレーゼンは答えない。


 しかし否定するような挙動でもないので、反対ではないのだろう。


 賛成な? 賛成……消極的賛成でも賛成だからな?


 既にケルベロスのターゲットは俺へと変更されている。


 頭一つに見つめられるだけでも肝を冷やすというのに…………三つは行き過ぎじゃなかろうか?


 世のワンちゃんに頭が一つしか存在しない理由がこれでハッキリしたね? 畜生。


 マジで助けてくれよ頼むぞ、アン。


 いくらなんでも、こいつの相手をしながらそっちのフォローをするのは無理だからな。


 未だ動けるリーゼンロッテがそのポニテを抑えているうちに……そのボロ雑巾共を通路に逃がしてくれよ――――


 体力が無尽蔵とも言えるマラソンお化けなら、それも可能だろう。


 大丈夫……幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染なんだから、さっきの遣り取りだけでこちらの意図を全部汲んでくれるさ。


 あれは『了解した時のターナーの顔真似』という高度な返事に違いないから。


 …………たぶん!


 だから懸念は一点だけだ。


 確認するように――チラリと横目でポニテの方を見た。


 さすがに地獄の番犬相手に意識まで逸らせすなんてことは出来ないが――


 それは相手だって同じこと。


 ――――そう思っていたのに……。


 その黒い瞳には、俺以外が映っていないように見えた。


「あなた……………………どっかであったことないかしら?」


 疑問もそのままに首を傾げる黒髪ポニーテール。


 先程の足踏みで、戦いの女神の名を冠する女の興味まで引いてしまったようだ。


 一途な程にこちらを見つめてくるポニテに、更に心臓が冷える思いである。


 …………ちょっ、戦闘中にナンパとかやめてくれます?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る