第397話
「い、今じゃないッ!」
何がよ?
化け物犬の前だと言うのに叫ぶボブカットの顔見知りに、疑問符を顔に貼り付けて首を傾げた。
やれやれ、緊迫感の無い奴め。
ケルベロスを挟んで向こう側、神々しい光を放つリーゼンロッテの隣りで小剣を構えるアンに詰問だ。
「お前、なんで来たの?」
言わずにはいられない台詞だった。
どうやって、とか、怪我は、とか……それこそ白服が姫様にした報告を聞いた時は、疑問や心配が際限なく湧いたものだが……。
普段通りの姿を見たら――――湧き出てくるのは、文句ばかりだ。
これも偏に『幼馴染』なせいだろう。
職場に様子見に来た家族に対するような邪険っぷりである。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
ほら、主任さんもお怒りだよ?
休憩所で『仕事先は遊び場じゃないんだけど?』という嫌味が出たら辞めるまであるのがアルバイトだ。
実際に辞職理由の半分ぐらいが人間関係と聞いたことがある。
もう姫様の下で下働きでもやろうかなぁ……。
ちょっとした豪邸のような巨体のくせに――身を伏せるように足を撓ませたケルベロスは、残像すら残さない速さでこちらへと襲い掛かってきた。
叫んだのはアンでしょう?!
文句を言う間も無く――文字通り瞬く間に距離を詰められた。
一本一本が大剣も斯くやという爪の付いた前足が、掬い上げるように振るわれる。
それと比べれば白服が持ち込んだ剣なんて小枝のようなものだ。
それでも剣を持ち上げて対抗しようと動くシュトレーゼンは大したもんだと思う。
――――でも今じゃないんだって?
爪と打ち合おうとするシュトレーゼンを横から押して跳ね飛ばした。
斬撃が真空を為し空間に切れ目を入れる。
決して届かない間合いだというのに――――空に描かれた斬線が壁と激突して甲高い音を立てた。
当たることのなかった爪の一撃を、しかし本犬は気にしていないのか二撃、三撃と続けて放ってくる。
対象は勿論……その場に残ることになったマヌケである。
身のこなしだけで爪の一撃を躱していく。
スレスレを行き交う斬撃は、回数を増すごとにその鋭さと速さも増していく。
……この犬!
手加減――というより様子見をしていたのだろう。
伊達に頭を三つも付けてねえな!
隙と見たのか……髪が汗で顔に張り付いている、いつになく余裕のないリーゼンロッテが、いつか見た光撃を放つ。
極限まで膨れ上がった光の球は――――…………俺ごと死ぬんじゃないこれ?!
極光を放つ剣に――――しかしケルベロスの頭の一つが反応した。
口を開いて放たれたのは、相反するような黒い極光。
ぶつかり合う白と黒が、暴風と衝撃波を撒き散らして相殺される。
ビリビリと波打つ空間に、耐えることの出来ない救助隊の人が飛ばされていく。
さすがに強化状態の俺でも影響からは逃げられず、壁の硬さもあって身を伏せてやりすごそうとするも――
大きく口を開いた頭の一つが降ってきた。
――――っぬ、テメエ?!
躾のなってない犬に上下関係を
練り上げた魔力が命令を受けて励起する。
「レン?!」
俺が食われるとでも見えたのか、悲痛な表情で叫ぶアンにリーゼンロッテの注意が俺へと逸れ――ケルベロスへの突撃を敢行させた。
しかし見物人さながらの距離を取っていたポニーテール――アテナがリーゼンロッテへと立ちはだかる。
先程よりは弱く、しかし確かな衝撃波を伴い互いの剣が交差した。
「ッ?! 邪魔を――!」
「――するわよ? 戦いってそういうもの――」
斬り結び、剣戟を交わし合うアテナとリーゼンロッテを置いて――――とりあえず降ってくる犬面を殴り飛ばした。
ボキボキという牙の折れる音に伴い――ぶん殴られた犬面の一つが、他の二つを連れて飛んでいく。
巨大な広さを持つ部屋に見合った巨体が――――それこそ室内で跳ねるボールのように飛んでいく様は、場に静寂を齎した。
「――――貴様ッ!」
斬り合う手を止めてこちらを注視するアテナでも、その隙を突けないほどに消耗しているリーゼンロッテでもなく――しかし
突き飛ばされたシュトレーゼンが、鼻の頭を赤くしながらそう声を掛けてきた。
カッとなったのも一瞬だったのか、状況は理解しているようで続く言葉もないシュトレーゼンに、まだ終わってないことを示すように巨体を起こした黒犬を指差す。
「大丈夫です、手柄を横取りとかしないので」
むしろ一人でやってくれ。
三倍で殴ってんだぞ? なんであんな『ちょっと痛かった』みたいなプライドを傷つけられたラスボスのような表情で立てるんだよ……。
あれが最終形態なのかな? 一回の変身ごとに首が一つ増えるとか……。
「ぐっ……! 言われるまでもない!」
なんて言いながらも飛び出して行かないのだから、まだ冷静な判断力が残っている。
ここで魔力を高め詠唱を始めたシュトレーゼンは最善の選択を取っていると言える。
ならばこちらもそれに応えるべきなのだ。
俺は叫んだ。
「アン!」
「ひゃ、ひゃい!」
「助けてくれ!」
「……」
援軍を求める至極真っ当なこの俺に、昔からの幼馴染である女の子は白い目を向けてきた。
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