第377話


「ここを往くのは……もう無理ではないか?」


「姫殿下、あまり覗かれませんよう」


 シュトレーゼンに抱きかかえられた姫様が、エレベーターの暗闇の奥を覗かんと扉から身を乗り出している。


 あ、あぶなぁ……。


 緊張から滲み出した汗と息が、ゆっくりと引いていく。


 わざわざ引き摺り込んでくれた騎士の人に頭を下げてお礼を伝えたあとで、未だ痺れが抜けない体に座り込んでいる。


 ロープは軒並み千切れたのか、エレベーターとは名ばかりの縦穴が上へと続いていた。


 俺だけで言えば強化魔法を使って登れるんだろうけど……。


 五十人となった集団が登れるかは疑問が残るところだ。


 頑丈なロープが無くなってしまった今、落ちてしまえば救える理由もないだろう。


「やはり罠が……」


「降りている途中じゃなくて助かったな」


「姫様の安全を考えるのなら――」


 白服の騎士の人達の話題も、もっぱらここを行くのかどうかというものばかりである。


「…………それで? うぬはいつまで妾を抱え続けるつもりか?」


「安全が確保できるまでは」


「既に危険は無い。早く降ろすがよい」


「ハッ」


 そんな中で逸早く状況を確認し終えた姫様が、自らを抱えていたシュトレーゼンに抗議の声を上げていた。


 忠義に暑い厚い騎士だなぁ……――なんて言い訳は。


 シュトレーゼンの瞳に映る隠しようもない思いを見てしまえば通じないものだろう。


 陶然とした……もしくは『今が確かに幸せだ』と感じさせる瞳であった。


 安全も未だ不確かな遺跡の中なのにだ。


 リア充が恋人に向ける……いわゆる『慈しむ瞳』ってやつだったよ。


 スラスラと出てきた言い訳に、頑として隠したいという気持ちも透けて見える気がした。


 シュトレーゼンの顔を見ていなかった姫様はともかく……他には気付いた人がいるんじゃない?


 なるべく自然に瞳を逸らすと『やれやれ』とばかりに眉根を寄せている副団長を見つけた。


 よくあることなのか、それともどうすることも出来ないと諦めているのか、特に言及はしないみたいだが……。


 いや、お前ロ――


 前世であれば相手を選べる立場であったろうイケメンのくせに、ギリギリで犯罪な線を選ぶあたり異世界ってば業が深い……。


 そりゃ善良な男子もハーレムハーレムって騒ぐ筈だよな。


 つまり全部異世界が悪いということで。


 馬に蹴られたくない派の俺としては、今の出来事をそっと心のゴミ箱に捨てることにした。


 ナンニモナカッタヨ?


 俺が愛憎渦巻く異世界恋愛物に蓋をしている間に、ここでも扉の先を確認していた大隊長が灯りの魔道具を片手に長い通路の先を戻ってきた。


「とりあえずこちらの通路は魔物も罠も……ついでに部屋の存在もありませんでした。ただ……」


 警戒に当たっていた白服に報告する大隊長が言葉尻を残して言い淀む。


「……どうした? 気に掛かることがあれば言って欲しい」


 騎士団と軍という恐らくは違う組織形態の上役であるというのに、どこか親しげな雰囲気を見せる副団長が大隊長の様子の変化に気付いて声を掛けた。


「はい。……どうも雰囲気が違う感じがします。道幅も狭く、元より灯りを取る機構が存在していません。つまり暗闇を行くことを前提に作られているとしか……」


 疑念に顔を歪ませる大隊長の言葉に、通路の天井や壁を確認する。


 …………ほんとだ、よく気付いたなぁ。


 元より停電しているという心持ちだったので、暗いのが普通だと思っていた。


 しかしよくよく確認してみると電灯の類いがそもそも見当たらない。


 この階層は最初から暗闇を行くように作られているようだ。


 それはまるで――――


「なんと。ダンジョンのようだな……」


 続く副団長の言葉に心の中で同意してみせる。


 まさに異世界の建造物(?)で思い付くところだろう。


 しかし騎士的にはおかしいことなのか、白服共がどよめいている。


 挙句の果てには、これまで会話に一切の口を挟まなかった白服の一人が、驚きから問い掛けるまでに至った。


「……行ったことがあるのですか?」


「む…………若い頃に一度だけだ。誰しもそういう時期があるだろう?」


 バツが悪そうに答えるのは副団長。


 どうやらダンジョンというのは貴族と平民で受け取り方が違うようだ。


 ……まあねえ、鉱夫みたいなもんだもんねぇ。


 探索者の扱いを考えれば、貴族からすると鉱山のような場所とでも思われているのかもしれない。


 ざわめき止まぬ白服達に、しかしこれ以上の問答は許されなかった。


「――――どうやら、その経験を生かす時が来たようじゃぞ? 妾達はここを行かねばならぬからの」


 会話に姫様が参戦したからだ。


 ピタリと騒ぐのをやめた白服は、よく訓練されているとでも言えばいいのか……。


 下手すればイジメにも見えるけど?


 代表して副団長が返事を返す。


「……若気の至りです。どうぞリーゼロッテ様にはご内密にお願い致します」


「瞳をキラキラさせて喜ぶと思うがの?」


「だから困るのです」


「了承した」


 あれ? 俺の時とだいぶ対応が違――あれ?


 ……まあ平民と貴族なわけだしね? 仕方ないよね?


 仕切り直しとばかりに副団長が口を開く。


「ここを行かれるのですか?」


「仕方あるまい? 他に道は無さそうじゃからの。それに……通例であるならば階段が存在している筈じゃ。ひとまずはそこを探すべきであろう。少なくともここを――」


 姫様がエレベーターを指す。


「――行くよりも安全じゃ。ここまでも通路は安全であったしの」


 あ、その言い方はちょっと……。


 脳裏に響く建設音が、何処からともなく聞こえてきた――


 きっと大きな旗が立つよ。


 俺、知ってんだ。


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