第376話



 またも暗闇の中を上へと目指して登っている。


「……いいか? 決して落とすなよ? 貴様が落ちようとも姫殿下だけは落とすな」


 さすが魔法がある世界だけあって言われることが物理法則を越えてくる。


「勿論です。たとえこの命に代えましても姫様だけは落とさぬよう心掛けます」


「よし」


「いや無理ではないか?」


 下から聞こえてくる声に真摯に応えているというのに、当の守られるお方は俺の腕に腰掛けて呆れ顔である。


 ……あの、せめて手だけでも服とか首とか掴んでてくんない? 落ちたいのか? 異世界なのに『落とすなよ?』のフリだとでも言うのか?


 先頭を大隊長に先行される形で……エレベーター登っている。


 おかしいなあ? エレベーターで登るって言ったら……俺の前世の知識が楽だと教えてくれてるんだけどなあ?


 暗所で狭所なエレベーター内部なんて、たとえ前世を生きた知識があろうとも初見である。


 意外と怖い……うそ、意外じゃなくても怖い。


 前世で見た映画だと上から個室が降ってきて扉との間にギロチンされたりプレスされたり。


 変わり種だと炎が下から登ってきてローストされたり危機一髪アウトだったり。


 とにかくよくない予感しかしない。


 なら早いところ登ろうぜと行きたいのだが……。


「しかし長いのう……」


「恐らくはかなりの深さだと思われます。我々の体感ですと、階層を歩いていた時間より降りていた時間の方が長かったので」


 姫様の声に逐一答えてくれるのは、シュトレーゼンと呼ばれた金髪の騎士さんだ。


 この人も近衛なのだろうけど……立場としては一段と上なのか副団長以外で唯一姫様の受け答えを担当している。


 俺のような平民には当たりも強いように思われたのだが……意外と姫様を立てていれば素直なイケメンといった感じだ。


 そこに身分差を差し込んでくるようなこともない。


 もう姫様の言葉が神の言葉ぐらい暑苦しいけど。


 エレベーターの機構が生きてないのは、登る前に下矢印のボタンを押したから間違いない。


 コソッと、しかし確実に押した。


 まさか異世界で「あれは何だ?!」をやることになるとは……。


 姫様だけにはしっかりと見咎められて白い目を向けられたのだが、衆人環視の中じゃ軽々と尋ねることも出来なそうだった。


 そうだね? せめて約束を守っている姿勢は見せなきゃね?


 ちょっとした意趣返しに少しだけスッキリしたが、エレベーターが降りてくることはなかった。


 まあ中の様子からして電気が通ってなかったみたいだから期待はしてなかったけど。


 しかし流石にドンドンと高度を増していくと不安にもなる。


 各階のスケールの大きさが、こんなところで足を引っ張るとは……。


 ワンルーム生活の庶民には逆に不便ですよ、ええ。


 まだまだ続くという上と、鈴なりに付いて来ている下を確認して溜め息を飲み込む。


 あーあー……こんなにいい的を量産しちゃってぇ……いま攻撃されでもしたら――――


 ガタン、と。


 掴んでいた金属製のロープが身震いするように動いた。


「……」


 俺と姫様は示し合わせたようにジト目である。


「うお?!」


「上に?」


「待て待て! ぶつかってるぞ!」


「下に下がるロープもあるん……ッ! 離すな!」


「動いてないのもあるぞ! 一旦はそれを掴め!」


 下は動き出したロープ……というかケーブルに大混乱である。


 何本か敷かれたチェーン代わりのそれは、上に動く物と下に動く物と変化の無い物に分かれている。


 命綱で繋がっている騎士達は、流石の腕力なのか、数名が動転してロープを離す事態になったものの落ちていくようなドジは踏まなかったようだ。


 少なくともそう見える。


 直ぐさま動いてないロープを見極めて掴み直した大隊長さんと、俺の真下に位置するシュトレーゼンさんは流石である。


 ただね……。


 ゴウン、という大きな物が動く独特な音が響いた。


 続いて聞こえてくるウィィ……という起動音、というか落下音。


 姫様の視線が白さを増してくる。


「お主……」


 いや違う。


 だって通電してない時に押したんだから無効だよ、これは決してボタンを押した俺のせいじゃない筈だ、あーうんうん、姫様はエレベーターの機構が分かってないから俺を疑うんであって、本当は違うけど原因を俺がコソッとボタンを押したことに求めたいんだろう? 違う違う、これは恐らく俺とは関係ない何か別のファクターがあると思うんだけど説明出来ないのは悔しくてしょうがないよ。


 互いに文句も言い訳も出来ない状況なのでアイコンタクト。


(どうにかせいよ?)


(かしこまり!)


 俺は先行している最も危ない大隊長へと声を上げた。


「大隊長! 下のそこの扉へ! 一時避難しましょう!」


 指差したのは、少し前に通過した……恐らくは図書館より一つ上の階層に続く扉。


 図書館が地下一階だというから、あそこは一階にでもなるんじゃないかな?


 まだ全然地下だけど。


「シュトレーゼン! 下の扉だ! 開けよ!」


「ハッ!」


 続く姫様の指示でシュトレーゼンさんがエレベーターの扉に飛び付いてパワー。


 やはり電気が戻ってきているのか、扉は中々開かなかった。


「皆も上がれ! 一時、この扉の向こうへと避難する!」


 この言葉に応えて、また近い何人かが扉へと近付きシュトレーゼンさんをサポートする。


 こういうときの権力者の言葉はいいね、行動が一本化されるから。


 落下者を早々に回収して詰めてくる白服の集団に、降りてくる大隊長。


 ――――しかし間に合わず。


 闇の向こうから個室が迫ってくるのが分かった。


 ――はや?! 速くね?


 急いでいるからか、エレベーターの移動速度が随分と速く感じる。


「ヤバい! 天井が落ちてくる!」


 逸早く気付いたのは、さすがの大隊長だったが……姫様の前とあっては飛び降りることも出来ず――


「――開いた! 姫殿下!」


「先に――」


「言ってる場合か!」


「姫殿下?!」


 小娘をポイッと放り投げるとシュトレーゼンさんがナイスキャッチ。


 確認した後で上へと上がっていくロープに掴み変えて己が身も上昇させる。


 手の内でロープを滑らせるように降りてくる大隊長と擦れ違った。


「――止めます!」


「任せた――!」


 交わす言葉少なく――必要な犠牲とでも思われたのか意志の共有がスムーズ。


 両強化を三倍に――


 迫りくる金属塊に肩から体当たりした。


 念の為にと出力を増したのだが、その判断が間違いじゃなかったと肩から伝わる重さが教えてくれた。


 ……普通、安全装置とか付けたりしない? 全力で押してくるやん?


 必ず潰してやる、必ずだ! とでも言いたげなエレベーター(?)の力にバーゼルでもリーゼンロッテでもペッチャンコになったんじゃないかと思う。


 力入れるところちゃうやろ……なに? ギミックは破壊されないを体現してるつもりか?


 しかしそれでも両強化の前に屈服したエレベーター(魔物)が、ギャギャギャッ! と耳障りな悲鳴を上げながら止まった。


 姫様の声が響く。


「彼奴に魔道具の使用を許可した! 今のうちに上がれ! 長くは持たん!」


 それはナイスフォロー!


「早くお願いします!」


 姫様に応えるような声を上げつつも、たぶん全員が上がり終えるまでは余裕で大丈夫――


 ガタンと体が一段下がる。


 別にエレベーターの圧力に押し負けているわけじゃない。


 …………紐だ。


 掴んでいるロープがミシリミシリと鳴いている。


「は――――早く早く! 早くお願いします! 死ぬ?!」


「私で最後だ! もう少し耐えよ!」 


 最後尾に着けていた副団長から励ましのお声を頂いた。


 圧力を分散させるために、動いていないロープにも手を掛ける。


 あ、ヤッバ…………これ、千切れてる? 千切れそう……! モゲる?!


 避難するために騎士の人達が力いっぱいロープを引いて上がってきているのだ。


 この世界の人達の異常な腕力を考えれば、恐らくは超過重量なのだろう。


 あ――――


 ミシリミシリと鳴っていたロープが、ビキッ、と限界の音を伝えてくる。


 ――――そこからは早かった。


 ブチブチブチと猫三匹。


 映画じゃ少し千切れてからも長かったのに?!


 急激に手応えを無くしたロープから手を離す。


 代わりとばかりにエレベーターの圧力が増した。


 押される――!


「――――全員上がったぞ! お前も――」


 継いで千切れたロープに落下が始まった。


 ――――いや飛び込める!


 しかし上から降ってくるエレベーターには挟まれるだろう。


 た、耐えられるかな? 大丈夫だよね? いややっぱ無理! 怖い!


 俺だけフリダシに戻るでいいだろ? 早く降りて、サッと避け――


「レ――」


 大隊長が扉から顔を覗かせた。


「――止めるぞ!」


 その言葉は、何故か説得力がある気がした。


「お願いします――!」


 エレベーターを蹴って扉へと飛びつく。


 何をしたのか――――大隊長の宣言通り、エレベーターは確かに停止していた。


 しかしそれも一瞬。


 俺が引き上げられると同時に、今までの鬱憤を晴らすかのように加速してエレベーターが下へと落ちていった。


 かなり深かったというのに……。


 鈍く大きな破砕音はここまで届いた。


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