第356話 *アン視点



『基地内環境制御室』



 なんて書いてあるのかな?


 部屋の入り口に掲げられている金属のプレートには、知らない文字が掘られていた。


 通ったであろう痕跡がまだ色濃く残る部屋の扉の前で、通路の前後を全員で警戒している。


 黙考しているのはリーゼンロッテ様。


 たぶんだけど……『追う』のか『先に進む』のかを迷ってるんだと思う。


 あたしが報告した『レンの居る方向』はこっちじゃなく、通路の先の方へと続いている。


 まだ下の方に感じられる気配から、居る階層が違うと分かる。


 でも階段の長さから予想して……こっちもたぶんだけど、あと一つか二つを降りる必要がありそう……。


 たぶん、恐らく、なんとなく。


 全部確定的ではない。


 ……賊は、遺跡の中を物ともせずに進んでいるけど、レン達の位置を把握してはいない感じがする。


 手当たり次第といった雰囲気なのは、残る足跡からもそうだろう。


 それでもまだ追い付けない。


 先に着く必要があった。


 それも――暑さと重さが増す前の話なんだよね……。


 このままじゃ……体力を消費した状態で、賊をお姫様の所まで案内しかねない。


 …………そういう心配をしてるんだと思う。


 階段が部屋の中には無さそうだというのは、ここまでの経験則からの判断。


 でもそれだって『たぶん』だ。


 追い越せそうなチャンスも、今を逃すともう無い気がする……。


 伸るか反るか。


 リーゼンロッテ様の口が開かれる。


「――――ここで叩きます」


 その言葉に、線を引いたような緊張感が訪れた。


 賊の実力を目の当たりにしているテッドも、その瞳に真剣さを宿している。


 騎士様達も各々の剣の具合を確かめるように握り直している。


 あたしは…………。


 未だに戸惑いを見せる感情に自分でも不思議さを感じているあたしを置いて、リーゼンロッテ様が続ける。


「隊を二つに分けることはしません。残念ですが、賊の実力は貴方達を遥かに越えると感じました。一人分の痕跡が未だに無いことから、別働隊を叩かれる可能性を危惧しています。どうも賊の方には目標を見失っている気配があるので……先行されていたとしても追い付けると判断しました。ここで一人、ないし二人の賊を叩いて、懸念の一つを払拭しようと考えています。異存は?」


「ありません」


 ボーマン様が代表して答えた。


 先程までの暑さで参っている様子は無く……決戦を前に控えた騎士様然としている。


 ああ……そうか、…………なんか、わかっちゃったかも。


 戸惑いの――モヤモヤの正体。


 それぞれ掛ける物があるんだ。


 『たぶん』。


 たぶん、おそらく、なんとなく。


 なんとなく――――あたしは、レンが放っておいてもお姫様を連れて無事に上がってくるものだと思ってる。


 戦争に行く前のあたしなら、もしかしたらそうは思わなかった。


 『たぶん』。


 でも今のあたしなら、それがしっくりと来ている。


 だから心配も少ない。


 皆……目的があって、背負っているものがあって……。


 だから『たぶん』強い、『おそらく』強い。


 …………いいな。


 しっかりとした芯のようなものが、この人達にはある。


 『たぶん』、テッドにも。


 テッドは……冒険者になって、強くなって、英雄になって、貴族様になるらしい。


 そういうこともあるのかもしれない……そう思っていた。


 でも一緒のパーティーなのに、どこか他人事で「凄い!」と言うだけのあたし。


 あたしにもあるのかな? 人に誇れる『芯』――――


 ふと記憶を探せば、戦争の最中に『しっかりしなきゃ』って思ったことがあった。


 チャノスとテッドを守らなきゃ、救わなきゃって思ったことが――



 ――――――――騎士かぁ……。



「――アン」


「ひゃい?!」


 リーゼンロッテ様の声に、心ここにあらずとしていたあたしは変な声を上げてしまった。


 恥ずかしくなるも責めるような視線は無かった。


 それどころかボーマン様ですら……少し優しげに見えて……?


 なんだろう? また何か聞き逃しちゃったのかな?


 リーゼンロッテ様が続ける。


「……アン。貴方は最後尾です。私達が全滅した時は直ぐに逃げられるように」


「…………え?」


 思いも拠らない言葉を投げ掛けられて、返事どころか頭の中が空っぽになってしまったように感じた。


「無論、そんなことはあり得ない」


 リーゼンロッテ様の隣りに立つボーマン様が言い添えてくれる。


「でもお前が一番体力が残ってそうだからな。念の為の役割分担だ」


「しかしいざそうなった時に、誰かが全滅を伝えに行かねば姫様の御身が心配されよう。これは必要なことなのだ」


「貴方が一番の『適役』だ。我々は騎士、まさか守る者を置いての撤退などあり得ない」


 次々と口を開く騎士様達の言葉に、辛うじてだけど頷きを返した。


 息を整えたテッドが肩を叩いてくる。


「ま、そんときは俺が時間を稼いでやるから! 安心して逃げろよ!」


「う、うん……」


 そ、そうだよね? いざという時のためだよね?


「それでは、行きましょう」


 念押しや確認をする前に、リーゼンロッテ様がそう告げた。


 『基地内環境制御室』の扉を警戒して開けるのはテッドの役割だった。


 ちょうど前と後ろが反対になったような陣形で、部屋に入った。


 ここもまた、入り口の大きさに合わず広くて大きな空間だった。


 部屋の中央に台座のような物があり、そこを中心として植物の蔓のような何かが部屋中に無数に伸びている。


 その部屋の景観もさることながら、溢れ出る冷気にも驚いた。


 ――――いや違う。


 この部屋の中だけ


 冷やされているわけじゃないと思えたのは、体に感じていた重さすら無くなったからだ。


 驚くあたし達に、声が響いてくる。


「ほ〜らね、来たでしょ? あんたが余計な提案するから消耗してるじゃない。私はピンの状態で殺り合いたかったのに」


「今日はアテナ先輩がサポなんで〜、あたしに合わせてくださいよ〜。あたしの戦術って、基本的には『待ち』ですから〜」


「貸し一つね」


「そもそもこいつら殺る必要がないからチャラじゃないですか〜?」


「追手の排除なんだから仕事のうちよね?」


「あ。……最初のちょっかいってそういうことだったんですか〜?」


「なんのことかしら?」


「白々しい〜。ゼロさんに怒って貰いますからね〜? しつこいですよー? あの人」


 部屋の中央にある台座の前に一人、腰掛けているのが一人。


 声や姿からして追っていた賊の二人で間違いない。


 居るとしても……一人は姿を隠していると思ってたのに……なんで?


 随分と力の抜いた会話を繰り返しているけど……そこに見えるのは緊張感の無さではなくて――――『慣れ』。


 日常の一部を争いと定めている人のそれだった。


 神父のおじさんや、戦争であった冒険者と同じだ……。


 台座の前に立っている――ポニーテールの女の方が、戦意を昂ぶらせているこちらの面々を睥睨すると、酷く自然な仕草で剣を抜き――


「じゃ、殺ろっか?」


 道端で挨拶を交わすような調子で言い放った。


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