第354話
念の為にと、開いている本以外は触らないことにした。
「重要な文献なら、それだけ罠の可能性もありますしね」
「むむ。……無念じゃ。王族に関する秘事が記してあるかもしれんというに」
むしろそんなこと知りたくないからこそ、危険を理由に読まないようにしてるんじゃないか?
こんな引き出されて適当に積まれた本にまで罠を警戒しても仕方ないけどね。
抜け穴に使われていた未知の技術もあるからと言ったら、用心深い姫様はあっさりとこれを了承。
眺められるだけの範囲での読み取りとなった。
「それに絶対ちょっとで終わる気もしませんし」
「それは妾にも否定できん」
ちゃっかりと嘯く姫様は、ご自分の性格をよく知っていらっしゃる。
斯くいう俺も、その気持ちは分からんでもない。
……特に逃避したい時は捗るんだよなぁ。
今とかまさに。
そんな訳で落ちている紙や書き掛けの書面、そして意味ありげに開いている謎の本の一ページが読み取れそうなところ。
文字が理解出来れば、という言葉が頭に付きますけどね……。
「これは…………無駄なのでは?」
光球に照らされる床に散った紙に、姫様が目を落としているが……。
書かれている文字はやはり日本語でも母国語でもない。
「いや…………そうとも限らぬ。何故そんなことをしておるのかは分からぬが……所々で古代語を使用しておる。しかし全部ではないの。何故か、色々な言葉を混ぜて使おうておるようじゃ。……ふむ。文章として読ませぬためか? 透かしの紋章といい、随分と用心深いの……」
「……これとかも?」
最初に見つけた紋章入りの紙を指差すと、姫様は首を振った。
「それは古代語ではない。分からぬ」
「こっちは?」
「それには『降りし』『残りし』と書いてある。次の単語は読めぬ。……これは難解じゃぞ? 幾つもの言語を絡ませることで暗号のようになっておる。そのつもりが有るか無いかは分からぬが……読ませるつもりが無いのは分かった」
つまり…………。
『降りし神』『残りし神』か。
ていうか姫様は古代語読めんのかい。
非常にマズいぞ……。
これが日本人……もしくは日本語を知る誰かが記してあるのは確定してしまったから。
だって漢字だけじゃないもの。
他にもカタカナや和製英語っぽいのも混じっている。
繋げるとそれっぽい言葉になりそうなことから間違いなさそうである。
…………いや、でもたぶんこれ日本人が書いてるよなぁ?
遺跡の入り口にあったシャッターや合い言葉っぽい『風林火山』もそうだが。
なにより色々と言葉を混ぜるという習性に、どこか日本人臭さを感じる……。
昔は無かった『チルってる』などの造語の作成や、単語に対する流行り廃りをメディアで取り上げたりする国民性は、日本独特の物だろう。
それにしては訳分からん文字列だが。
姫様もそう思ったのか、足下をマジマジと眺めていた顔を上げてテーブルの上に視線を移した。
「それにしても中途半端なところで投げてあるの? 本は開いたまま、書き掛けの書面を残したまま……。ここの主人は書面を書いている途中に戻れぬ理由ができたのか……」
湯気の立つティーカップまであれば完璧にミステリーでしたね。
でも。
「書くのに飽きたとかじゃないでしょうか?」
「そんなわけあるまい。栞も挟まず行っておるのじゃぞ? 余程慌てておったに違いない。あるいは……それがここを『遺跡』とした理由かもしれぬ」
得意気に頷く姫様には悪いけど、俺も割と本は開いたまま放置できる派なので……そこはなんとも言えない。
むしろこの散らばった紙からしてズボラな印象があるのだが?
肝心なところで育ちの良さを出してくる姫様に、『この娘、あれだな……詰めが甘そうだよな』なんて思う。
そういえばこいつ、輜重隊の娘程度に命を落とし掛けてたなぁ……。
悪運は強そうだけど。
しかしそうと決まればやることは一つ。
俺は、
「流石は姫様ですね。俺には思いもよらない理由でした。鋭い観察眼、弛まぬ考察。私にはとてもとても……」
「その言い様で馬鹿にされておるのが分かった。妾は何か的外れな事を言ったようじゃの。もうよい。真相の究明は後じゃ。……ふん! そもそも書き掛けの機密書類をそのままにしていく者の精神など読み解けぬわ!」
何故か秒でヨイショがバレた。
「これじゃ、この開いたページの方が有用そうじゃ。なにせこちらは全て古代語で書いてあるからの! ……妾は全部読めるが? お主は読めるか?!」
しかもめっちゃマウント取ってくる。
「いえ全く読めません」
体を寄せて覗き込んでみたが、こちらはサッパリ読めなかった。
遣り取りに満足したのか元よりの聡明そうな表情に戻した姫様が、その古代語で書かれている書籍に目を通す。
「うむ。こっちには…………」
精神を侵す病的な個人の趣味とか書いてないよね? ……あれ? なんか黙っちゃったけど? あれ?!
真剣味を増す姫様の表情に、体を震わせる従者である。
「これは…………魔導書じゃの。恐らくじゃが……」
「それは……精神に被害を及ぼす系の?!」
薄いアレ的な?!
「それは流言飛語の類じゃぞ? 魔導書というのは、一廉の魔法を納めた魔法使いが、己の魔法について纏めた書物のことじゃ」
俺も全く同じ意味で精神を侵す書物のことを言っているが?
あの
一人戦慄する一兵卒を置いてツラツラと本のページに目を通していた姫様が、一通り読み終えたのか顔を上げて溜め息を吐き出した。
「……ダメじゃ。読めはするが理解はできん。恐らくかなり高度なことが書かれておるとしか……。信じられん。この魔導書一つとっても国宝級じゃぞ? とてもこんな扱いを受けるような書物ではないのじゃが……」
「じゃあ終了ですね? とっとと上に――」
「待て。内容は既に覚えたが……まだ何かあるかもしれん。というかこれだけでも持って帰りたいわ。想像以上の遺跡じゃぞ? もしや本当にルフトの印士の――」
ブツブツと続ける姫様は
まさかの一ページ堕ちです。
これにはどうしたものかと視線を流すと、机の上に散らばっている紙の一番上――――最後に書いていたであろう書面に知っている名称を見つけた。
「ラフ――?」
思わず呟いた言葉に姫様が反応する。
「なんじゃ? 読める文字があったか?」
しまった。
これはマズい……。
今読み上げた文字は……恐らくは古代語と思われる単語に振ってあったルビだ。
これは日本語、というかカタカナを読めるとバレてしまうパターン……!
アタフタと誤魔化すべく焦る俺に、単語を見つめた姫様は溜め息。
「……別に対抗せんでもよいぞ? 妾も少々大人げなかったやもしれんが……これは『炎獄』と読む。ラフ? なんちゃらではない」
…………うん?
疑問をそのままに姫様が答えた単語を今一度と指差した。
「『炎獄』?」
「『炎獄』じゃ」
そのまま七つある単語に指をスライドしていく――――
律儀にも姫様が一つ一つを答えてくれる。
「『炎獄』『水天』『命樹』『轟雷』『文字が欠けて読めん』『残影』――――――――
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