第330話 *アン視点
「えええええ?! レン……落ちちゃったの?!」
「……すみません。こうなった責任の一端は私にあります」
言われて振り向いた峡谷の奥は……いくら月明かりが差し込もうとも黒に塗られて見通せなかった。
お、落ちちゃったの? あそこに?!
関係者だけと少し離れた所で話された話は嘘みたいなもので……。
でも村の皆や……テッドすら否定しないところを見るに、落ちたのは本当なんだろう。
僅かに大峡谷に近付いて、恐る恐ると下の方まで覗き込む。
「うわ、凄い……こんなところに落ちるとか、あたしなら死んじゃう……レン、平気かなぁ?」
真っ暗だし、縁に立つだけで震えが来そうだよ……。
ここに落ちるとか……何をどうしたらそうなるんだろう? ……いや聞いたけど。
「……アン? 何か……平気そうですね?」
「え? あ、はい。いや、いいえ! ここの端っこに立つのは平気じゃないですよ?! いくらなんでも怖いと言いますか……」
「そうではなく」
うん? じゃあ、どれだろ?
「平気……なのですか? レライトが死んだと聞かされて」
「え? ……えええええええ?! レン、死んじゃったんですか?! 落ちたって話じゃ?!」
「いえ……そこに落ちたのですよ? これまで帰還者はいないと言われる大峡谷の底へ。それはつまり……」
「――テトラ」
言い淀むリーゼンロッテ様にターナーの言葉が被さる。
「……どう?」
「え、うん。大丈夫だよ。クロちゃんの友達が追い掛けたら、ここに入っていったんだって。だからここで待ってたら、帰ってくるんじゃないかなぁ? そしたら今度はあたしも一緒に遊――」
「待ってください。何の話をしているのでしょう? 今はレライトが大峡谷に姫様と諸共に落ちた、という話だったと思うのですが……」
「もう! 本当だよ! ターナーもテトもなんの話してるの?! 今はレンが落ちたって話してるのに!」
遊びに行く話なんてしてどうするの?!
「いえ、アン。貴方も……まるでレライトがまだ生きているように話してますよ? でしょう?」
「え? はい。だって生きてるし……」
そう、レンは生きてる。
それは分かる。
「どうやって谷の真ん中からこっちまで移動したのかは分からない……っていうか、よく考えたらどうやって生き延びてるのかも分かりません! けど……」
レンは確かに生きている。
テトがペシペシと叩いた地面にあたしも手を付けて、リーゼンロッテ様に続きを話す。
「この……ずっと下の方に、レンの気配があります。時たま膨れ上がるからよりハッキリと……だから、間違いなくレンは生きてます」
リーゼンロッテ様の目が見開かれる。
……え? 変なことじゃないよね? 気配を感じるなんて当たり前のこと、誰だってやるだろうし。
強く為れば為る程に、その精度は上がる。
冒険者をやってるんだから当たり前の技術、だと思うんだけど…………。
やっぱりリーゼンロッテ様は騎士だから、必要とする技術じゃないから知らないとかかなあ?
驚いた表情のリーゼンロッテ様が口を開く。
「それは『氣――」
「レンが生きてるのか?!」
「うわあ?! なっ、テッド?! お、落ち着いて! み、皆見てるから……!」
リーゼンロッテ様が何を言ったのかは、突然掴み掛かってきたテッドの声が被さって聞こえなかった。
ち、近いよ……?! ……いつぶりだろう? テッドの顔をこんなに近くで見るのは……。
僅かに涙の跡が残るテッドの瞳は、あたしと違って青々と輝いている。
「いいから! そんなことより! レンが生きてるってのは?!」
「う、うん。生きてるよ。動いてる。でも分かるようになったのは少し前からだから……近付いて来てる。ここの下の方……」
お仕事だって聞いてたから、てっきり……中で働いてるもんだとばかり。
「よし! じゃあ――」
「待って待ってテッド! それよりも! えっと……リ、リーゼンロッテ様は気配とか分からない感じ……なんですかね?」
「うっ……そうですね、まだそこまでの修練は積んでいません」
「あ、やっぱり。もしかして他の騎士様とかもそうなんでしょうか? じゃあ……」
森にずっとある二つの気配はなんなんだろう?
ネルって人に飛ばされてから、ずっと感じていた。
神父さんよりも、もっと怖い気配……。
静かに――――腰に付けた剣帯から剣を抜く。
あたしの様子が変わったことに気付いたテッドが声を掛けてくる。
「アン?」
「テッド、詠唱。リーゼンロッテ様……ここに居たのは全軍なんですよね? 騎士様も領軍も合わせた全部……見回りや警備が森に居たということは無いんですよね?」
「……報告では、無いとなっています」
僅かに近付いてくる二つの気配に、リーゼンロッテ様も気付かれたのか剣を抜く。
あたし達の国にあると言われる七つの秘宝――――その一つ。
……暖かな光が、何処か懐かしさを感じさせる『光』を冠された聖剣。
溢れた光に反応するかのように、闇から声が飛んでくる。
「ほ〜ら〜。先輩が『試す』とかなんとか言うからっすよ〜? 先輩、今日はスカウトじゃないんすから。自覚してくださ〜い」
「別に構やしないでしょ? 『光』の聖剣持ちは取り引き先が言うには『取り込めない』って話らしいし。サービスよ、サービス。……七剣、やってみたかったのよねー」
「本音漏れてるっす。やるとしても遺跡探索が終わるまで待って欲しかったっす〜。自分達で回収するなんて面倒じゃないっすか〜」
「姫様とやらが死んだんならなんとでもなるでしょ。次は取り引き先が仕切る段取りだし。タナちゃんにお土産よ」
「形が残ればの話っすよね〜? はあ……あたし『光』と相性悪いんで、他の七剣の人にしてほしかったっす。……それかゼロさんが付いてきてくれたら良かったのに〜!」
聞こえてくる会話の端々から不穏な気配を感じる。
「ターナー! テト! 下がってて!」
「……来ますよ」
リーゼンロッテ様が構える中で、ザクザクと……最早聞こえても構わないと足音を響かせて一人が出てきた。
月明かりに照らされるその人は、褐色の肌に黒髪をポニーテールに纏める……冷たさを黒い瞳に宿した女性だった。
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