第七章 古史探々 中

第317話


 細長く切り取られた空が段々と小さくなっていく。


 ――――マズいぞッ! 対岸は?!


 吹き荒ぶ風の中で荷物を抱えながら、なんとか姿勢を維持して向こう側は他国だという崖へと目をやる。


 しかしそちらも随分と遠く、また遺跡がある自国側の崖すら既に手が届く距離ではなかった。


 大峡谷の中程まで押し出されたようだ。


「……これは参ったのう」


 なんとか抱え上げている姫殿下が腕の中で腕を組みながら嘆息を吐き出す。


 しかしその表情も言葉も、状況に則さない程に軽い。


 さっきからそうなんだけど……なに? 王族って死ぬ間際でも平静としてなきゃなんないの? どういう教育を受けたらそんなにメンタル太くなれんの?


「姫。状況は悪く……」


「わかっておる。何もお主を責めやせん。既に二度も……。とにかく何度も命を救われておるのに、お主に対して責を求めるほど妾は厚顔ではないぞ? 仕方ない状況であろ。ここで命を落とすということは……妾がそこまでの器だったということじゃ」


 あれ? ……いや確かに言い訳から入ったけどさ? なんというか……『覚悟は出来てますか?』的な問いじゃなかったんだけど。


 覚悟完了的な返事を貰ってしまい……今更、『これって俺悪くないですよね? 罰せられるとかないですよね?』とは聞けない。


 小市民が保身に走っている中で、難しい表情の姫殿下が続ける。


「むう。やはりリーゼちゃんを連れてくるべきであったか……。しかし『七剣』がどの陣営に与しているかハッキリせんことには、『護衛』は『監視』の意味合いを持つしのう。ディラン伯爵が妾の派閥にはあるが……に虫が巣食うておっては気分良く食事も出来ぬではないか。そう思うじゃろ?」


「姫。やっぱり動揺してます?」


「ただの反省じゃ。次に活かすためにの」


 次もクソも……終わりオブ終わりみたいな状況だっていうのに……。


 やっぱどっかおかしいんだな、王族。


 友達にはなれない。


「お主が気になるのなら、反省もここらで終いにしておこう。さて……


 ギクリ。


 一瞬の間を、下から吹き上げる風が髪を逆立たせていく。


 僅かな沈黙の後で、俺はこれ見よがしに苦悩を負っているような溜め息を吐いた。


「姫……我々は」


「随分と余裕があるな。お主……毒に侵されているにしては受け答えがハッキリし過ぎではないか? その速さも機敏という言葉では利くまい」


「……いや、短剣に毒は」


「塗られてないということはあるまい。王族を屠ろうとする暗殺者の扱う刃物じゃぞ? それは言い訳にしても辛かろう」


 沈黙に風の音が響く。


 ――――これはもう、命を盾に脅すしかねぇな……。


 次いで口を開いた時には悪い顔をしている自覚があった。


「と、取り引きしませんか?」


「聞こう。…………しかしの? 些か状況が悪い。一度落ち着いてから話し合う、というのはどうじゃ?」


 ぐっ?!


 まずは脱出に際して口利きを貰おうと思っていたのに……状況を逆手に取ってきたぞ?


 結構頭が回りそうな子だなぁ……。


 フラッシュバックしたジト目さん程ではないと思うけど。


 しかし確かに……既に風晶石の範囲を抜けて、今はただただ下に落ちるだけとなった。


 いつまでも落ち続けるわけにもいかない。


「……絶対にあとで聞いてくださいよ?」


「二言はない。では、やるといい」


「……やっぱり無しとかはやめてくださいね?」


「……意外としつこいのう、お主。実は死にたいのか?」


 いやいや念押しはモブの必須技能みたいなもんだから。


 息を吐き出して気持ちを切り替える。


 には、更に強化魔法の倍率を…………。



 瞬間、嫌な予感が走った。



 ……練り上げた魔力は充分で、恐らくは来るだろう痛みにも覚悟を決めていた――


 しかしそれとは違う、幾度となく襲われ……そして正解を示してくれた『勘』の方だ。


 そこに踏み込むべきじゃないと言っている。


 それと……。


 ――――――――やめとけ


 ……? なんだ? なんか……とにかくやめといた方がいいような――


「…………お主、本当に死ぬ気ではあるまいな?」


「え? ……あ、いや、ちょっと集中が必要で」


 ――――作戦変更だ。


 両強化の三倍でもで空を蹴りつけるぐらいは出来る筈……!


 そのためにもまず――


 再び回復魔法を発動して体の熱と痺れを和らげると、次いで右足で渾身の踏み込みをして減速に努めた。


 よし、掴める……!


 大気に打ち付けた足の裏が、確かな反動を返してくる。


「……おお?! なんじゃなんじゃ? お主、凄いのう! もしや空も跳べるのではないか?」


「いや流石に空飛ぶとか……そりゃもう人間じゃないじゃないですか」


「そうかもしれん」


「「ハハハハハハ」」


 顔を見合わせて空々しい笑いを互いに響かせる。


 こいつ……なんか探って来てんな?


 既に回復魔法は見せた……もしかしたら見られていた可能性もあったので、ここまではいい。


 しかしここからは……。


 いい笑顔の姫様が訊いてくる。


「して? 次はどうするのじゃ? まさかこのままゆっくり降りるわけではあるまい」


 このままゆっくり降りますとか言ってやろうかな……。


 既に天井が見えない程に降りてきた、更に底に何がいるのかは分からないのだ……このままというわけにもいかなかった。


 なので奥の手の二を切る。


「――おお?」


「しっかり捕まっててください」


 唐突に吹いてきた強風が、俺と姫様を自国側の壁へと追いやる。


 …………これは自然の風を言い張っても大丈夫だよなぁ?


 詠唱を唱えてないので、ワンチャンあると思うんだ。


 この賢そうな姫様が、昔のアンばりにアホさ加減を発揮してくれれば……ね。


 グングンと迫ってくる壁に、なるべく衝撃を殺そうと足の裏を向け――



 ――――そのまま壁を打ち破り、内側へと落ちた。



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