第316話


 念の為にと強化魔法を発動したことで――――気付いた。


 


 恐らくは上層部からして共有された情報に、第二王子殿下の遣いとやらが危険だとあったのだろう。


 騎士団を迎え入れる際に軍隊がドタバタと動いていたが……どちらかと言えばを警戒する動きだった。


 その遣いという軟禁状態にあった四人は勿論のこと、外から侵入しやすいという理由で……にも監視の目を向けられていた。


 全隊の整列は、そういう目的もあってのことだったと思う。


 なにせやってくる人物が人物だ……油断したじゃ済まされないことは間違いない。


 だから――――ネルさんが隊列から離れたのも、考えようによっては不思議ではなかった。


 信頼された何名かが内偵のような役割を担っているとしたら……尚の事。



 しかし強化魔法の発動が、その考えを覆した。



 魔法を発動するまで、彼女の動きに気付けなかったのだ。


 つまり普通の感覚では変に思えなかった追えなかったということになる。


 あり得るだろうか? こんな整然と並んでいる中で、離れていく彼女を見失うなんて……。


 強化された感覚に辛うじて引っ掛けるネルさんを――目で追ってしまったのは自然な流れだった。


 聞こえてきた大隊長と騎士団の代表の会話からも、彼女を追うという決断に拍車を掛けた。


 心臓の音、走る足音、短く浅い呼吸の音……。


 どれをとっても誰よりも静かで、またその動きは意識の隙間を縫うように誰の目にも止まることなく……。


 ――――フラッシュバックしたのは、暗がりの向こう……。


 夜の静寂に隠れる最後の一人。


 最後尾という並びと、姫殿下に集まる注目が、俺が列から離れることを可能にした。


 一つ上げた両強化魔法の威力が、易々と俺を運んでくれる。


 全隊を遠目に大回りして、近衛が護る姫殿下が見える位置へ。


 見覚えのある生意気そうな姫殿下とやらが……手綱を


 そういう役割だと言われればそうなのだろうけど……しかし本当にそうなのか?


 輜重隊の彼女が馬番というのは分からなくもない……。


 受け取る瞬間が、一番のチャンスだ。


 疑念が心臓の音を加速させ――――何事もなく姫殿下の労いの言葉となった。


 しかしその後にあった遣いとの応答が、懸念を払うどころかますますと深めてしまう。


 まるで注目を……前に前にと寄せているようであった。


 誰もネルさんに注目していない。


 俺しか彼女を見ていない。


 しかし流石に王族というだけあって、四方をしっかりと近衛兵に固められている。


 彼女が手綱を受け取る時も……なんなら姫殿下よりも近かった程だ。


 その近衛兵の注意が、注目が――――


 『危険』だと思われている四人へ注がれている。


 ……気のせいか、僅かに護衛が前のめりだ。


 姫殿下と第二王子殿下の遣いとやらの遣り取りは、ますます怪しげな方向へと転がっていく。


 火晶石が見咎められたことで近衛は迅速に動いた。


 早々に取り押さえるや否や、火晶石を使用不能するべく取り上げたのだ。


 それでも万が一を考えたのだろう。


 我が身を盾にと殿躍り出て……自然、押し出されるように下げられた姫殿下が、誰も護る者のいない――ネルさんの待つ方へと――――


 一瞬で詰められる距離だった。


 それでもギリギリ間に合うかという速さ。


 思わず剣を手の平で掴んでしまう程のタイミング。


 まだ心臓がバクバク言っている……。


 あわや村の徴兵者含め、全滅の憂き目に合うとこだったんだが……?!


 目の前にいる五人目――ことネルさんは、常からそうだという表情のまま……一切の力を緩めることなく剣を押してくる。


「本当に驚いているであります。確実に殺れたと思ったのですが……。力だけでなく、動きの方も風のようでありますなぁ」


 ……まるで世間話をするような雰囲気のまま話し掛けてくるネルさん…………怖っ?!


 そのうえでギリギリと剣を押し込んでくるんだから……どうしよう、女の人恐怖症になっちゃう……。


「伏兵でありますか? これは抜かりました。まさか徴兵の中に駒を埋もれさせているとは……考えが足りなかったであります」


 背後から姫殿下の声が響く。


「ふむ……。そのようじゃな。何も送り込むことが出来るのは、お主らだけではないということじゃ」


 え?! 何言ってんのお前?!


 別に伏兵でもなんでもなく……こちとらボランティアみたいなものですが?!


 つか早く下がってよ?! そして近衛さん、今のうちだよ?! やっちゃって!


 こちらに気付いた周りが俄に騒ぎ始めたというのに……変わることのない調子でネルさんが続ける。


「しかし……この力は些か異様ではありませんか? を出しているつもりなのでありますが……」


「勘違いじゃないですか?」


 ちょっ、偉い人の前でやめてくれます?!


 ――――確かに、これが『三倍』でなかったら止められたか微妙だ。


 それだけ剣を押し込む力は強い。


 その分、こちらも押し返しているのだが……いかんせん予定と違って剣が壊れない。


 丈夫過ぎないかね? この剣……。


 しかも――


「……おかしいでありますな? 毒も効かないのでありますか?」


 やっぱりかよ、くそったれ。


「たぶん塗り忘れだよ、うん……そうに違いない」


 強化した体にも効く毒ってなんだよ?! ちょっと手の力が十全じゃないんだけどお?!


 おまけに痺れと目眩も若干……。


 後ろから声が飛んでくる。


「姫様! お下がりください!」


 それは俺も刃圏に入っていやしないかなあ?!


 怪しき者は生かさず! の精神の元に、二人纏めて剣で薙いでやるとばかりに近衛の一人が剣を振り被り――――


 ネルさんが鍔の無い短剣――ナイフのような何かを投げた。


 その速度たるや目に止まらず、放っておけば露出している近衛の顔の中心に当たっただろう。


 飛来した短剣の柄を握り込んで止めると、そのまま横薙ぎに振られた近衛の剣も、掴み取った短剣で受け止めた。


 ドヒュ、という空気の抜ける……投げた音が遅れて響き、近衛の剣を受け止めた甲高い金属音が後に続いた。


「……更に驚きであります」


「……それはどっちに?」


 ナイフの方か?


 それとも――――片手になった隙を見逃さず押し込んだ剣が微動だにしなかったことか?


 ギリギリと腹に押し込まれる剣は、この一幕の間にも動かない――――動くわけがない。


 確かにネルさんの力は異様だろう。


 恐らくは当時のダンジョンの英雄バーゼルを越えた力がある。


 ……こんな華奢なのに。


 人は見掛けによらないものだ。


 だから――俺のような優男が巨大な髑髏が振るう剣の一撃のような力を受け止めたとしても……それはあり得ることなのさ。


 成長した身体能力に『三倍』と『三倍』を掛け合わせているのだから。


 本来なら拮抗すら……!


 しかし手の平を滑る血と、体に回りつつある毒が、相手を優位に立たせているようだ。


 それでも差し引き……ややマイナス。


 ジリジリと手の平を滑る剣に集中していると、剣を受け止められた近衛が叫んだ。


「おのれッ!」


 そりゃこっちの台詞だよ!


 受け止められた剣が押し込めないとしているのはネルさんだけでなく……ギリギリと鍔迫り合いを演じていた近衛の人が、痺れを切らしたのか勢いを付けるために再び剣を振り被る。


「ちょっちょっちょっちょっ?!」


「――やめよボーマン。其奴は味方じゃ。下がれ」


「……は? いや、しかしそれは……」


 いやテメーが下がれや?!


 護衛である近衛兵が、敵を目の前にあるじの後ろに下がるとか出来るわけねえだろ?!


 振り被った剣を止めてくれたのは嬉しいんだけど、姫様は安全な場所に行ってくれるとありがたいかなあ?! 王都に帰るとかどうだろう?


「姫様! お下がりください!」


「姫様!」


「殿下!」


 意見を同じくする騎士団の団員や近衛が、こちらを包囲せんと囲んでくる。


 よし! 勝てる……!


「レーンッ!」


 頼むから出てくんな……!


 問題は動くべきなのかどうかと躊躇している軍の方にもあるようだ。


 ここで加勢させるわけにもいかないのは、ネルさんのような裏切り者を警戒してだろうけど……。


 大声で身バレを叫ぶ幼馴染ってどうよ?


 まあ、今回はフードも被ってないし? いいけど……。


 列を離れた時点で身元がバレるのは承知していた。


 俺達が並んでいた輜重隊は恐らくネルさんの担当区分だけど……もはや信用されるわけがない。


 取り調べとなった時に列を離れて何処にいたのかをハッキリしていないと……下手すれば仲間だと疑われる可能性すらある。


 身を呈して暗殺者を止めたとあらば、流石に斬られることはないんじゃないかという算段。


 ……下手に隠して輜重隊ごと斬られるという可能性も無くにはなかったからな。


 今や姫殿下のお墨付きとあらば、なお安泰だ。


 だからネルさん……!


「そろそろッ! 諦めちゃ、くれませんかねぇ……ッ!」


 腹に毒付きの剣が刺さっちゃうでしょお……?


 既に両手で剣を抑えている。


 力関係が逆転しかねないのは、ネルさんの平静さを保った表情からしても間違いない。


「む? これは異なことを言うでありますな。今の状況は最大の好機。これに『諦める』という言葉は当て嵌まらないのではありませんか?」


 …………呑気か?


 騎士団が逃げ場を塞ぐように囲いを作り、近衛が姫殿下を下がらせる状況は……既に詰んでいるように思えるのだが?


 お仲間だった四人は既に捕まって蓑虫と化している。


 ……まだ仲間がいるのか?


 ネルさんの視線が左右に飛ぶと――――ピシピシという音が聞こえてきた。


 音の発信源異変は一目に分かった。


 彼女の目の横の皮膚に葉脈のような物が浮かび上がったのだ。


「なん……血管、か?」


「おっと。時間厳守でありました。それでは――」


 カパッ、とネルさんの口が開く。


 ビームでも出す気かよ!


 しかし意に反して転がり出てきたのは――小さな石ころ。


 見覚えのある石ころ――――


 フラッシュバックしたのは幼い頃のチャノスとテッド。


 暗闇の中で、高価な、ランプの――


「『光――――」


 彼女が石ころを噛み砕いた。


 光が爆発する。


 ――――――――いつぞやの経験が活きた。


 網膜がヤラれる前から回復呪文で毒と視界の再生に入り、力が抜けた剣を放すことを合図に姫殿下へと駆け出した。


 密集して護るつもりなのか押し潰すつもりなのか分からない姫殿下を抱えあげると、周りに居た近衛共をハネ飛ばして全力で距離を取った。


 耳を震わせる爆音と熱が少し遅れて届く。


「……ある意味ビームだったな」


「ふう、全く。あれでは妾を護るために居るのか押し潰すために居るのか、分からんではないか。あー……レライト、と申したな? 此度の働きに免じて妾を無許可で触ったことは許そう」


「……アリガタキシアワセ」


 むしろ『あり得ない皺寄せ』なんだけどな……。


「うむ。存分に堪能すると良い」


 随分と距離が出来た……未だ切り株が残る本拠地の隅で、幾度となくピンチだったというのに平然としている白銀の髪に紫の瞳をした姫様と話す。


 黒煙が上がる爆心地では、ハネ飛ばされた近衛兵がよろめきながらも立ち上がるところだった。


 範囲を狭めることで威力を上げているのか……抉られた地面と被害が合っていない。


 俺の火柱魔法みたいなもんか……。


 横抱き――まさに『姫を抱える抱き方』をされた姫殿下が疑問を元に口を開く。


「それで? 奴はどうなった?」


 ――――返事は横から返ってきた。


「ますます驚きであります」


 咄嗟に体を開いて対面する。


 流石に至近距離までの接近を許すことはないが……四、五十歩の所に立つネルさんには意外な思いだった。


 ……自爆じゃなかったか……いやそんなことより――光はどう回避したんだ?


 先程の剣とは別の剣を手に、目の白い部分を黒くしたネルさんが……変わることのない表情で立っている。


「それだけに残念であります。惜しい人材を失くすことになるのが。どうでありますか? 今ならまだに来ることが間に合うでありますが?」


 マズい…………毒がそんなに抜けてないぞ。


 というか今の動きで回ったまである。


 効いてないのか? 回復魔法……いや、ここは――


「……いや、悪いんですけど……長男なんで。実家の畑っていう財産を次世代に伝えていく義務がありまして……」


「……お主は何を言うておる?」


 しっ! 静かに! 姫様は黙ってて! 今、会話を引き伸ばしてるところだからあ?!


「では――」


 ほらあ?!


 身構える俺に対してネルさんは距離を取ったまま、その手にする剣を地面に突き刺した。


 すると地面に入った罅が――瞬く間に広がりを見せて迫ってきた。


 ――――後ろはッ?!


「ヤバッ!」


「なんじゃなんじゃ?!」


 細かく砕かれを始めた地面を蹴飛ばして――――しかしおまけとばかりに飛んできた魔晶石が目の前で弾ける。


 注意が地面に逸れた一瞬で投げたのだろう、放った形のまま手を伸ばしているネルさんが見えた。


 今度は爆発的な風が生まれる。


 ――――風しょ――ッ?!


 為す術なく暗闇へと飛ばされる俺達に、ネルさんは続けた。


 伸ばされた手が左右に揺れる。


「――さよならであります」


「口にした以上、二度とツラ見せんなよ! 約束だからなああああああああああああああああああああああああ?!」



 段々と毒に侵される体が熱と痺れを保ったまま、二度と這い上がることの出来ないと言われる暗闇が、俺と姫様を飲み込んだ――








 ――――――――第六章 完


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