第276話


「あ、レン、モモ。お昼ごはん食べてく?」


 赤み掛かった長い茶髪を三つ編みに束ねて肩から流しているケニアが、ノンを布団に寝かし付けながら訊いてくる。


 先程までの怒りようからは考えられない程に穏やかだ。


 生来の生真面目さが『締めるところは絞め殺す』に落ち着いた結果だろう。


 誰の影響かは言うまでもない。


 実家の方のお隣さんですよね?


「あ、おか――」


「食べる食べる! やったー! 今日は何?」


「シチューよ」


「お肉ゴロゴロ?」


「残念、今日はお魚入りよ。だから、お野菜ゴロゴロ」


「やったー!」


 なんでもいいのかよ。


 肉入りを期待して野菜が入っていると言われた子供にしては変わることのない喜びようだ。


 俺が『お構いなく』と述べる前に背中から飛び出したモモが了承。


 とてもさっきまで俺を盾にしていた奴とは思えないほど前に出るじゃないか? その勇気は少し早く見せて欲しかった。


 少し待ってと用意されるお皿は二人分。


 ここで辞するのも悪いよなぁ。


 チョロチョロとケニアの足元をうろつくモモは……なるほど。


 ノンのお姉さんで間違いないようだ。


 ……お昼ご飯が目当てでノンを連れ回している訳じゃないよね?


 そう信じたいものである。


 正座させられていた膝を崩して立ち上がる。


 ケニアの家じゃ、食事の際はテーブルに椅子なのだ。


 うちの……というか普通の村人の食事方式は床に直座りだからケニアの家の方が珍しい。


 しかし食堂や上流階級の家なら絶対にテーブルなので、これはチャノスの実家での食事形式に合わせたものだと思われる。


 …………チャノスなら別に気にしないとは思うのだが。


 相変わらず尽くしてんなぁ。


 チャノスの家と村長の家ぐらいだろう高い食卓に、椅子を引いて席に着く。


 するとモモがニコニコと笑顔で俺の座った椅子に隣りの椅子を寄せてくる。


「レンとご飯、レ〜ンとご飯〜」


 お前さっき果物食べたばかりやないか。


 帰り道で食べる食べると騒がれた結果、果物をノンとモモに取ってやった記憶は新しいものの筈だ。


 現にノンは早々におネムである。


 恐らくは自宅でもお昼ご飯も用意されていると思うのだが……いくらでも食べるというのは血筋なのかもしれない。


 思い出されるのはジト目の姉貴。


 とにかく何か食べている印象がある。


 その割に痩せていて、ケニアの身体的特徴を睨みつけては、伸びない身長と共に悩んでいた。


 いくら天才でも、体の成長ばかりはどうにもならないらしい。


 ……人体実験とか始めないよね?


 俺は世界平和を望んでいる。


「こうしたらレンより高いよ」


 そりゃそうだ。


「いいからちゃんと座れ。また怒られたいのか?」


 俺は嫌だぞ。


 寄せた椅子の上に立って見下ろそうと頑張るモモに、ちゃんと座れと諌める。


「はーい! ふふ〜ん」


 いそいそと座り直すと体を寄せてくるモモ。


 お世話される気満々である。


「……なんだよ。一人で食えよ? もう赤ん坊じゃねえんだから」


「ええー?! なんでぇ? 『あ~ん』してよ! 前はやってくれたじゃん!」


「何年前だよ……。つかよく覚えてんな」


 それ二歳ぐらいの話じゃない?


「去年だもん! ほら? お祭りで、わたしが串肉欲しいって言ったら……」


「あげたな」


 最近だったわ。


 でも串焼きはしょうがなくない? わざわざ取り分けるのも面倒だし、お前めちゃくちゃダダ捏ねてたじゃん。


 やいのやいのとモモと言い合いをしていると、シチューの入ったお鍋を持ったケニアがやってくる。


 腰の所で絞ったロングワンピースを着ているケニアは、食堂で働いていたなら十人が二十人、声を掛ける程に女性的な魅力に溢れている。


「レンとモモは仲良しね?」


 お姉さん的言動も、母親としてしっくりくるようになったというのだから……子供の成長は早いもんである。


「うん!」


「全然」


「ええー?! なんでなんで! なんでぇ?!」


 ここでツッコミ角材が飛んで来ないのは、ケニアの与えている良い影響のお陰なのだろうか? それとも姉妹だからと怒り方まで似ないものなのか。


「……相変わらずレンは捻くれてるわねぇ。そこは素直に頷いといた方が、女の子は喜ぶものよ?」


 こいつさっきまで俺の将来をハゲにしようと励んでたんスよ。


 嘘でも仲が良いなんて言えやしない。


「もう! もうもうもうもう!」


 お前は牛か?


「はいはい。ケンカしないで食べなさい」


「わーい! シチュー!」


 やれやれといった態度でケニアがシチューを各皿に注ぎ分けると、モモの興味は早々にそちらへと向かった。


「よし。俺の魚を一切れやろう」


「わーい! レン、大好きぃ!」


 ふっ、チョロい。


 後々の遺恨を残さないために、ここで食べ物を融通する手に出るのは、ターニャにもよくやる手段である。


「本当に、相変わらずね。今にして思うんだけど……レンって、私達のこともそういう風に子供扱いしてなかった?」


「そんなわけがない」


「言葉遣いが変わったのは……まあ分かるんだけど。なんか子供に対する接し方が、昔の私達に対する接し方と同じじゃない?」


「……それはケニアが大人になったからでは?」


「ええ? う〜ん……そうなの、かしら? ……あ! また誤魔化したでしょ? レンの接し方なんだから、私は関係ないじゃない。同じ歳の子に対するものと、年下に対するものじゃ、違う筈なのにって話よ」


「じゃあ、未だに子供心を忘れてないから、とか?」


「う〜ん……。確かに。レンって昔っから妙に子供っぽいところがあったわね」


 ……そこは否定して欲しかった。


「レン、子供なのかー」


 何も考えていないお子様の発言である。


 ハッハッハッ、食うのに夢中になっていて会話の中身も分からない子供の発言なんて、別に気になりはしないさ。


「おっと。そういえば回収がまだでしたね? 代わりに野菜を貰おう」


「あー?! 取っておいたのにぃ!」


 それは知りませんで? 失敬、失敬。


 奪い返そうとするモモの皿に、モモの好きな野菜を入れてやる。


 コロコロと変わる表情が面白い。


 余剰物資の取り合いだと思っているモモには悪いが、こちとら鍋の残り具合からお代わりも可能だと読んでいるのだ。


 大人の手の内で転がされるのが子供なんだよ……ごめんね、モモ……。


 『だから好きだ』と笑顔を向けてくる子供に、俺は大人として黒い笑顔で応えておいた。


 ふと白い目で見つめてくる幼馴染に気付いたので問い掛ける。


「えーと、大人がなんだっけ?」


「なんでもないわ。……ハァ、ほんと。そろそろ成人だっていうのに……」


 残念ながら生まれる前から成人なのだよ。


 やれやれと首を振る新米ママさんには応えることなく、昔に比べて随分と美味しくなったシチューを口にした。


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