第250話 *第三者視点


「……久しぶりに見たな、降るいかずちは」


 里長の言葉に、視界を焼かれた里守達が落ち着きを取り戻す。


 どう対応をしたのか分からないが、里長は今の難事を乗り切ったのだという理解が広まった。


「上空の精霊には我々も共感を高めていないと読んだのでしょう。そしてそれが当たった」


 里守長が応え、他の里守達の視界も徐々に順応し始めた。


 幾筋もの落雷は、しかし一発とてエルフに当たりはしなかった。


 上空からなんの予告もなく落ちた雷は、エルフ一人一人の頭上に到達すると不自然な枝分かれを見せ、目標ではなく地面を焼くだけに留まった。


「我らの森で、我らを傷付けられる訳がない」


 自信でも過信でもなく、ただ事実を述べているだけだとでも言わんばかりに、里長は淡々と言葉を吐いた。


「上手いこと逃げられましたがね」


 里守長は溜め息を吐き出して、姿を消した二人の人間がいた場所を見つめた。


 ダメージは無い。


 ディルシクルセイスという超常の存在が、エルフを守っているから。


 しかし目が眩むことまでは防ぎようが無かった。


 たとえ川に落ちたとしても溺れることはないが、水に濡れるように。


 致命的な何かを逸らし、エルフの助力をするのが権能なのだろう。


 お陰でエルフは一人として傷を負うことはなかった。


 それ故に今回の件は重く見られていた。


 エルフの森……たとえ外縁に近い場所だろうが、『我らの森』で里守が重傷を負ったという事実に。


 永い時を生きるエルフとしても記憶にないだろう出来事だ。


 基本的に一人か二人で森を見回る里守が、数十人という単位で行動していることが、警戒の大きさを表していた。


「――――それで? アグラ、何故その人間を庇う?」


 輪郭を取り戻した里守達の視界に入ってきたのは、突っ立っている黒いローブを着た人間を背に庇うアグラの姿だった。


 雷が落ちてくるなどとは、里長でも予想出来なかった出来事だ。


 つまりどのような攻撃が来ても、その人間を守ろうという意志があったのだろう。


「エフィルディスの行方を知っているかもしれないからです。こいつはエフィルディスと懇意にしていた」


 未だ腕輪を触っている里長に、真っ向から意見をぶつけるアグラ。


 そして、黒いローブ――レライトレンがアグラの言葉に反応するようにアグラの肩を掴んだ。


 干涸らびたような右手をしていた。


 左手と比べると一目瞭然とばかりに、吸い上げられたのか、圧し潰されたのか、ハッキリと細く絞られていた。


 ボソボソとレライトが何かを小声で伝えた。


「――本当か?! ……おい? どうした? ――いかん!」


 アグラに話し掛けていたレライトの体が、役目を終えたとばかりに傾いていく。


 咄嗟に受け止めたアグラが、その瞳を紫に染めた。


 その体に残る魔力の量を推し量ったのだ。


「誰か手を貸してくれ。このまま魔女の家に向かう。エフィルディスも無事らしい」


 アグラの言葉には隠しても隠し切れない歓喜が溢れていた。


 仕方ないと手を貸す他の里守に、里長が声を上げるべく口を開いた。


 しかしそれは里守長が手を上げることで防がれた。


「……なんのつもりだ?」


「里長こそ、どういうつもりですか? ここは我々『里守』の領分でしょう」


「里の掟に関することは、里長の領分でもある」


「そうですね。未だ破られていない、掟の話です」


「…………」


 暫しお互いがお互いの目を見つめ合っていた。


 そこに恋情は無く、かといって睨み合いというほど激しくもない。


 先に動いたのは里長の方だった。


 腕輪に触れていた手を引いて告げる。


「先に戻っていよう。しかし議題を取り下げることはない」


「はい。それは役割として正しい」


「ラディタ。たとえエフィルディスがお前の娘であろうと……」


「覚悟しています」


「そうか」


 短く呟くと、里長は踵を返して森の奥へと戻っていた。


 残された里守長は、ただただ長い溜め息を吐くのだった。











 ディルシクルセイスの樹は、ハイネの里の中央に聳え立っている。


 一目でそれと分かる偉容が、この樹が越えてきた歳月を感じさせてくれた。


 しかしこれを他種族が目にすることはない。


 一見して無視出来ない存在感を放つ樹は、しかしそれと認めた者にしか姿を現さないからだ。


 ディルシクルセイスは、エルフにしか見えない。


 ハイネの里にある噴水。


 エルフ以外にはそう見える――巨大な貯水湖が、ディルシクルセイスが根を伸ばす座所としてあった。


 その根元。


 普段は立ち入りが禁止されている小さな祭壇に、各役割の纏め役を拝しているエルフが集まっていた。


 祭壇の前にある長机に横並びで四人。


 各々が各々の表情を見ることなく座っている。


 中央にある席が空いているが、疑問の声を上げる者はいなかった。


 既に議題は提示され、決議を取っている。


 頭を抱えているのは里守の長だった。


「……まさか、『育種』が『応』に回るとは」


「ごめんなさいね?」


 困ったように笑みを浮かべる、三つ編みで糸目の女エルフが、しかし横を向くことなく応えた。


 互いの顔色を見ないという暗黙の了解が、この決議にはあった。


 元より纏め役は各役割の総意を伝えているだけで、決議に個人的な意見を混じえてはいない。


 唯一個人での一票となるのが里長だ。


 議題は、エフィルディスが連れてきた人間の処遇。


 里長が掟に従い処分を求めたのだ――その結果。


 『応』が二人に『否』が二人。


 『長』同士の話し合いによる決議にまで縺れ込んでいた。


 決議の結果が覆ることはない。


 既に纏まっている意見を出し合っているだけなのだから。


 故に里守の長は焦っていた。


 長同士の話し合いで主権を握るのは、決まって里長になるからだ。


「……『恵者』は『否』なんだな?」


 時間稼ぎをするように、里守の長が恵者の長へと確認を求めた。


 目に掛かる前髪が涼しげな男エルフが、笑みを浮かべながらも答える。


「ああ。恵者は『否』で構わない。……フッ、懐かしいな。魔女も些か暴走するところがあった」


 恵者の長の意見に里長が口を挟む。


「森を壊す程では無かったと記憶しているが?」


「暴走という概念は、何も破壊だけに留まることじゃないだろう? そういう意味では、まだ魔女よりもマシと言える」


「彼女は……なんというか、生命力に溢れていたものねえ」


 育種の長が頬に手を当てながら困ったように笑う。


「議題は魔女についてではない」


 脱線しかけていた話題を、里長が戻す。


「確かに前例として魔女を里の端へと住まわせていたことがある。しかしあくまで特例だろう。魔女はエルフを助けたという実績があったからだ。人間は誰しも『善』と呼べる存在ではない」


「彼もエフィルディスを助けている。しかも二度」


 里長の言葉に被せるように、里守の長が言い放ち続ける。


「その性根についての確認は終わらせていた認識だろう? ここで議論に上げるべきではない」


「私はあの人間と言葉を交わした。報告にあった実力との乖離が見られ、恐らくは手の内を隠していたと思われる。とても『善』であるとは言えない」


「彼は他種族だ。実力を計られまいとした理由も分かるだろう?」


「しかし掟を守らない意向が見られた。これは里に馴染めないことを意味している」


「まだ来たばかりだ……これから少しずつ教えてやればいい」


 互いに熱の籠もった言い合いが続く中で、恵者の長が不意に言い放った。


「里長は人間が嫌いだからな」


「それは本件とは関係ない」


 その割には反論が早かったな、と育種の長は思った。


「……私情を挟まずにエルフとしての判断を求めたい」


 里守の長が議会の結論を変えるべく訴える。


 どのように粘ったところで同票決議の場合、最終的な結論を出すのが里長だからだ。


 少し悲しそうな表情で困ったように眉根を下げているのが『応』を出した育種の長で、無感情に議論の果てを待っているのが『否』を唱えた恵者の長というのが、それぞれの性格を表しているかのようだった。


「アディクラスト」


 里長が恵者の長の名を呼んだ。


 決議の終わりが迫っている。


「なんだ?」


「お前の意見を聞こう」


「俺は入ってきた人間を見てなく、所感は全て伝え聞いたものだ。決議に挟むべき意見を持たん」


「お前という奴は昔から……」


 里守の長がアディクラストの言葉に眉間に皺を刻んだ。


「でも前例に沿うなら、死を望む程じゃないわ。勿論、里から出さないという前提でね?」


 反論してくれたのは『応』側の育種の長だった。


「前例に森の破壊は含まれない。本人が『出て行く』という発言もしている。意志も確認済みだ」


 里守の長が頭を抱えた。


 これは既に……。


 里長が立ち上がって、腕輪をしている腕を宣誓するように上げた。


「それでは決議を取――――」



「では『否』に入れよう」



 この議会が開かれている最中に、票権を持たないエルフは祭壇まで来れない。


 故に声を掛けてきたエルフは、自ずと二人に絞れた。


 四人が四人とも、声の方へと振り返った。


 祭壇は屋外へと開かれているが、ディルシクルセイスの特性上、他種族が目にすることはなく、またエルフが軽々と近付くこともない。


 ゆっくりと歩いてくるのは、予想に反して予想通りの二人。


 長老会の長と、銀髪の巫女だった。


 声を上げたのは、表情の無い少女のような見た目をした長老だった。


「議会に参加する。長老会の票は『否』。決議を取ろう」


 誰を視界に入れることなく、長老が長老会の席まで歩き、座る。


 これで五席が全て埋まった。


「おお……!」


 思わず声を漏らす里守の長に銀髪のエルフの少女が笑い掛けた。


 席の無い巫女が祭壇の前へと歩き、里長が再び腰を降ろした。


「…………どういうことだ?」


 責めているわけではなく、純粋に不思議だと言う声で里長が問い掛ける。


 それは巫女が抱えているモノが原因だろう。


 しかし未だ喋ることを封じられている巫女の代わりに、答えたのは珍しいことに長老だった。


「『返して欲しい』という要請だった。その精霊は『泉』の子。分け樹であるディルシクルセイスと同じ位階にある。掟は無効だ。あの存在が、泉の治める森から来たのなら、我々エルフと同じように扱うべきだろう」


「ミィー」


 ラナリエルに抱えられている何かが鳴き声のようなものを上げた。


「そんな訳があるまい」


 反射的に声が漏れたのは里長だった。


 応えるのは長老だ。


「精霊の存在に虚飾はない」


「あれは……エルフではない。人間……かも怪しい。精霊が良しとする筈がない」


「精霊は自然と共に在り、自然として存在する。良しとしているのであれば異物ではない」


「……馬鹿な。現に我々の森は……」


「別の介入があったと聞いた。里長のの行使もまた遠因である。精霊の意志にエルフの意志は近しい。またその逆も然り。しかし同じではない」


 水を掛けるように、アディクラストが口を挟んだ。


「『泉』とは……。また懐かしい言葉だ。我々が根付く大樹とは相容れんと言うな? 魔女が最初に目指したのもそこだという話だった」


「存在としては近しいと聞くわ? でも私達エルフでは計りようがないし、計るべきでもないでしょう」


「どちらにしろ決議は覆らない。……良かった」


 本心が漏れたのは里守の長……いやエフィルディスの父であるラディタからだった。


「決議を」


 長老が促し、里長も……特に表情に出したりはせず、淡々と立ち上がり、先程途中で取り止めた宣誓のようなポーズを再び取った。


「ミィー」


 待ったを掛けたのは、ラナリエルに抱えられている――――白い猫に見える何かだった。


 人間染みた表情を浮かべる白い猫は、まるで『めんどくせえけど、仕方ねえ』と言わんばかりの表情で鳴いている。


「処分の取り止めと、解放までが要請だそうだ」


「ファルカムナ様でも、今のは分からないだろう?」


 解釈した長老に、アディクラストが疑問を呈した。


「ラナリエルから聞いた。ラナリエルが喋れずとも伝えてきた内容だ。恐らくは念押しだろう」


「なるほど」


「解放は…………いや、了承した」


 遮ろうとした里長だったが、途中で意見を変えた。


 精霊が関わってきた時点で、自分の意見が通ることは恐らく無くなったと理解したのだろう。


 エルフにも信仰があり、精霊は特別な存在だ。


 特にディルシクルセイスと同じ位階にあると言われれば、ハイネの里で『応』と続ける者もいないだろうと里長は考えていた。


 自分以外。


 里長が手を上げた。


「決議を取る」


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