第249話


 呆然と口を開く無傷の女と。


 使い物にならない右手を高々と掲げる男。


 勝ったわけじゃない、むしろ負けだろう。


 ただ嘯いてるだけだ、意地を張っているだけ――


 数秒後に訪れるであろう終わりを、勝負の結果を、ただ騙っているだけ。


 それでも笑っていたと思う。


 いびつに歪みながらも、晴れ晴れとした笑みで。


 意識の混濁は既に。


 頭を切り刻まれているような頭痛で、なんとか繋ぎ止めているが……それもいつまで持つか。


 痺れと怠さは……あるような無いような。


 正直自分の体だとも思えない。


 回復魔法を使うのも億劫で、表情も他のものに変えられない。


 こんな状況でも笑おうと思った自分に呆れるくらいだ。


 こりゃダメだ…………。


 もう一つの約束は守れそうにない。


 いや……守れそうにない約束が、他にもいっぱい、あるなぁ…………。


「は…………こんな……は? はあ? お、おかしいっす?! こんなの、あっちゃいけないっす?!」


 ほんと口うるせえ奴だ……。


 こっちはもう一言も…………。



「時間切れだ」



 …………最悪だ。


 堂々とした足取りで、ニケの後ろから出てくるゼロス。


 位置を言えば……やはり挟撃を狙っていたのかもしれない。


 ……今となったらどうでもいいことだが。


 別にただ立ってるだけなのだから。


 意地で立ってるだけ。


「……まだっす……まだ終わってないっす! 八つ裂きにします! 元よりゼロさんも合意したじゃないっすか?! なんですか、時間って?! そんなの聞いてないんすけど?!」


「ここはアバドンの効力圏外だ。精霊魔法も届く。オレが認めたのはエルフの戦力も削られるという前提あってのことだ。お前の我儘に時間も道具も消費した。引くぞ」


「は……はあ?! 全っ然! 納得いかないっすね!! 今からアレを殺して! 家畜共をアバドンまで引っ張って行けばいいでしょう?!」


「……だから一度に使うなと言ったんだ。馬鹿め。もう遅い。何度も言わせるな。ここは既にエルフの森だ、土地だ。追っ手が掛かるのも時間の問題だろう」


「――――追っ手が掛かる、とは悠長だな? これだけ森を荒らしておいて、既に追われているという意識は無かったのか?」


 ニケとゼロスの会話に、森から聞こえてきた声が加わる。


 ぞろぞろと、恐らくは里守と呼ばれるエルフが現れた。


 流石に全方位をカバーしていたわけではなく、俺の後ろの方から森を抜けて出てくる。


 ニケと俺の周りは、森と呼ぶにはあまりにもな荒れ地となっていた。


 冷静さと温厚さがエルフの特徴なのかと思っていたが、空気に混じる怒りからして、流石に怒っているのだと感じ取れた。


 それは多分……俺に対してもだろう。


 ……………………まあ、いいか。


 この二人にヤラれるよりか、エルフの方が……。


 ボンヤリと眺めるだけで、イマイチ上手く回らない頭を、痛みが徐々に侵食してくる。


 …………もう、すぐ、だな……。


「全員捕えよ。殺して構わん。加減するな」


里長さとおさ。エフィルディスが連れてきた人間は、未だ里から出ていません。また敵対的でもありませんでした」


 確か……里守長とかいう奴の声が聞こえてきた。


「くだらん。正確に捉えたか? あれは人よりも歪で、自然を曲げるだ。生物なのかも怪しい。『掟』如何ではなく生きとし生けるものとして、ここで葬っておくべきだろう」


「『否』を唱えます」


「決議は議題として上がればという条件が付く。これは役割上のもので議論する必要はない」


「では議題に上げましょう」


「……なるほど。だから魔女贔屓だった里守を引っ張ってきたのか。そのような計略は人間っぽいぞ。毒され過ぎるなよ?」


「……あとは里にて話し合いましょう」


「しかしあちらの二人は見逃せん。森に撒いた物が物だけにな」


「それについては同意します」


 深く静かに、圧が増していく。


 里守達からの視線を一身に受けることになったニケとゼロスは、圧に押されたかのように沈黙を保っている。


 いいや、ニケだけが表情を笑みに変えた。


「ええ〜? わざわざ悪いっすね〜? 御足労願っちゃって。でもいいんすか? あたし達の……」


「つまらん嘘はよせ。精霊を感じ取れる。お前達を逃がすこともない。……忌むべきことだ。あんな物を世界に撒いて……自分達だけ無事に済むとでも思っているのか?」


 里長と呼ばれた……あのムカつく女エルフが、お決まりのポーズと化した腕輪を触る動作に入った。


 ……舌打ちは、どちらがしたのか?


 茫洋と霞み始めた視界の中で、ゼロスの声が聞こえてくる。


「ヤメだ。引き上げるぞ」


「はあ?! 冗談はヤメて欲しいっす」


「させると思っているのか?」


 次いでゼロスが腕を掲げ――ニケに向かって手を翳した。


 空気が破裂するような、バチンッという音と共にニケが崩れ落ち……ゼロスがそれを支えた。


 仲間を手に掛けた黒ローブに、里守一同も困惑したように動かない。


 唯一油断することのない里長が、冷たい視線でゼロスを見ていた。


「これ以上は収獲にならん。警戒され、地の利も無く、相棒は足手まとい。オレでも少々厳しい」


「……仲間を売ってるのか?」


 里守の一人が疑問から口を開く。


「売る……? ああ、これか。これは五月蝿く囀れないようにしただけだ。まだ荷物のように運んだ方が楽だからな。……勘違いするなよ? 目的はエルフの奪取であって、殺害ではない」


「両方叶うことはない」


 里長の言葉に合わせて腕輪が光度を増す。


「……フン。せっかくだ。俺の力の一端を見せてから去ることにしよう。――――防いでみるといい」


 ニケを肩に担いだゼロスが、今度はこちらに向けて手を翳した。


 明滅は一瞬。


 空気を破裂させるような音が響いた。


 しかし――――


 それは俺やニケが食らった能力ではなく、空を引き裂いて落ちてきた。


 特に雲もない昼下がりだというのに……視界を埋め尽くす程の光と。


 鼓膜を劈く程の轟音が。


 晴天下での落雷は、見る者全ての目を焼いた。


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