第246話


 急速に世界が塗り替わっていく。


 両強化魔法の倍率を一つ上げる度に、それぞれが別の世界に来たような見え方をする。


 二倍で自信を得て、三倍で全能感が生まれ、四倍でしっぺ返しを食らう。


 まるでこれ以上は歩み寄るなと言われんばかりだ。


 感じ取れる情報は恐ろしいほど多岐に渡り、しかしその代償は着実に体へと刻まれていく。


 血が、肉が、骨が悲鳴を上げている。


 そのお陰で、空気に重さを、光に熱を、魂に臭いすら感じ取れてしまいそうだ。


 両強化魔法の四倍を発動したことで解けてしまった竜巻魔法の残滓さえもハッキリと分かる。


 だから気付けた。


 俺の魔力だ。


 ニケの周りを巡って、俺の放つ魔法を解いているのは、俺の魔力だ。


 空気中に溶け込んだ、吸われた筈の俺の魔力が、俺の魔法を逸らし、解き、砕いている。


 どういう原理なのかは分からない。


 ただそういう能力を持っているのだろう。


 加えて一つ。


 今や動かぬ只の置物と化した大斧も、俺の魔力だ。


 俺の魔力から作られていることが分かる――


 吸われてしまった俺の魔力。


 空気に溶け込んだ俺の魔力は、俺の体の周りへと……もしかすると未だに自分の魔力なのかと勘違いしそうになるほど近く、肌へと纏わり付いていた。


 これを武器に……下手すると鉄に変えられるのだろうか?


 だとしたら避けようがなく、そして気付きようもない。


 よく出来た絡繰りだ。


 吸った魔力を操っている張本人はニケだろう。


 刃物の召喚が一回目と比べて雑に感じたのも、二つ同時に熟すのが難しいからかもしれない。


 大斧の制御と竜巻の防御。


 奇しくも妙手を放てていたようだ。


 近くにあった大斧をついでとばかりに蹴り砕き、手の平に感じる熱に視線を落とした。


 エフィルディス。


 彼女を運ばなくては。


 この気付かぬも灰に塗れた空間の外へ――


 障害の無い最短距離を行くべく、空へと駆けた。


 目に見えぬきざはしを登る。


 灰色の空間との境界線を一瞬で抜き去り、光に満ちたエルフの森の空へと至る。


 一瞬の出来事。


 目の端から血が流れ、空を蹴る足からは何かが千切れる音がする。


 しかし尚も駆けた。


 もっと遠くへ。


 ――――万が一にも、再びあいつらの手に落ちないように。


 エルフが言う『我等の森』……その中で、一番安全だと思える所に降りた。


 反動は大きく、ローブの下で血液が滴る。


 森に空いた小さな平地。


 中央に闇緑樹がある魔女の棲み家。


 ここに避難させることが正しいのかどうか……俺には分からない。


 しかし俺の勘が『間違っていない』と訴えてくる。


 エフィルディスを樹の根元に横たえていると――――いつの間にやら空飛ぶ赤児が傍らにあった。


 ニコニコとしたいつもの笑みで。


「…………頼んでいいか?」


「――」


 相変わらず何を言っているのか分からない。


 しかしコクコクと頷いているのは分かった。


 口元に……鼻から垂れた血が落ちていく。


 執拗以上に『視る』ことを意識したせいか、目からも血が流れている。


 震えと痺れから金縛りにあったように体が動かない。


 足に巡らされた血管の幾つかが破れローブを赤く……いや、より黒く染めている。


 セフシリアは傷の治療を勧めて来ない。


 いつもなら必要以上に伸ばされる根っこも、今はエフィルディスへと巻き付くのみだった。


 ただ静かに在る。


 それが精霊の在り方だと言わんばかりに。


 いや…………俺が今から何処へ行くのか分かっているとばかりに。


 残る魔力で回復魔法を放つ。


 全身から癒やしの光を立ち昇らせているというのに……痛みは和らがない。


 しかし傷は塞がっていく。


 悪い情報ばかりではない、良い材料もある。


 嬉しい誤算……というか、昔から怪しいと睨んでいた仮説に確証を得た。


 総魔力量の増加だ。


 やはり魔力を枯渇させるのが鍵なのだろう……随分と物騒な鍵穴だが……。


 枯渇したのは……今や昔のことのように感じるが、一週間前。


 死力を尽くした砦での戦いの時だ。


 あれが良かったなんて口が裂けても言えないが……。


 お陰で……もう一回だけ……もう一回だけ、切り札を切れる。


 一回切っても、まだ安全だと思える魔力が残る…………。



 ――――ほんとにそうか?



 痺れの抜け切れない体が、意識しないと出来ない呼吸が、僅かに感じ始めた鋭い痛みを伴う頭痛が。


 これ以上を止めている。


 あとはエルフに任せてもいいんじゃないか? 義理は果たしただろう? そもそも俺には関係がない――


 しなくていい争いだ。


 しっかりと根強く残った理性が訴え掛けている。


 そう、だな……関係ない……か?


 死んでるか生きてるかも分からない俺を延々と背負って命懸けで里に運んでくれたエルフのことや、性根が善良なせいか帰れ帰れと騒いでいたくせに同情して傷の心配や道中の案内や食料の確保と世話を焼いてくる子供のことなんて。


 ――――関係ない。


「でも…………約束、したんだよなぁ」


 ともすれば泣きそうな感じの弱々しい声に、セフシリアが嬉しそうな顔でコクコクと頷く。


 悪い材料だ。


 ミナリスとの約束も……灰色の空間が動いていることも。


 あの空間は土地に根差すものじゃないらしい。


 ある人物……ニケを中心に広がっている。


 四倍の知覚で感じ取れた情報と、入ってきた時と外に出た時の範囲のズレから分かった。


 あの空間はニケを中心に動いている、と。


 …………本当に。


 奥の手四倍はクソだな。


 誰だよ、チートデイとか決めた奴は……。


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