第223話 *第三者視点
暗い暗い夜の静寂に、森を往く足音が響く。
普段から森の中を歩き慣れていたのなら、決して出ない足音だ。
月明かりも無く木々が複雑に絡み合う天然の迷路に、自己主張するような足音はまさにご法度と言えた。
己に害を為す虫や獣が寄って来てしまうからだ。
まして魔物でも引き寄せようものなら命に関わる。
しかし足音から怯えは伝わって来ない。
足音の主は森を怖がっていないのだろう。
ふと足音が止まると、今度は話し声が聞こえてきた。
「待て。行き過ぎると奴らの網に引っ掛かる。ここらでいいだろう」
「え〜? まだもっと近くに寄った方が良くないっすか〜? ゼロさん、ビビってます?」
声の種類は二つ。
どうやら足音の主は二人いたようだ。
「ふざけるな。オレはお前と違って完璧主義なだけだ。エルフの力を侮って失敗したら目も当てられんからな。タナトスとアテナの二の舞にはなりたくあるまい」
「あ〜あ、それ言っちゃいますか。タナさんめちゃくちゃキレますよ〜? あたし知らんっすからね〜」
「構わん。名を騙られた上に、相手から目溢しされた奴など……。偽物のタナトスをスカウトして挿げ替えた方が役に立つのではないか? 少なくとも、今のアテナよりはマシだろう」
「それ言ったっていうの、あたしを含めないでくださいね〜? それに、アテナ先輩は仕方なくないですかあ? 死活生を一年も使ったって言うんですから。反動とか凄そうっすよね〜。知らんっすけど」
「むしろ一年もリソースを割いたのに収獲が無いことに驚いた。バーゼルも殺れず、迷宮最奥の品も持ち帰れずなどと……無能だろう? 他に言いようがあるのか?」
「え〜? 二人ともスカウトの役割は果たしてますよ? ま、殺しちゃう方が多いんっすけど。タナさんいるから分からなくもないですけどね〜。死体にした方が楽ですもん」
「馬鹿の極地だな。欲しいのは戦力だけでなく頭数もだというのに。タナトスは諦めが早く、アテナに至っては遊びが過ぎる」
「え〜? ゼロさん厳しいっすね〜。でもまあ……」
雲の切れ間から月明かりが差して、森を往く二人の人影を照らした。
「使えない、ってのは同感っすかね〜」
「…………お前も大概だな」
間延びした喋り方をする高い声の人物は女に見えた。
ローブの上からでも分かる曲線が女性だと主張しているからだ。
もう一人の方の性別は杳と知れなかった。
全身を包むローブに、深く被ったフードが正体を表すことを拒んでいたからだ。
間延びした喋り方の女の方はフードを上げていて、己の顔を晒すことに抵抗はないようだった。
赤く長い髪を頭の下の方で二括りに結び、深い緑色の瞳が闇を貫いている。
一般的には整ったと言える顔立ちだろう。
月明かりに照らされた顔には笑みが見えた。
女の方は笑顔で、もう一人の方は分からない。
しかし声の感じと話の内容からして、良い表情をしている気配はなかった。
間延びした喋り方の女が続ける。
「あたしは違うっすよ〜? あたしはお仕事に真面目っすから」
「……そういう意味じゃないが、もういい。早く出せ」
「は~い」
ローブの下でゴソゴソと手を拱いていた女が、もう一人の方に出せと言われて何かを取り出した。
月明かりの下で光るのは、クリスタル製の瓶だった。
片手に収まる程の、小さな瓶だ。
フードを被っている方が、女が手にする瓶を認めて頷いた。
「よし、まずは幾つかの……おい、よせ!」
「え〜?」
フードを被っている方が、間延びした喋り方の女を止めたが――やや遅く。
女は瓶の蓋を開け、逆さにして中身をドバドバと零しているところだった。
月明かりに照らしても黒く澱んで見える液体が、森の地面へと吸い込まれていく。
「……なんのつもりだ? 『アバドン』はそれしかないんだぞ?」
「ゼロさん、大袈裟っす。こんなのどこに撒いても一緒っすよ。それにある程度広い方が捕らえやすくないっすか? そんな何ヶ所も『空白地帯』を作るよりかは。あたしら二人しかいないんすから、コーリツ的にいきましょ、コーリツ的に」
「……せめて二箇所に分けるべきだろう。簡単な計算も出来ないのか?」
「あ、酷いっす〜。二人でここで張ってりゃいいじゃないっすか? 大したことないっすよ、精霊術が使えなくなったエルフなんて」
「馬鹿が。そう思うのならお前一人でやるがいい。奴らは群れる、それだけで厄介だろう」
「え〜、いいんすか〜? 手柄独り占めで〜」
「好きにしろ。その代わり独断専行の報告は入れさせてもらう」
「いいっすよ〜? 別に失敗とかしないんで〜。じゃあ、ゼロさんバックアップっすね〜。前回のアニマノイズ捕獲がゼロさんの手柄だったんで、丁度いい塩梅になりますよ〜」
ゴポゴポと泡立ち始めた地面を無視して、フードの人物は踵を返した。
未だ暗い森の中へと振り返らずに消えていく。
「え〜? もしかして怒っちゃいました? はぁ…………難しいっすね〜、元貴族の人は」
それを見送りながら、しかし気にしている様子は無く、女は足元を見つめた。
そこには泡立ちが消えたなんの変哲も無い地面が広がるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます