第219話 *エフィルディス視点


「……あれぇ?」


 大きく振った拳を、アグラに絡め取られて投げ飛ばされる黒ローブの人間を見ながら、私は首を傾げた。


 そこには迫力も技術も無かった。


 周りの里守達は声を上げるでもなく様子を見ていて、声を上げるのは子供ばかり。


 スーリャやウェイクは凄い凄いと囃し立てているが、ミナリスだけは不安そうに私の服を掴んで人間を見ている。


「……いじめてるの?」


「そんなことしないわよ、大丈夫。アグラも様子見で投げてるし、地面に岩や石は無いから受け身が取れてれば痛みもないんじゃないかしら?」


「でも……おきてこないよ?」


「そうなのよねぇ……」


 そうなのだ、人間は起き上がらない。


 これには試合の判定をするために居る里守達も困惑する。


 念の為、判定するエルフの人数を増やして万が一も起きないようにしたのだが……初手で起き上がらない人間に誰も止めに入らない。


 投げ飛ばしたアグラでさえ『このまま続けるべきなのか?』と迷っているように見えた。


 人間は『騙し討ち』という技法を時に使う。


 里守はその役割上、人間と相対することも多いので、この大の字で伏せった状態でももしかしたら……と考えているのだろう。


 もしくはあの状態から何をする気なのかを見極めているのかもしれない。


 そう、完全に無抵抗だ。


 野生の獣でもそこまで無防備にはならないだろうとばかりに腹を見せ、武器も無く、隙だらけ。


 せめて魔法でも仕掛けているのではと考えたいところだが、相対するアグラは『瞳者』。


 そのアグラが困惑しているということは魔力の放出も無いのだろう。


 ミナリスが私の服を再度引っ張る。


「……ねえ、おきてこないよ?」


 頬を汗が伝った。


「ま、待った待った?! めよ、め! そこまで! 人間の負け!」


 慌てて人間に駆け寄って顔を覗いてみた。


 …………もう! 暗くて分からないじゃない?! ほんとなんなのこのローブ!


 フードを引き千切ろうかと考えたのは何回目だったかしら? ともかく強く打ったと思われる頭を膝に乗せて触診を試みた。


「……どういうことだ、エフィルディス」


「コブになってるわ」


「そうじゃない。報告にある実力と乖離が見られた。誤認したのではないか?」


「そんなわけないでしょ? 貴方も山程のオーガの死体を見たじゃない」


「俺が見たのは刺し殺されたオーガの死体だ。こいつは無手だったのだろう? トドメを刺したのは…………何をしてるんだ?」


「コブを押さえてあげてるの。腫れたら痛いじゃない?」


 人間は痛みを必要以上に怖がるものなのよ、知らないの?


「放っておけ。大した傷じゃない。大体が人間だろう」


「あのねぇ? 貴方が投げ飛ばして気を失ってるのよ? そういう態度は良くないわ」


 淡々と文句を言うアグラに淡々と返す。


 どうしたのかしら? 今日は随分と虫の居所が悪いわね?


 手合わせの直後だから精神に揺らぎが生じてるのかもしれない。


 そう看破したのは私だけじゃなかったようで、他の里守達もアグラの精神を和らげようと近付いて話し掛けてきた。


「エフィルディス、彼は大丈夫か?」


「ええ、心配ないわ。気を失ってるだけね。念のためセフシリアに預けるから問題ないでしょ」


「手を抜いていたのか? それにしては動きそのものに欺瞞を感じ取れなかったが……」


 人間の無事が確認出来たからか、私からの返事を待つでもなく、それぞれが感想のようなものを言い合う。


成人前子供のようですらあった」


「人とエルフでは時の刻み方が違う。二十が三十でも子供に見えたのではないか?」


「そもそも戦いを『役割』とする者の動きではなかったようだが?」


「分からぬ。魔法を得意としたのかもしれない」


「では脅威にならないだろう。精霊術の前では魔法は無力」


 盛んに議論を交わすのは、私が彼の実力を嘘偽り無く報告したせいだろう。


 その高さから『もしかしたら逃げられるのかもしれない』と考えた里守も少なくはなかった。


 掟が破られることが不安に思えたのだろう。


 バカバカしい。


「この人間の性根は『善』よ。ちゃんとそう言ったじゃない」


 活発に議論を交わす里守達に冷や水を掛けた。


 実力を確かめる必要はないと言ったのに、『応』が多数で戦うことになったからだ。


 ちょっと怒っている。


 男って直ぐに争いに持っていくんだもの。


「確かにそうだろう。少なくともセフシリアは懐いているようだ」


 声を上げたのはルールを説明をした里守長だ。


 それでなくとも数える歳月がを越える里守は、私の報告で納得してくれていた。


 昔里に居たという『魔女』とやらと接点があったからだろうか? その実力を測る基準が既に存在していたのかもしれない。


 フヨフヨと漂っていたセフシリアだったが、手合わせが終わったと見るや人間の腹の上に休憩とばかりに座り出した。


 どうもセフシリアが好意的なのは間違いない。


 それを聞いて納得する先輩里守も多かった。


「中々気難しい精霊なのに……人間には直ぐに懐いたものね」


 そもそも治療も二つ返事で受け入れてくれたのよねー。


 実体を持つ精霊は、そのぶん力も強く意思を通すのも困難だ。


 願いを聞き届かせることが出来るエルフの数も多くはないだろう。


 だというのに、この人間をあっという間に気にいってしまった。


 そこだけは納得がいかないとばかりに首を傾げる私に、里守長が珍しく笑みを浮かべて続ける。


「フ、セフシリアが特別と言えば特別なせいもあるが……彼女も中々に変だったからな。似たような波長を感じ取ったのかもしれん」


 ……変な人間が好きってことかしら?


「ああ、そうね。この人間って中々に変なのよね」


 私の中の人間像が歪んじゃうから困るわー。


「…………いつまでコブを押さえてるんだ?」


「何言ってるのよ? しっかり押さえておかないと腫れちゃうじゃない。セフシリアに預けるまで、ちゃんと冷やして介抱するわよ」


 私と里守長が話していると、アグラが話題を混ぜ返す。


 何をイライラしてるのかしら? もう本当、今日は不機嫌ね。


 相手をしていられないと人間を抱き起こすと、溜め息を吐き出した里守長と目が合った。


「なーに? どうかした?」


「いや、気にするな……ああ、そうだ。ラナリエルのことはどうするかな……。会わせろという意志表示が強いんだ」


「聞いた話と特徴が一致するし、人間が来た方角から見て間違いないと思うけど……私が判断することじゃないでしょ? でも子供達がラナリエルに話しちゃうんじゃないかしら?」


 より行きたがりそうよね。


「そうか……そうだな」


「エフィルディス、貸せ。俺が運ぼう」


「いいわよ。私が運ぶから」


 再び言い合いを始める私達に、里守長がもう一度溜め息を吐き出して、今回の手合わせを締め括った。


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