第208話
『掟だし、そういうものでしょ? 本来なら踏み込むことだって許されてない人間を自ら引き入れたんだもの。罰として妥当じゃない? 人間は違うの? まあ、お互い拾った命だと思えば、諦めも付くってもんでしょ。ともあれこれで貸し借りは無しってことで。あとは貴方の選択次第ね。私? 私はもう選んだもの』
そう言ってサバサバとした態度で帰っていくエルフを見送ってどれぐらいか……。
「なんだそれ……知らねえよ……」
俺には関係ない。
というか関わり合いたくない。
気にせず逃げればいいさ……見張りも何もないんだし、勝算だってある。
魔法を使って振り切って、ローブを脱いで溶け込めば、あとはいつもの村暮らし……。
のんきで、穏やかな…………。
「ふざけんなよ……知ったこっちゃねえっつーの……」
なんて愚痴を、どれだけ吐き続けていたのだろうか。
時刻はとっくに夕方で、西日が俺の目を焼くぐらいになった。
昼過ぎにエルフが去ってから、太陽は随分と傾いている。
――――なのに一歩も動けていない。
あまりハッキリと覚えていないのだが、俺はエルフの少女を助けたらしい。
オーガの群れに囲まれているところを助太刀したと言う。
…………単に逃げる途中で遭遇した魔物を防衛本能で攻撃しただけ、って気もするけど。
しかし助かったのは事実で……だから俺のことも助けることにしたんだそうだ。
そのまま放っておいたら他の魔物の餌食になることは明白だったので、魔物がいる森からエルフの縄張りとしている森まで移動させ、ボロボロの体を癒やすために手を尽くしてくれたんだとか。
そんなこと言われても……。
「言われてもっていうか……言われたら、って感じだよなぁ……」
えぇー……、いや……えぇー……?
俺が逃げれば、エフィルディスと名乗っていたエルフの少女が確定で死ぬ。
俺にも追っ手が掛かるし、まず逃げ切れないと言われた……いや逃げ切れますけど?
とにかくエルフと敵対するのは間違いない。
俺が残れば、俺も少女も殺されることはなく……しかしエルフの里からは出られない。
一生。
当然だがケニアの結婚や出産にも立ち会えなくなる、というか……そもそも村に帰ること自体が無理になるわけで……。
「なんてこったい……どうしたらいい?」
俺の胸の上で足をパタパタとさせている赤児に問い掛ける。
返事は無く、また重さも無く、おまけに音も無く……ただニコニコニコニコしている。
何か反応が欲しくなってちょっと魔力を練り上げてやったら、大興奮で『きゃー』と言わんばかりに手をバシバシと叩きつけてきた。
全然痛くないけど感触はあった。
どうやら実体がある精霊のようだ。
……あの猫と同類かぁ。
「あーあ……もう暗くなってきたよ。今日のところは、しょうがないから泊まることにするか……」
山の稜線に落ちていく太陽を見続けながら呟いた。
赤児が『そうしなよー』とばかりに頷く。
……このままズルズルと決断出来なくなりそうな気がする……本当にいいんだろうか?
「……なんか、この状態が良くないのかも? ……見た目を気にしなかったら気持ちいいし、眠くなってくるし……腹も減らないうえに、トイレにも行きたくならない――のはヤバくね?」
その『ヤバい』って考えも軽くなりつつあるのが本気で怖い。
俺が気絶してから三日が経っているという。
なのに平気。
飲まず食わずで、しかもボロボロのうえに魔力も無かった、というのにだ。
闇緑樹が万能過ぎて生活しないまである……いやそのままだな。
それは危ない。
「しかし……」
チラリと彼方へ視線を向ければ――夜になって尚不気味さを増す小屋が見えた。
あそこで寝ようっていう気にもなれないんだよなぁ。
……いや罠だよこれはぁ?! 搾取される方へと導かれてるぅ!
「……一応……一応訊いとくけど? 別に俺を食べてやろうとか思ってるわけじゃないよね? 獲物はより太らせてから食うっていう魔女の御婆様的なムーブじゃないよね? なんでニコニコしているの? なんでこんな時ばっかり返事がないの?」
いつまでもニコニコとする赤児にビクビクし始める俺。
「…………よ、よーし! 新生活を始めるぞ! 家具も部屋もあるっていうし! じゃあ早速で悪いんだけど……ちょ〜〜っと、根っこの方を取り除いて貰っても……」
ドキドキしながらお願いしてみたら、割とあっさりと頷かれ、木の根が引いていく。
そこは素直なんかい。
なんだろう……たぶん、もの凄く便利で有用な植物なんだろうけど……なんで広まってないのかも分かる気がする。
立ち上がりながら、軽くストレッチをした。
しかし凝り固まっている筈の筋肉は、いつでも動き出せるぐらいに解きほぐれていた。
「さーて……うん?」
呟きつつ
「……え? 君……ついてくるん?」
コクコクと頷きながら満面の笑みを称える赤児さん。
……これは獲物は逃がさない的な笑い方じゃないよね? ね? ……ねえ?! こんな時ばっかり返事しないのはズルいと思います?!
しばらく待ってみても、どうやら離れる意思は無さそうだったので、仕方なく浮遊する赤児を肩に付けたまま、人外魔境に聳える魔女が住んでいたと言う家へと足を向けた。
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