第201話 *第三者視点


 もしかしたら逃げ切れるのではないかという考えがエフィルディスにはあった……が、しかし色付きのオーガに率いられる群れは甘くなく、時間と引き換えに追い詰められていった。


 倒したオーガは二匹。


 増えたオーガが三匹。


(……お土産には足りないわね)


 エフィルディスは懐に残した火の恩寵を使うタイミングを計っていた。


 欲に支配された魔獣共に周りを囲まれてしまったからだ。


 既に矢も無く、弓も折れた。


 エフィルディスが森で扱うには最良とされている短剣を抜いた。


 オーガに比べれば随分と物足りないものだ。


 しかし『火』を解き放つには充分だろう。


(百二年ぐらいかな? まあ充分かしら。終わり方も派手だし。私、多分『眠りにつく』終わりじゃないと思ってたのよ。正解だわ)


 色付きのオーガがエフィルディスの前にやってきた。


 最初の一口は偉い奴からという考えなのだろう。


(――――見てなさい)


 オーガが欲に歪んだ笑みを浮かべ、覚悟を決めたエフィルディスが応えるように不敵に微笑んだ。


 その時だった。



 黒い風が吹き荒れた。



 異変は、オーガの一匹が吹き飛んだことに端を発している。


 は突然現れた。


 ……人だろうか? しかしエルフではないことは確かだ。


 エルフはあのような物を身に纏わない。


 が凝り固まった……そんな矛盾の産物のようなローブを纏っている。


 恐らくは魔遺物だろう。


 人が好んで掘り起こすだ。


 楽しみを邪魔されたオーガが怒りのままに襲い掛かった。


 オーガに仲間を思うという気持ちはない。


 群れは『強さ』に率いられる、そこに同族感情は存在しない。


 当たり前だろう、森においてオーガは捕食者に当たるのだから。


 黒い残光を引きつつ、ローブの人物が舞い踊る。


 森に相応しくない穢れと、暴力と、色彩が、エフィルディスの網膜に焼き付いた。


 しかし不思議と――――


「ゴォオオオオオオオオッ!!」


 色付きのオーガの咆哮で、我に返った。


 未だ脅威は去っていないのだと、暴力の化身がエフィルディスへと突き付ける。


 黒いローブの何かは、血と穢れに濡れる森の中で、気にした風もなく色付きのオーガへと歩を進めた。


 残るはお前だけだと言わんばかりに。


 色付きのオーガが、その巨体と膂力を活かした一撃を放つ。


 ただでさえ怪力なオーガの特異体なのだ。


 その一撃は大地を割るだろう。


(ここで動くべきだ……!)


 懐にあった『火の恩寵』を取り出し、短剣を構えた。


 僅かな躊躇があったのは、犠牲となるのが自分だけじゃなくなることなのかなんなのか――


 その躊躇がエフィルディスの命を救った。


 酷く鈍い――金属が潰れる音が響いた。


 たとえ竜の皮膚であろうと傷を付けんとするオーガの棍棒が圧し潰れていた。


 エフィルディスは眼前の光景を理解出来なかった。


 エルフの常識なら『色付き』は文字通り桁が違う。


 そして膂力に合わせたような『武器』も持っている。


 なのに何故か――――黒いローブは立っている。


 原型を留めている。


 雄叫びを上げるオーガが、今度はその小さな体を握り潰さんと黒いローブに躍りかかっていく。


 捕まった――と思った次の瞬間には、ローブの人物はオーガの懐に潜り込み、その巨体を折り砕いていた。


(…………な、何が、なんなの?)


 手に纏わり付いた蠅を捨てるように、力の抜けたオーガの巨体を打ち払う黒いローブの人物。


 何かを探すように辺りを見回す黒ローブとエフィルディスの視線が合う……合ったように感じた。


 黒いローブの人物はフードを深く被っていて、エフィルディスの側からはその顔が判然としなかったのだ。


 思わず短剣を構えるエフィルディスであったが……何故か戦意は湧かなかった。


 暫しの睨み合いの末に――――黒ローブが倒れた。


「…………え? な、なんでぇ?!」


 声を上げるエフィルディス。


 黒ローブは反応しなかった。


 一分経っても、五分経っても。


 黒ローブは起き上がらない。


 代わりとばかりに、何故かオーガが呻き声を上げた。


「なん?! ちょっ、ちゃんとトドメを刺しなさいよね!」


 慌てて倒れ伏す色付きのオーガに駆け寄って、皮膚の薄い首へと短剣を差し込み命を断つエフィルディス。


 他にも生きているオーガがいるようなので、早々に生死確認をしてトドメを刺していく。


 大きな手傷を負い、万全とは程遠い状態のオーガであれば皮膚も刺し貫けた。


 全ての処置を終えたエフィルディスが黒ローブの傍に立つ。


「……人間よね? たぶん……」


 顔を確認するためにフードを脱がせようと恐る恐る引っ張っるエフィルディスであったが、一向に取れない。


「何よこれ? 全然取れないじゃない。引っ付けてるの? もう……ほんっと、どうなって……もう! ほんっっっと! 人間って何考えてるか分からないわ! ……どうしようかしら? 先に傷の……」


「エフィルディス」


「わあああああああ?!」


 集中力の切れていたエフィルディスは背後から近付く同胞に気付かずに叫び声を上げてしまった。


「い、いきなり声掛けないでよ――アグラ!」


「……どうなっているのだ、これは?」


 しかしアグラはエフィルディスの叱責には答えず、驚いてオーガの骸を見つめるばかり。


「エフィルディスがやったのか?」


「えーと、殺したのは私なんだけど……倒したのは違うっていうか……あーもう! 説明が面倒ね!」


「なんだそいつは?」


「そんなに一気に訊かないでよ! 私だって分からないわよ?!」


 苛立たしげにいきり立つエフィルディスをおいて、アグラが黒いローブの人物を見つめる。


 アグラの瞳が紫に輝く。


「……魔力欠乏症だな。完全に『視えない』うえに、恐らくはその魔遺物が微量ながら更に魔力を吸い上げている。永くはないだろう」


「ええ?! た、助けないと!」


「よせ。何を考えている? そいつは人間だろう? 放っておけ」


「そんなわけには行かないでしょ?!」


「落ち着け。何を興奮しているんだ? 未だ戦意が収まらないのか? 『視た』ところ傷も負っていて手遅れだ。そもそもが怪しい。こんな森の深くまで……下手をしたら、こいつが拐かし人かもしれないんだぞ?」


「それは……」


 理解出来ないと首を振るアグラに、エフィルディスは食い下がった。


 しかしエフィルディス本人ですら自分の感情を理解が出来なかったため、言葉が出て来ずにいた。


 そんなエフィルディスの様子にアグラも苛立つ。


「いいだろう。楽にしてやりたいと言うのなら、俺がやろう」


「――やめて。私は…………助けるって言ってるの」


 短剣を抜いたアグラに応えるようにエフィルディスが短剣を構える。



 ――――コポッ



 ピリピリとした緊張感のある静けさを割るように――何処からか水が泡立つような音が聞こえてきた。


 所在は直ぐに知れた。


 黒ローブが倒れ伏す脇に、地面から水が湧き出しているのだ。


 血ではない、地面から湧いているというのに透明な水だ。


 それは瞬く間に広がり、小さな水溜りとなった。


 波紋が広がるように――水溜りの中から子猫が飛び出してきた。


 白い毛並みの、緑の目をした――――精霊だった。


 たとえどんな姿を模していたとしても、エルフにはハッキリと分かる共感性が、精霊にはあった。


 しかも実体を持っている。


 呆気に取られるエルフを無視して、淡く発光する白い子猫型の精霊は、まるで『またかこいつ……』とでも言わんばかりに表情を歪ませ、前脚をフードの奥へと突っ込んだ。


 鮮やかな水色の何かが、精霊からローブへと流れていく。


 それは一分も掛からなかった。


 光が収まった先で一回り縮んでしまった精霊は、しかしそのことを気にする風でもなく、『やれやれ』と仕事が終わったかのような人染みた仕草で、水溜りへと沈んでいった。


 まさにあっという間の出来事。


 互いに幻を見ていないかと顔を合わせる二人のエルフ。


 暫しの沈黙を挟んで、エフィルディスがアグラを促す。


「……見てよ? 『瞳者』の貴方なら分かるでしょ?」


「……ああ」


 再び瞳に紫の光を灯して黒ローブを見つめるアグラ。


 納得がいかないような様子だったが、『視た』結果をエフィルディスへと伝える。


「……魔力が回復している。最低限度だが」


「そう。ならあとは傷の治療だけね? ――――里に連れて行くわ」


「反対だ。あれは人間で、しかも禍々しい。どう見ても厄災を呼ぶ」


「でも精霊が生かしたわ。きっと必要なのよ」


「……精霊にとっての必要は、エルフにとってのそれじゃないこともある」


「もう決めたの。手伝わなくていいわよ、責は私が負うから」


「反対だ。里に人を入れるなんて教えに反する」


「前例があるじゃない? もういいわ、勝手にやるもの。……それより貴方なんでここにいるのよ? 里守としての役割を忘れたの?」


 アグラ以外に戻ってきた里守がいないことから、エフィルディスはそれが単独行動なのだと見破っていた。


 『お前もやってるだろ?』と暗に言われたアグラは口を紡ぐしかなかった。


 やれやれと息を吐き出したエフィルディスは、短剣を鞘へと仕舞い、黒いローブの脇へと屈み込むと、脇から手を入れて抱え上げた。


「まだ何者なのかもハッキリしてないけど、とりあえず言っとくわね。…………ありがと」


 幸運にも命を拾えたことを、エフィルディスは黒ローブに感謝した。



 エフィルディスの耳に届くのは、ようやく聞こえるようになった僅かな呼吸音だけであった――――








 ――――――――to be

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