第200話 *第三者視点


 エルフにも信仰がある。


 しかし人間が掲げる宗教とは捉え方に大きな違いがあった。


 教えと呼べるものは多くなく、また崇拝と呼ぶにも身近だった。


 エルフは精霊を信仰していた。


 しかしその内実は『神』を掲げ奉るような偶像崇拝のそれとは違い、親しい隣人に対する強い敬意のようなものだった。


 エルフにとっての精霊とは『世界を存続させるための意志』である。


 故にその教えも極端で、『極力邪魔をしない』といった単純なものが多かった。


 何故『極力』なのかというと。


 精霊は気まぐれでそのも捉え難く、近い価値観は持つものの『世界』を第一に考えるため、時にエルフを蔑ろにするからだ。


 状況によっては対立もありうる。


 そしてエルフにとってそれは自然なことでもあった。


 しかし『極力』だ、出来ることなら避けたいという考えはある。


 そのため、エルフには『巫女』という役割が存在した。


 この『巫女』というのは、エルフの意思を精霊に伝え、精霊の意思をエルフに伝えるための存在なのだが……。


 エルフにして『希少』と呼ばれる程に、その存在は珍しく、また生まれ落ちてくることがなかった。


 数千年の歴史の中で片手で数えるに足りるぐらいには。


 ハイネの里に、新しい『巫女』が生まれたというのは、エルフの世界では少し騒ぎになった。


 しかしあくまで『少し』である。


 あるがままを受け入れるエルフは、『巫女』の有無で生活を大きく変化させたりはしない。


 また珍しいからといって特別扱いをしたりもしない。


 新しく生まれた『巫女』は、普通の赤ん坊として取り上げられ、他の『里の子』と別け隔てなく育てられた。


 どれぐらいの奇跡的な確率……もしくは運命の悪戯か。


 その『巫女』が、よりによって人に捕まってしまったという。


 一緒に連れ立って森を歩いていた他のエルフの子供を逃がすために、自らが囮になったそうだ。


 その精神は尊いものだろう……しかし事態はややこしいものになった。


 数少ないエルフの教えに『人に《愛し子》を渡してはならない』というものがある。


 《愛し子》というのは『巫女』の古い呼び方だ。


 何故『巫女』を人に渡してはならないのか、それは最長齢の長老ですら知らないと言うが、里の掟にもその一文は刻まれている。


 疾く速やかに奪い返す必要があった。


 必然、奪還は厳しいものになると予想された。


 まずは『自分達の森』の外にある森を越え、巫女が囚われている人間の領域に行かなければならない。


 エルフが根付いている森なら、外敵は大した脅威にならないのだが……魔物がのさばる森では話が違う。


 人間は森の魔物を排除しないという不可解な行動に出ていたため、まずはその森を越えなくてはならなかった。


 しかも最悪なことに。


 人間は自分達が実りを得ている、その後ろに大きな砦を築いているという。


 偵察に出ていたエルフも、この報告には顔を顰めていた。


 理解出来ない。


 しかし理解は出来ないものの、巫女がその向こうへと連れ去られたら、奪還はより困難なものになるだろう。


 時間は無かった。


 里守の半数が奪還に加わった。


 本来なら人間の森をことから始め、最終的には人の街をまでが、今までの手順であったが、巫女がいるとなっては事を急がなければならなかった。


 里守の半数――――これだけで人の街を二つは鎮められる戦力だろう。


 エルフの戦士の質は、人の戦士より遥かに高い。


 十数人といれば人で形成された一軍をも相手に出来よう。


 今回の奪還には五十人が参加した。


 魔物の蔓延る森を越えて、人の領域での奪還となるために、それだけの数を割かなければならなかった。


 万が一を考えてだという。


 そしてその判断は正しかった。


 偵察に十人を出して森に潜んでいる最中に、オーガの群れと遭遇したのだ。


 オーガはエルフだけでなく人も獣も腹に収める、残忍で強力な魔物だ。


 それが十七匹。


 ここは既に人が治める森である。


 魔物の間引きをしないからと、まさかオーガの群れまで許すというのは、エルフには考えられないことだった。


 成体のオーガなら、エルフの戦士一人分の力がある。


 こちらの被害を考えずにはいられなかった。


 しかも最悪は重なる。


 オーガの群れの中に『色付き』がいたという。


 オーガの色付きは、それだけでオーガ十匹に匹敵する力があるのだ。


 奪還班は話し合った。


「一度我らの森に引き込むべきでは?」


 そう、それならオーガの群れといえど恐れるものではなくなるとエフィルディスは思った。


「それでは時間が無くなる。今においてもギリギリの進行具合だ。ラナリエルが連れて行かれるだろう」


 しかし奪還班を率いる里守長が否定した。


「……班を半分に分けるべきだ。一つは我らの森にオーガ共を牽引し、一つはラナリエルを助ける……」


 エフィルディスの隣りに立つアグラが答えた。


 しかしこの意見にも里守長は首を振った。


「それは同胞の多くを危険に晒す。『色付き』がいるのだ。統率を取られているだろう。ラナリエルを救出する班に来られたら全てが朝露のように消えてしまう。……『根切り』を行おうと思う。決議を取る」


「俺が行こう」


 間髪入れずにアグラが応えた。


「お前ではダメだ。奴らはオーガだ。女であるべきだ」


「認められない。同胞を危険に晒す行いだ。四分の一を引き入れに使おう」


「アグラ……決議を取る」


「否」


 静かだが力強い声で……決意を滲ませる声で、アグラが即座に唱えた。


 しかしアグラの決意は届かず、ほぼ全てのエルフが「応」と唱えた。


 エフィルディスも然り。


 『根切り』というのは、所謂『囮』の役割を誰かに託すことを言う。


 この場合の根切り役は、女であること、奴らを上手く引き付ける手段を持っていることが条件だ。


 弓が里で一番だと言われるエフィルディスが選ばれたのは必然であった。


「ありえない。こんなことは認められない。エルフの矜持を穢す――」


「あのね? それ以上言うのはやめてくれる? 私、あなたのこと嫌いになりそうだわ」


 必死に食らいつくアグラをエフィルディスは溜め息混じりに諌めた。


 根切りを「受ける」と言っているエフィルディスが『言及するな』と伝えているのだ。


 それ以上はアグラといえど続けられなかった。


 特に動揺を見せずに引き受けたエフィルディスだったが、勝算は無い。


 遠距離から倒せて二匹、多くて三匹、無理して五匹、それ以上の目算は楽天家と言われるエフィルディスをして唱えられなかった。


 恐らくは死ぬことになるだろう、と。


 死を怖いと感じることはなかった、役割に殉ずることに誇りすら感じていた。


 しかし遺骸すら玩ばれるであろうことは、エフィルディスも分かっていた。


(その時は……火の恩寵を使うかぁ。また里長に怒られちゃうわね。説教を聞けないのが残念かな?)


 未だに残ろうとするアグラを蹴り飛ばして先を急がせ、オーガの群れに矢の雨を降らせた。


 岩より硬いとされるオーガの肌に、しかし確かな矢傷が刻まれる。


 鬼ごっこの始まりだった。

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