第198話 *第三者視点


 そこは薄暗く狭い部屋であった。


 カーテンから漏れる光からしてまだ日中だというのに、閉め切られているせいか明かりがなく、加えて光源となる物も窓しかなかった。


 所狭しと並べられた机には、書類から不可思議な器具から机の積載量を越える物が積み上げられ、溢れた出したそれらで地面が埋まり、境い目が分からない程だった。


 そんな物で出来た山に囲まれた部屋の中心で、焦茶色の髪をした男が机に覆い被さるようにして書き物をしている。


 汚れた白衣に眼鏡をしている男だった。


 フレームの無い眼鏡から覗く緑色の瞳、病的な程に青白い肌、ボサボサに乱れた焦茶色の短い髪――


 徹夜続きで監禁されている研究職のようにも見える。


「……ん?」


 白衣の男がのっそりと顔を上げた。


 男が座る机の一角に、黒い砂が山のように積まれた場所があった。


 男が顔を上げるのと同じくして、黒い砂が独りでに動き始める。


 それは白い紙の上で文字を形成していく。


 不可思議な出来事を当たり前のように捉えていた男が、興味が無さそうな表情で砂文字を追っていたが……文字列が長くなるにつれ首を傾け始めた。


「…………負けた、か。ふむ……」


 砂文字が動き終えるのを待つと、文字列を再び追い掛け一考する。


 口元を手で隠して、指が一定のリズムを刻む。


「何故かな?」


 男は一言呟くと、徐ろに机の上にあった物を無造作にゆっくりと払い除けてスペースを確保した。


 ドサドサと書類が床に散らばり黒い砂が舞う。


 まともに表面が見えるようになった机の上に、丸められていた大きな紙を広げた。


 地図だ。


 上下に『テウセルス』『デトライト』と描かれた8の字のような――とある平原の地図。


 男の視点を主軸とするなら、男はデトライト側なのだろう。


 広い地図の上に凸字のような駒を幾つも並べていく。


 際立って目立つのは赤い駒だろう。


 相手に一つ、こちらに一つ。


 こちら側の赤い駒は砦の上に陣取り、相手側の駒は8の字のちょうど中心に置かれている。


 ブツブツと男の独り言が漏れる。


「情報戦はこちらの完封。近い貴族は金で転がした。時期も戦争期とも呼べる程に忙しい。向こうの手駒は七つ。うち三つは国境に赴任していて動かせない。王都にある二つも同上。一つを遊ばせて、一つが新しい。こちらの勝率は九割五分を越えていた。マズラフェルのマスターは『いざ』に備えて動けまい。近くの冒険者で可能性がありそうなのには。罠は八割が作動。一割が不発、一割を潜らせたまま。砦には保険を設置。マズラフェルのマスターは気付いた筈。有望株は手元に残しておいただろう。これも把握している。増援は無く、また間に合わない。山側は特に厳しく取り締まった。流通も絞り、噂も流した。陸の孤島と化していたのは間違いない。形勢は七分、三分で引き込めた報告が上がっている…………何故かな?」


 男の手が駒へと伸びる。


 それはテウセルス側の山とデトライト側の山へと動く。


「伏兵は無く、エルフの介入すら予想していた。そのために穀倉地帯を空に。勝算は森林戦だろう。そもそも奴らは人間に与しない。除外。テウセルスが勝つには七つのうち四つと交換だった筈。使えて三つ。まさか安全を捨てたか、国王? 入手した情報では保守的な人物だった筈。ありえない。だとすると新しい一つを見誤った? 否。人間である以上は防げまい。『電子レンジ』は二回まで作動出来た。少なくとも七つのうち一つは破壊可能。最大で二つと予想。残りの戦力と一槍を使えば、あと二つあったところで押し込める。よくて『分け』だろう。損失を考えれば勝ちよりも大きいものが見込める。分断と引き込みは達成されていた。つまり…………」


 男が――――握り込んでいた黒い駒を戦場の中央へ置いた。


「第三勢力かな?」


 からの報告にあった黒衣の出現位置からを時系列に追う。


「テウセルス側の山間地帯から侵入。工作班をしるべに使ったのか? 皮肉が利いているな。中央の森……押している側が警戒せざるをえない地点から戦場に介入。七剣を……殺さずに進んだ。上手いな。敵右翼を混乱させながら主戦場へ。報告が足りん。やはり冒険者を紛れ込ませるべきだったか。その後『電子レンジ』を破壊。意味が分からん。手法はなんだ? 冒険者の群れに紛れ砦に入り込む。『保険』は潰され、罠が発動せず。こいつの目的はなんだ? 単純にアゼンダの国益を損ないたいのか? それとも砦のアレか? ……ふむ。勝率が九割五分を越えていたので優秀な手駒を回収に向かわせたのだが……失敗だったか? 出来れば回収したい。いやそもそもこのは、どういう盤面整理をしたんだ? ここまでハマるものなのか? しかし甘さは目立つ。知らなかったのか? テウセルス側の冒険者に碌な人材は混じっていない。兵器の発動を二回と見切っていた? いや七剣を使えばいい。緑華爪は無傷で倒していたと書いてある、精査に使えたろう。槍を二振り置けば……この考えはいかん。推し量る物差しがない。『電子レンジ』の壊し方はどうだったのか? 『魔力場』の外からか? 内からか? いや手段は確立されている。この仮定にも意味はない。上限の決まっていた戦場で手札を晒させた状態から最高の伏せ札を用意していた。これは相手を褒めるべきだな。大したものだ」


 男はボーっとした表情で対面の暗闇を見るともなしに見ていた。


 そこから伸びる透明な手を夢想し、更に戦場の状況を俯瞰していく。


「七剣へのちょっかい。これは予想の範疇だった筈。引き込みを考えていたのなら新しい一つの人物像を知っているな。近しい人物か? 読んだのは性格だろう。不確定が過ぎるぞ。戦場への乱入。自殺行為。しかし『電子レンジ』の被害はない。自信か、過信か……少し腹が立つ。相手の思惑通りだな。こちらとしてはにも対応出来るように空中での使用も考えていたのにな。正面突破か。やられた。想定が甘かったか? 三次元の対応を取れなかったのか舐められているのか。伏せられている情報に差異があり過ぎる。保留。情報戦においては影も形も無かった。考えられる可能性は二つ。圧倒的に上か、湧いて出てきたか。後者だろう。前者の仮定は意味を為さない。帝国なら一言ある。神を抱くあそこなら堂々と来る。エルフは有り得ない。やはり同国の別勢力と考えればしっくりくる。……………………ふむ。少数精鋭なのか? あとは足跡を辿りたいところだな。目撃証言の殆どが『黒衣』であること。ふむ……『死神』ともあったな。しかしあれではない筈。興味深い。バックがいるのか個人なのか――どちらにせよ勧誘対象なのではないかな?」


 最後の一文は背後に立つ人物に向けて放たれた。


 男が考察を続ける間に、部屋の暗がりに亀裂が入ったのだ。


 よく慣らした目で見れば、単に扉を開けただけだと気付いただろう。


 いつの間にか外は暗く、部屋の中には一切の光がなくなっていた。


 扉を開けて入ってきた人物は、男が独り言を止めるまで、ただ立って待っていた。


 明かりから伸びる影は黒く、また纏う衣装も黒一色。


 唯一の色味があるとするなら――――フードの奥から覗く赤い瞳。


「あなた、嫌い」


「もうちょっと会話したまえよ」


「報告」


「それでは報告がのかのか分からないのだが?」


「両方」


「では情報の擦り合わせをしよう」


 日も射さなくなってしまった暗い部屋で、彼らは今後の動きを含めた情報交換を始めた。


 巻き込まれることになる黒い影は、未だ目覚めず――――

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