第195話


「な、なん、なっ?!」


 瞳に涙を溜める商家の倅のデコデコをくっつける。


 いい音が鳴ったけど、これは頭突きじゃない。


「泣いてんじゃねえ」


「……ッ! は?! え? あの?!」


 ナイショ話をするためだ。


 悪いことを企む時は、大抵こうして角を突き合わせて喋ってただろ?


 まあ今日は悪巧みって言うより伝言ってだけだけど……。


 似たようなもんだろ?


 一方的に吐き出した。


「戻ったらターナーに謝っといてくれや。アンには二度とマラソンに誘うなって、ケニアには幸せになれよって、テッドにはバカ野郎って、伝言頼むわ。お前にはクソ野郎って言っとく。――――じゃあな、お幸せに」


 言いたいだけ言って突き飛ばした。


 ヨロヨロと下がったチャノスが、足に力が入らないのか尻もちを付く。


「……………………え? ……あ、え?」


 ……しっかり立てよ、支えてやれよ。


 もう面倒見れねぇからな。


 軽く息を吐き出して振り返る。


 頭の中がいやに静かだった。


 都合がいいとばかりに歩を進めた。


 再び飛び込んでは弾き返されたリーゼンロッテの足を、丁度いいとばかりに掴んだ。


「選手交代だ」


「キャッ?!」


 何が『キャッ?!』だ、今更女性ぶるのはよせ。


 リーゼンロッテを背後に放り捨てて、白黒髪の前に立つ。


 凍えるような冷たさを称える水色の瞳が俺を貫く。


 今はその視線も……あまり気にならなかった。


 適当に槍を構える白黒髪に口火を切る。


「先に言っときたいんだが……」


「なんだよ……命乞いか? そういうのめんどくせぇ――」


「――命乞いは、しなくていいか?」


 面倒臭げに眉を顰めていた青年が、俺の言葉にピタリと固まる。


「俺としては、。別の選択肢もあるということを伝えておきたいんだ。命乞いをするのなら……見逃そう」


 堂々と告げる黒ローブに、青年が噴き出す。


「アッハッハッハッ! ……いいねぇ、吹くじゃねぇか。その自信の源は、さっきの風を相殺出来たから、ってところか? あんな小手試しで自信を付けたんなら悪ぃんだけどよ……結果は変わらねぇよ」


「……どうしても?」


「ハア……どんなブラフかまそうが無駄だ。テメェの動きはトーシロなんだよ。魔道具に自信持つのは勝手だけどよ……世の中そんなに甘くねぇぞ」


「…………ご尤も」


 じゃあ構わないな?


 石に蹴躓いて死ぬことがあっても――


 先制したのは向こうだった。


 やはり詠唱無しで魔法……というか『風』が飛んできた。


 今度は斬撃じゃなく、圧縮された渦のような攻撃だった。


 殺傷力ではなく重さを求めた結果だろう。


 先程の相殺から、こちらの能力が風の刃に関するものだと考えているようだ。


 もしくは他の引き出しがあるのかどうか、探りを入れている段階なのだろう。


 そんな駆け引きせずとも、やれるのは一個だけ……。


 一回だけなのに。


 空っぽになった魔力が、最後になる魔法の発動を告げた。


 予想通りと言うべきか……。


 両強化の四倍が発動している間は、気を失わずに済むらしい。


 頭痛も体の痛みも――後の事すら、今は気にならなかった。


 ――――ただ終わらせたかった。


 瞬く間に詰めた間合いに、白黒髪の男が反応した。


 この速度に付いて来ている。


 やはりまだ実力を隠していたらしい。


 リーゼンロッテとの攻防に全力を出さなかったのは、面倒だ面倒だと言いながらも俺を警戒していたからだろう。


 とんだ食わせ者だ。


 しっかり奥の手を持ってやがった。


 しかし――――付いて来ただけでは、止められるものでもないのだ。


 万力を込めて固めた拳を、相手の頬にめり込ませた。


 下手したら木っ端微塵になってもおかしくない速度と威力があるというのに……。


 拳に伝わってくるのは、分厚いゴムを殴ったような感触だった。


 めり込んだと思った拳は、しかし相手に触れていないことに気付いた。


 …………空気を固めている、とでも言えばいいのか……。


 分厚く圧縮された空気の層を纏っている。


 リーゼンロッテの攻撃が届かなかったカラクリはこれだろう。


 …………なら、問題ないか。



 ――――――――思いっきり行っても。



 風に後押しされて俺を斬り上げようと動く朱槍を蹴って、更に顔面を殴った。


 流石に衝撃全てを殺せないのか、頬が凹み首が振られる。


 肩を、腹を、顔を、腕を、胸を、腹を、胸を、顔を、手を、腕を、額を、頬を、首を、胸を、腹を、腹を――


 殴って殴って殴り続けた。


 槍を引き剥がせないかと蹴りつけるも、手を開いているというのに紐付いたように男から離れない。


 そういう効果があるのだろう。


 じゃあ、どうでもいい。


 殴り付ける程に槍の魔力は減っていく――なら問題ない。


 拳で弾幕を張り、男を壁に叩きつけると、二発目で壁をぶち破った。


 日の光が目を焼き、浮遊感が俺と男を襲う。


 すっかりと登った朝日が全景を照らしてくれている。


 ――――ターニャの予想通りだな。


 砦の向こう側は、人の気配の全く無い街並みと――――とても穀倉地帯には見えない荒野が広がっていた。


 互いの穀倉地帯を得るための戦争だと聞いている。


 テウセルス側には、既に戦う理由がなかったのだ。


 一体何があって、どうやって隠していたのやら……。


 不意に落下する速度が遅く……いや


 しかし男は落ちている――その分の距離が空く。


 僅かな帯空時間で得た距離を活かすように、男が槍を引いていた。


 水色の瞳が獲物を穿かんと輝く。


 速度の比を消すかのような最短距離、渾身の威力を伴った突きが、男から放たれた。


 腕は関節が増えたかのようにジグザグで、槍を握ってすらいないというのに。


 半ば自動的に、俺の額を目指す槍を――――空中を蹴って無理やり加速を得ることで躱した。


 フードと片頬を裂いて槍が流れていく。


 カウンターを合わせるように――


 男の胸に拳をめり込ませ、地面へと叩きつけた。


 男を中心とした地面が円状に凹み、幾筋もの罅が放射状に走る。


 荒れ狂う余波に街灯が割れ、建物にも亀裂が入り、地鳴りと風鳴りが通りを襲う。


 やがて音を無しくた通りの一角で、体の調子を確かめるように、ゆっくりと立ち上がった。


 遅れて落ちてきた槍が、男の傍に突き立つ。


 魔力は……感じられなくなっていた。


 それは俺からか男からか……。


 いきなり落ちてきた『とっておき』を前に、後門で砦に蓋をしていたデトライトの兵士達は、微動だにしなかった。


 苦悶の表情で血を吐き出す白黒髪。


 生きてるよ……運がいいなぁ、お互いに。


 頑丈なのか、槍のおかげなのか……。


 殺意を宿す水色の瞳を、既に慣れたとばかりに見放した。


「連れて帰れ。……二度と来るなよ」


 近くに居た立派な鎧装備の馬付きに手を振って、光を嫌うように、太陽を背にして走り出した。


 ――――時間がない。


 あとの事はリーゼンロッテに任せても構わないだろう。


 ……俺には、もうどうしようもない。


 ジリジリと制限時間が迫っているのを感じた。


 可能な限り遠くへ。


 骸を残さないために。


 遮二無二走った。


 ここがテウセルスなのかデトライトなのかも分からない。


 とにかく森の中へ。


 強化魔法を十二分に活かして直ぐに見つけられないように。


 まだだ……まだ大丈夫……まだイケる。


 この戦争の間、ずっと唱えていた魔法の言葉……。



 あるいは生まれてからずっと唱えていた誤魔化しの言葉。



 段々と体が重くなってきた。


 眠くなってきた。


 ……辛くなってきた。


 もういいかもしれない、頑張ったかもしれない。


 木々の隙間を抜け、木の葉が落ちるより速く駆ける。


 吠えるような声が轟いた。


 俺じゃない。


 赤い肌をした筋肉質で腰蓑装備の――角のある白目共が、森の一角を占拠していた。


 オーガ、だろうか?


 初めて見る魔物に、深く考えることもせずに拳を振るった。


 あとは魔物が死体を片付けてくれるだろう……なんて考えていたのに。


 ギリギリまで生き足掻いてしまうのが、なんとも俺らしい。


 蝋燭の最後の瞬きのように力を発揮し、群れる鬼共を殴り散らかした。


 やはり四倍の強化は桁が違うのか。


 殴ったところが爆散する、もしくは子供に与える玩具のように肌の赤い鬼共が軽々と飛んでいく。


 俺の三倍は優に越えそうな質量だというのに。


 暴風と爆音が吹き荒れる。


「ゴォオオオオオオオオッ!!」


 一人だけ金属製の棍棒を持った肌の青い鬼がいた。


 突然の暴挙が癪に障ったのか、もはや足を止めてしまった俺目掛けて突っ込んできた。


 振り下ろされる金棒を右拳で跳ね返し――――鈍い音が響いた。


 相手からじゃない。


 酷使し続けた右手が垂れ下がる。


 これはチャンスとばかりに、青い肌の鬼が右手で掴み掛かってくる。


 ――――まだ左手があるだろ?


 鬼の手を掻い潜って懐に入ると、これが最後とばかりに左拳を突き上げた。


 肉々しい感触と共に、青い肌の鬼が青い血反吐を吐き出した。


 力の抜けた巨体を、ぞんざいに放り捨てる。


 …………あとは。


 他に鬼がいないかと見渡せば、青い鬼で見えなかった巨木の前に、剣を構える女がいた。


 ……………………人がいるじゃん。


 …………早く、はなれ……………………ない、と……。


 限界だ。


 掠れゆく意識の中に映る剣を構えた女の顔は、何処かで見たことがあるような気がした。


 出逢ったことない女だというのに……。


 気付けば地面に頬を付けていた。


 ……………………。



 ――――――――…………今度こそ、








 ――――――――第四章 完

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