第178話


 なんか…………なんだったかな?


 言いたいことがたくさんあった、会ったら言ってやろうと思ったことがたくさん……たくさん――


 全部忘れてしまった。


 節約を忘れて両強化魔法を三倍にまで引き上げた。


 図体のデカい冒険者が巨大な斧を振り上げたからだ。


 思い出すのは木登り。


 アンが一番得意だったのだが、やらかすのが多いのもまたアンだった。


 ケニアは木登りが得意じゃなくて、ターナーは危なっかしいくせにドジを踏むことがなくて、専ら怪我をするのはアンばかり。


 いつもテッドが呼びに来て……。


 ターナーがやっていたからと言って、枝の上で真似して跳ねるもんだから枝が折れて、監視していた俺が危ないと手を――


 伸ばした、伸ばすさ、何度でも。


 人混みを掻き分けて跳んだ、バタバタとローブが喜んでいるかのように靡く。


 着地するや否や前へと足を繰り出した。


 二人の動きは速く、三倍でも攻撃の瞬間にしか間に合わなかった。


 ――――それでも、間に合った。


 生きていた……!


 激突の瞬間、力の限り手を突っ張って両者の得物武器を受け止めた。


 掛かる圧力に足元の地面が凹む。


 防御を抜かれた手の平が鮮血に染まる。


 ――――しかし何より歓喜が体を包む。


 冒険者が振り下ろした斧は鈍い音と共に止まり、アンが振り上げた剣は勢い余って握り潰してしまった。


「――あ、悪い」


 ついスルッと出てきたのはいつもの喋り方だった。


 しまったと思ったが、同時に安心もしていた。


 気付くわけがない。


 そもそもが前世の声で、見え方からしても別人、しかもフードの奥は見えない作りになっていて――――


「――――――――レン?」


 はあああああああああああああああ?!


 いやいやいやいや! どうなってんだよ?!


 ……もしかしてローブの効果が表れてないのか? そそそそんなバカな?! もう色々とヤッちゃってるんですけどぉ! 謝って済む問題が一つもないんですけどおおお?!


「……あ、ちが、ごめ」


「…………ア」


 ワタワタと手を振り混乱するアンに、事情を説明しようと口を開いたところで――冒険者が動いた。


 大斧は俺を両断せんと威力を保ったまま、その動きを止めていた。


 動いたのは逆の手だ。


 大斧を押し込まんとする右手はそのままに、左手が短剣を逆手に掴む。


 抜刀の勢いのままに一撃を入れるつもりなのだろう。


 咄嗟に出てきた対処法は流れるように行えた。


 抜刀寸前の短剣の柄を足の裏で抑えて蹴り込んだ。


 左手が跳ねてガラ空きになった鳩尾に横蹴りを叩き込む。


 頑丈な斧を残して飛んでいった冒険者が、後ろに控えていた別のパーティーに当たりボウリングのピンのようにハネた。


 …………そういえば三倍に強化してたっけ?


 距離を置いて欲しかっただけなんだけど……物理的に。


 まあいい。


「アン。テッドとチャノスはどうした?」


「は、はい! ……はい?」


 おう、前後で意味が違うぞ一兵卒。


 緊張したように背筋を伸ばし、しかし疑問を表情に張り付けたアンに違和感を感じた。


 ……気付いてる? 気付いてんだよな? 今「レライトさん! 素敵! カッコいい! 背が高い!」って言ったよな?


「あ、あの……印が無いみたいなんですけど……こ、こちら側! ……なんですよね? 助けてくれたし……名前も……」


 なんだぁ、『印』って。


 知るかよ、ターニャの計画にも出てこないぞ?


 おどおどとした表情で喋るアンに、懐かしさよりも『変わってねえなぁ』という想いの方が勝った。


 半年も経ってないのだから、それは仕方のないことなんだろうが……。


 なんで戦争なんてやってんだよ、こいつはよぉ……。


 しかも見たところ一人。


 やはりテッドとチャノスは魔法が使えるので、別の部隊に配属されたのだろうか?


 まずはそこを聞き出さなくては。


 ターニャの腹案は三つ。


 黙考したのは一瞬。


 とにかく確認が必要だった。


「勿論だ。俺は特殊遊撃部隊『エインヘリヤル』が一人。タナトス。大参謀ヴァルキュリアの密命を帯びて作戦に参加している。大参謀というのは俺の上司だが死してなお戦場に人を送る冷酷無慈悲な上にどうしようもなく頭がおかしいブラックもブルーな女のことだ、気をつけろ」


「は、はい!」


 何が「はい」だ、ターニャに言いつけてやるからな。


「ところで女、今俺のことをなんて呼んだ? 誰がカッコいいだって?」


「い、いえ! あの……なんか、故郷に残してきた弟みたいな子にそっくり……じゃなくて! お、思い出したんです! 突然! 何故か! ごめんなさい!」


 いえて。


「そっくり? なるほど。つまりそいつは俺のように背が高くてカッコいいんだな?」


「あ、あの、ごごごごめんなさい! 外見は全く似てなくて……いえ! 声も背も全然違くて!」


 ふざけんなよ、ああん?


「おっと、武器を握り潰してしまっていたな? 失敬失敬。代わりと言っちゃなんだがこいつをやろう。なに、遠慮するな」


 口元をヒクヒクさせながら、女が振るには重すぎるだろう大斧を差し出した。


「あ、ありが、おっも?!」


 お前、マジで口に気をつけろよ田舎もん。


 持ち手を支えきれずに手を離したアンに、どちらにしてもこいつらが出世するのは無理なんじゃないかと思った。


 こういう貰って迷惑な物でも笑顔で受け取るのがサラリーマンだぞ? 冒険者派遣社員め。


 何故、今の俺を見て『レン』などと呼んだのかは定かではないが、どうやら見た目には別人のように見えているのは間違いないらしい。


 別にアンにバレたところで問題は無いのだが、周りに気付かれるのはマズいのだ。


 当面はリーゼンロッテに絡まれる心配は無さそうだと安堵したところで、ズン、と地面が揺れた。


「おい…………ふざけてくれんなよ、黒ローブ」


 振り返れば、蹴り飛ばされた先で立ち上がる巨漢の冒険者がいた。


 苛立ちに任せて殴られた地面が罅割れている。


 どこから取り出したのか、手に嵌めた手甲からは受け止めた斧と同じ材質のような鈍い光と、


 アンが持っていた数打ちの鋳造品とは違い、受け止めた大斧はいつぞやの賊の物のように砕くことが出来なかった。


 特殊な装備品、または素材を用いているのだろう。


 未だに流れる出る血が、その威力を証明している。


 回復魔法を使用しながら大斧を手放す。


「悪いな。返すから帰ってくれないか? これから忙しくてね」


 冒険者は両手の手甲を打ち合わせた。


 けたたましい金属音と衝撃が空気を揺らす。


「ぶっ殺す」


 おかしいな? 話が通じないぞ?


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