第177話 *アン視点
勝たなくちゃ……。
憧れと夢のような時間の果てに、あたしには無機質で鉄臭い現実だけが残った。
冒険者になる。
それはあたしが掲げた目標じゃなかったけど、皆で立てた子供の頃からの夢。
叶えて過ぎ去って――――見えなくなった夢。
冒険者になる…………なるだけなら、登録だけなら、直ぐに叶った。
初めて出た村の外には、大きくて複雑で難解な物ばかりが溢れていた。
年が明ける前、冬が来る前に村を飛び出した。
悪い事をしているという罪悪感や友達に何も告げられなかったなという寂寥感は、目新しい物や経験したことのない出来事に塗り潰されていく。
お金を稼ぐ目処はあった。
冒険者になれば、ギルドにある依頼をこなせる。
依頼をこなせば、お金になる。
問題ない。
生活するだけならそれで充分なのだと、テッドが村に来た冒険者に聞いていたから、あたし達にはなんの不安もなかった。
実際に体験してお金を貰って、初めて飲むお酒で依頼達成のお祝いをした。
楽しかった。
このまま普通に続けていく分には、冒険者も難しくないのかもしれないと思った。
しかしテッドやチャノスと話し合って、熟考に熟考を重ねて出した結論は『成り上がる』というものだった。
あまり意識していなかったけど……どこか『認められたい』という感情があったのかもしれない。
だからあたし達は事前に計画していた通り、ダンジョンを目指した。
前もって計画することの大切さを教えてくれたのは……あれ? 誰だったかな?
思い出せないけど、たぶん幼馴染の誰か。
いつも一緒だったから、誰かが教えてくれたんだと思う。
だからそこまでの道も、掛かりそうな時間も、必要な荷物も、全て用意してあった。
しかしとにかくお金が掛かるのが世の中というやつなのだ。
こればっかりは誤算ってやつだったなぁ。
いっぱいあったし、ダンジョンのある大きな街までは持ったのだ。
でもダンジョンは……想像よりも大変だった。
お金をいっぱい貰うには深く潜らなくちゃいけなくて、深く潜るには準備やお金が必要で……。
調べが足りなかったことを痛感した。
でも普通の依頼もあったから、馬車で寝泊まりすれば生活する分には問題がなくて、少しずつお金を貯めれば、ダンジョンの深いところにも行けたと思う。
だけど「それでは遅い」とテッドが言った。
地図を写させて貰えないことや、何日も潜り続けなきゃいけないことが、大きなネックになっているとチャノスが言った。
実力ならあるのに、それが即時発揮出来る環境じゃないと二人は結論付けた。
二人はまだどこかフワフワしているあたしより、遠い将来のことを見据えているんだなぁ、凄いなぁ、ぐらいに思っていた。
荷物を処分して戦争に参加すると決めたのは、ダンジョンを出て直ぐのことだった。
決断の早さと行動力が短所であり長所……って、誰が言ったんだっけなぁ。
そんなお金はもう無かったというのに、二人は旅費を捻出した。
ビックリしたよ……あたしには『稼ぐ』って考えしかなかったのに、二人からは『売る』って選択肢が出てきたんだから。
処分って売り払うってことだったんだね。
チャノスかなぁ? チャノスは嫌がるけど、基本的な考え方が商人なんだよね。
旅費を補充出来たあたし達は、ちょうどテウセルスに向かう馬車へと同乗出来た。
親切な行商人さんがいたんだぁ。
運がいい、とテッドは喜んでいた。
少し窮屈で他の人もいる馬車の中で眠りについた。
徴兵を行っているという報せを見て、迷うことなく同意書にサインをした。
これでお金に関する心配はなくなった。
何日も掛けて、お尻が痛くなって固くなるくらいの時間が過ぎて、ようやくテウセルスという街に着いた。
寝る所とか食べる物とか、生活の心配はなくなったけど……日増しに不安が大きくなった。
三人バラバラにされたからかもしれない。
テッドは『火』を持っているからと他の魔法を使える人と一緒に魔法砲撃部隊に入れられた。
チャノスは『水』を使えるからと斥候をこなす部隊に入れられた。
あたしだけ突撃する部隊……。
戦争への恐さよりも寂しさがあった、心細さが勝った。
周りは怖い感じの人ばかり、敵も怖い感じの人ばかり。
初陣では心臓がバクバクし過ぎて死んじゃうかと思った。
それでも頑張ろうと思えたのは、これから冒険者として生きていかなくちゃならないから。
引き返せないから。
そう、そうだ、そうだった……あたしは、あたし達は分かっていた。
何も為さずに、村には帰れない――帰るわけにはいかないって。
あたし達は、全員そう思っていた。
焦っていた。
早く勲章が欲しかった。
自分の正しさを突き付けたかった。
ちょっと震えながらも、自分の意地に背中を押されて、あたしの初陣は始まった。
人を殺す――
無我夢中でよく分かっていなかったけど、人を殺したことなんて無くて……出来るとも思えなくて……。
ビクビクしながら相手の攻撃を避けて、攻撃を受けそうな人の助力をしていた。
武器を持つ手や踏み込んだ足を斬りつけて。
……トドメを刺すというのがどうしても出来ず、とにかく生き残ることを考えていた。
「後ろからコソコソと斬り付けおって! 我が『火』で消し炭にしてくれるわ!」
なんか周りの人より偉そうな人が、そう言って杖を突き付けてきた。
まるで水が引くように周りから冒険者がいなくなった。
一目散、まるで光に照らされた鼠のようだった。
ああ、この人、魔法使いだ――
そう思った時には、既に魔法使いの偉い人――後で貴族だと分かった――の肘と膝を斬り付けて無力化していた。
あたしがほんの少し前まで立っていた地面には黒々とした焦げ跡が出来て、未だ新しいと分かる黒煙を上げていた。
体を動かすのは得意――そう得意なのだ。
いつまででも走れた、走るのが楽しかった、いつまでも走っていたかった。
どんな動きだって出来た、想像通りに体が動く、どこまででも動かせた、いつかは空だって飛べるかも――
『そりゃ無理だ』
……そう言ったのは誰だったかなぁ? ああ、そうだ。
思い出した。
いつも死にそうな顔で付いてきた男の子。
どこか不機嫌そうな表情でダメとかムリとかしか言わなくて――――でも最後には付き合ってくれる、弟みたいな幼馴染。
いつも走るのに付き合ってくれてたっけなぁ……嫌そうな顔で。
今は、周りに誰もいない。
初陣が終わって、あたしはめちゃくちゃ褒められた。
敵を一人も殺していないのに。
あの魔法使いの人がお貴族様で、身代金というのが出るからだそうだ。
あたしにもお金が出るらしい!
お金、お手柄! やったあ!
これにはテッドやチャノスも喜ぶだろうと会いに行った。
割り当てられたテントには――――誰も居なかった。
二人を探し回ったあげく、同じ部隊に居たという人を捕まえた。
テッドは魔力を減らし過ぎて倒れてしまったらしく、砦で療養中だと言われた。
回復次第、戦線に復帰すると言う。
安堵の息が盛大に漏れた……万が一を考えたくなかったからだ。
しかし喜びに浸る暇もなく、チャノスが敵に捕まったという話を聞いた。
足元がガラガラと崩れるようなショックを受けた。
チャノスは『水』を生み出せるということもあって生け捕りにされたと言うのだ。
半壊した斥候部隊の人が言うのだから間違いないんだろう。
取り返すには、チャノスを返して貰うには……戦争に勝つか、身代金を払うかしかないと聞いた。
あたしは再び戦場に立っている。
どちらにしろ戦争が終わらないことには、勝たないことには、チャノスが返ってくることはないから。
チャノスは別に貴族様じゃないから、わざわざ連絡が来て取り引きされるなんてことはないのだそうだ。
戦場で使い潰されるか、奴隷にされるのだと言われた。
ようやく…………本当にようやく戦争の怖さが分かった。
勝たなきゃいけない。
……じゃないとチャノスとはもう会えない。
信じられなかった。
寒くもないのに凍えそうで、頑張らなきゃいけないのに泣き出しそうで……いつも一緒に居た幼馴染は誰もいなくて。
テッドは倒れて、チャノスは捕まり、ケニアとターナーとレンは置いてきた。
全部、全部……!
頭の中がグチャグチャだというのに、戦争は待ってくれない。
それでも、もう少しで勝てるという話が、あたしを支えていた。
あとちょっと、あとちょっとで全部上手くいく、上手くいくから……。
祈るように剣を握り締めた。
テッドも回復して、チャノスも戻ってきて、そしたら村に凱旋するの、少し休憩、親にも認められて、晴れ晴れしい気持ちで冒険者を続ける……うん、うん……あたしは大丈夫……あたし達は大丈夫。
「大丈夫だよね? テッド……」
心配ないと明るく笑い掛けて、手を引いてくれる男の子が、今はいない。
呟いた声は絶叫のような鬨の声に掻き消された。
戦争が始まった。
早く終わって欲しいと願いながら味方を助ける戦い方を続けて――目を付けられた。
どこか違う感じがした。
それはあたしの方へと近付いてくる大きな冒険者であり……今日の戦場の雰囲気でもあった。
手強い……?
前線の進みが遅く感じられた。
途中から参戦して、一回しか戦場に立っていないからハッキリとは分からなかったけれど……昨日までの押し込み具合が嘘のように膠着している。
向こうもここが正念場だから死にものぐるいで来るとは聞いていたけど……。
それにしては、向こうの圧力の方が強いまであるような…………昨日まではいなかった強い冒険者が其処此処に存在していた。
あたしに目を付けた冒険者も、その一人だった。
「テメェ……持ってるな?」
なに? なにを言ってるんだろう?
あたしよりも大きな斧を、軽々と扱う冒険者だった。
いつか村で見た、偽物だって聞いた冒険者よりも怖く感じた。
咄嗟に大きく後ろに飛んだ。
と、同時に目の前が大きく開けた。
ごっそりと目の前で戦っていた人を持っていかれたからだ。
――――勝てない。
何故か瞬時に分かった。
でも逃げれない。
逃してはくれない。
「自覚無しか、無理もねえ。珍しいからな。悪いが潰すぜ、芽を育つのを待つわけにもいかねえからよ」
呼吸が浅く、短くなる。
次の一撃は避けれない。
あれは……あれでこちらの実力を計る一撃だったのだ、あたしは避けた――いや逃げた。
次はない。
相手の武器に比べて、あたしの持つ剣はなんて弱々しいんだろう。
ああ、もっと、もっとさぁ…………悔しいなぁ。
死を前にして頭がおかしくなったのかもしれない、あたしは怖さよりも悔しさを強く感じていた。
「――逝け」
大男は大斧を構えたまま間合いを詰めてきた、あたしを逃さないためだろう。
攻撃の速度からして向こうの方が速い、方法はほとんど無い……全力で斧に剣を打ち当てて軌道を変え、体を逸らすぐらい。
全く上手くいく気がしない上に、成功しても一撃分の寿命が伸びるだけ……なんとも頑張りがいがない終わり方だ。
それでもやらないよりは――そう思って剣を振った。
剣は砕けた。
しかし斧に当たったからではない。
接触する筈だった空間に、滲み出すような黒い影が――――あたしの剣と相手の斧を掴み取った影があった。
握り込む力が強過ぎたのだろう。
あたしの剣の方は握り潰されてしまった。
「――あ、悪い」
間の抜けたような謝り方だった。
黒い靄が実体を持ったようなローブを着て、口元しか見えないぐらいフードを深く被っている、めちゃくちゃ怪しげな人物……。
だというのに――
「――――――――レン?」
似ても似つかない黒いローブのような何かを纏った怪しい人物を、あたしは何故かそう呼んでしまっていた。
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