第174話


「あぶね?!」


 猛々しく吠え合う両軍がいる最前線を見ていたら、視界の端の方から矢が飛んできた。


 しっかりと握り止めたにも関わらず少しばかり押されたのは、矢が持つ運動エネルギーの多さ故にだろう。


 都合目前で止まることになった矢を、安堵の息を吐き出すと共に放り捨てた。


 悠長に遠間から見学というわけにもいかないようだ。


 テッド達を捕捉するためにと強化魔法の倍率を上げていたのが功を奏した。


 しかし今からに入って確認しなければならないという憂鬱感が、一瞬の隙を生み出してしまったらしい。


 戦場においては油断が命取りになる……ということを知識として知ってはいるが、上手く活用出来るかどうかと言えば、また別問題なのだ。


「気を引き締めんとなぁ……」


 完全にこちらを向いて展開を始めた一軍に、もう一度気合いを入れ直す。


 テッド達を探さなくては。


 軍属と言うのだから兵士として組み込まれていそうなものなのだが、ターニャの見解では冒険者のまま活用されている、とのこと。


 その心は「替えが利くから」。


 なんとも無情な冒険者事情であった。


 使い潰しても困らない戦力と見られているらしく、恐らくは最前線に放り込まれるだろう、とターニャは予想していた。


 つまり最も接触する可能性が高いのが最前線……。


 最短距離は後方に展開する軍を横切ることである。


 しれっと気付かず通り過ぎさせてくれないものか……。


「無理だよなぁ……」


 弓を引き絞る一隊を視界に捉え、向こうの指揮官が出す合図を元に、こちらも駆け出した。


 山なりの軌道を残す矢の雨が降り注ぐ。


 遮蔽物の無い平野での面制圧は、来ると分かっていても避けづらいものがある。


 一々躱すのも面倒だと強化魔法の暴威に任せて瞬く間に距離を詰める。


「槍隊前へ!」


 怒喝のような指示に即応する隊士。


 突きつけられる槍衾を跳躍で躱す。


 すかさず飛んできたに、自分が罠に嵌ったのだと理解する。


 殴るように側面を叩き矢の軌道を変えると、体勢が整わずに隊の真ん中に落ちた。


 四肢を踏ん張らせて着地した俺の頭上から、貫かんとばかりに槍が突き出される。


 構わない、ってうか計算通りだよ? どうせ兵士の顔の確認をしようと思っていたから。


 体を蜂の巣にせんとする槍を体捌きだけで躱し、突いてきた兵士に肉薄する。


 ターニャの予想が逐一ドンピシャだからって、全部予想通りにいくとは限らない……筈だ。


 もしかしたらテッド達が組み込まれている可能性だってある、と近くにいる背格好の似た兵士の顔を確かめる。


 似てねぇ。


「うわ?!」


「ば、化け物め!」


「バカ突くな! 槍隊は包囲! 歩兵は斬り掛かれ! 殺さずとも手傷を負わせるだけでよい! 身体能力が違い過ぎる、体力を減らすんだ!」


 ……いい指揮だ。


 しかし時間稼ぎはこちらにとってもありがたい。


 斬り掛かってくる歩兵の顔をゆっくりと確認出来るので。


 二百人程だろうか? 背の高さや体つきから絞れるのでそんなに手間ではない。


「あああああああっ!!」


 怪鳥のような掛け声で振り降ろされた剣を半身になって避ける。


 後ろから抱き着くようにして体当たりを仕掛けてきた兵士の足を引っ掛けて転ばせる。


 ならばと四方から同時に攻撃してきた剣を、強化されている時の特殊な感覚に任せて一つずつ逸らす。


 いない、いない、いない、いない、いない……。


 時折撃ち込まれる矢が鬱陶しかったので、擦れ違い様に殴り折った。


 イライラしてやった、悪いと思っている。


 射手の近くに騎乗している似たような背格好の奴が居たが、これがテッドということはあり得まい……。


 どう見てもお偉いさんだ、ご立派な甲冑装備だし。


 そんな馬に乗る指揮官っぽい奴が短く口笛を吹くと、今度は水煙ミストのような何かが舞った。


 ぶち撒けたのは馬の周りにいた兵士だ。


 合図の直後に、指揮官は自分の体にマントを巻き付けている。


 鼻を突く臭いと粘性のある水気に何を撒かれたのか気付く。


 ――――油だ。


 兵士の一人が見たことのある道具を取り出した。


 よく知ってるよ……それで毎朝火を熾すのだから。


 突如として生まれた水が――バケツ三杯ぐらいの水が、火熾し機を濡らした。


「…………来ない! クソっ!」


 自らを囮に焼け死ぬ可能性も辞さない指揮官が、ヤケクソ気味に吐き捨ててマントを跳ね除ける。


 よくやるよ……。


 カショカショと水を含んだ音を鳴らす火熾し機を尻目に、もはや用は無くなったと冒険者の後ろに控える次の隊を目指す。


「止めろ!」


「任せとけ」


 投げ槍のようにショートソードを投げてきた指揮官の言葉に強く言い返す。


 そのために来たのだから。


 仲間に当たらない軌道を通ったショートソードが深々と地面に突き刺さり、呆けたような表情の指揮官を残して未だに半包囲を続ける槍隊へ向かった。


 突き出される無数の槍を隙間を縫うように躱し、兵士の背に手を付き包囲を飛び越える。


「突けええええええええええ!!」


「あぶねえな」


 もはや味方も構うまいと四方より突かれる槍を、同士討ちしないようにと逸らしながら危険思想の兵士の顎を殴って気絶させた。


 バカなのか? 味方も死ぬぞ?


 しかし味方ごとというのは共通認識らしく……俺を逃すまいとしたのか合図も無しに再び矢の雨が降ってきた。


 今、気絶者を出したばかりなのに……。


 今度は真っ直ぐな軌道を取る矢の雨に、受け止めるとばかりに手を翳した。


 突如として起こった強風が矢を吹き散らす。


「な?!」


 驚愕の声が吹き散らされる風に乗って棚引く。


 僅かな間隙。


 驚きか怯えか、敵が魔法を使ったことによる衝撃の隙間を突くように、今後こそ本当に包囲を抜け出した。


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