第172話 *近衛騎士視点
公爵家のご令嬢の近衛騎士を拝命して十年になる。
連綿と続く偉大なる王家の血筋を受け継ぐ公爵位の一つである『クライン』、しかも珠玉と呼ばれる美姫の近衛。
選ばれた当初は誇らしくもあり輝かしくもあり……。
まさに人生の絶頂期であった。
更には『クライン』という名が受け持つ、騎士にとっての憧憬とも呼ぶべき感情が、喜びという火に油を注いだ。
アニーゼフェレニア・アンネ・クライン。
斯くも遠大なる騎士の頂点。
歴代の『七剣』の中でも突出した実力者であったというのは言わずもがな。
数多ある高潔な行いや心打つ騎士物語、そのどれ一つとったとて騎士であらんとする者には芯として刻まれよう。
白皙の美貌、金色の髪、口さがない者には森人と交わって生まれたなどと揶揄される程に美しく、また戦う姿には悪魔すら惹きつけたとされる程に胸を打つ。
当時の七剣に於ける序列一位。
世界で三指に入ると詠われた女騎士であった。
願わくば同じ時代に生まれたかったと思う騎士がどれだけ居たことか……。
しかし戦場においては敵無しの女傑も、人知れぬ天命には勝てず、僅か齢二十で天界へと旅立った。
英邁闊達は薄命だ。
一説には冥界の王ですら恋焦がれたからだと真剣に訴えた書物すら残っている。
以来百年を越えて欠番となった七剣の『光』の席。
伝説だけが残る冠位を欲する騎士は幾度となく現れた。
その誰もが国に名を轟かす実力者であった。
だが誰も手にするに能わず。
七剣というのは王から与えられる冠位であると同時に聖剣に選ばれる必要があると聞く。
選考される基準というのは、未だに解明されていない。
リーゼンロッテ様が生まれながらにして期待されたのは『光』の魔法使いを多数輩出してきた『クライン』だったからだろう。
任命されたばかりの初代貴族や騎士爵を除いて、大抵の家は同じ属性の魔法持ちや魔法使いが生まれてくる。
しかしながら例外が存在せぬわけではない。
『火』が『水』を生むこともあれば、稀に属性を持たずに生まれてくることもある。
リーゼンロッテ様は世に珍しい『氣』属性を持って、この世に生を受けた。
アニーゼフェレニア卿と同じくして。
聖光剣に選ばれたクライン家の『氣』属性であったアニーゼフェレニア卿。
これを天命と言わずして何と言うのか。
貴族の子女は各家の繋がりを示すに嫁とされるのが定例で、本来なら騎士修行をつけることすら珍しい。
しかし誰もが伝説の再来を、七剣の最後の席が埋まることを、輝ける時代の到来を、未だ幼い子供に期待した。
これで才能が無かったというのなら、また違う話になっただろう。
否だ。
リーゼンロッテ様は応えた。
僅か七つで騎士の相手が務まり、十三になる頃には騎士団長すら相手にならない実力を身に付け、成人すると同時にオルトロスの討伐をやってのけた。
資格有りと見做されたのは、何も家柄だけではない。
気風も真面目で正義感に強く、美貌も伝承に負けず劣らず磨かれ、心に至っては曲がらず歪まず。
まさに騎士の鑑。
誰もが聖光剣を握らせてみたくなるカリスマがあった。
そして――予想に反することなく選ばれた。
既に達人の域にあった技に、磨き上げ鍛え抜かれた心、並ぶことのない『氣』属性による身体能力。
ここに随一と言われる『光』の聖剣が加わるのだ。
もはや敵などあり得ない。
周りの誰もが――そして自分ですら、そう思っていただろう。
何もおかしいことなどない。
故に、目の前で展開される事態について行けず呆けることになったとしても――
手練れではあった。
不意打ちを避ける体捌き、百から為る兵に囲まれようと威風堂々と出てくる胆力。
口の減らない生意気な黒ローブ。
しかし実力に裏付けされたものだと気付いたのはリーゼンロッテ様と斬り結んだ後からだった。
大したものだ。
碌な装備も身に着けず、純粋な体術だけでリーゼンロッテ様と対峙するのだから。
その動きは目にも止まらぬ程に速く、また鋭かった。
恐らくは敵も『氣』属性。
世界は広い。
動きだけならリーゼンロッテ様すら越えているように感じたのだから。
背格好や声からして、リーゼンロッテ様の倍近い年齢。
長い時を使って研ぎ澄ませてきたに違いない。
決め手を聖剣だと述べることに、リーゼンロッテ様は否とは言わないだろう。
やはり我が主は選ばれている。
運命――――あるいは神に。
――――――――だから理解出来なかった。
断罪の光は放たれ、後には欠片も残らない筈だというのに……。
激しい破壊の跡を残す大地の中心で、五体満足に立つ人影があった。
黒かったローブは闇が空気に溶けるかのように何かを発し、激突が生んだ気流が裾をはためかせている。
膝を着き呆然とした表情で、黒ローブを見上げるリーゼンロッテ様。
もはや興味も湧かないとばかりにリーゼンロッテ様から視線を切る黒ローブ。
ハッキリとした勝者と敗者の図があった。
主が命の危機にあるというに未だに脳が目の前の結果を認識出来ず、只々終わりを待っていた。
……終わりとは何か? リーゼンロッテ様の華々しい逆転劇か、それとも――
考えが浮かび上がる前に、どちらも訪れることはなくなった。
仄かに立ち昇る黒い粒子を残光のように引きつつ黒ローブが戦場を目指したからだ。
呆けたように見送った。
元々の動きからすると遅く感じたが、聖剣の射線を空けていたことが徒になり、止められることなく侵入を許してしまった。
……………………まずい……!
「伝令! 前の部隊に挟撃されると伝えよ! 複数人、別ルートで向かえ! しかしあれにはなるべく触るな、遠回りで構わん。解析されるかもしれんが狼煙も許す! 他の者は追撃隊を組織せよ! 衛生兵! 着いて来い! リーゼンロッテ様の治療だ!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすと、ようやく反応が帰ってきた。
「リーゼンロッテ様!」
しかし構わず、遅れを取り戻さんとばかりに主の元へ駆けた。
膝着き口の端から血を流す我が主は、初めて見る悔しげな表情と共に黒い影を目で追っていた。
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