第168話


「やべっ……間に合うか?」


 山の稜線を縁取り始めた陽の光に、戦争が始まってしまうんじゃないかと焦りが募る。


 急げ急げと足を速めていると、何故だか無性に前世のことが懐かしく思えた。


「…………ああ、声か……」


 前世の声に、前世にも似た遣り取りがあったと思い出す。


 初任給で買ったボロい時計を見ながら、ビルの隙間から昇る朝日の反射に目を焼かれ、始発に間に合えと足を繰り出したことがある。


 未だ夜が明けきらない暗い線路沿いの道を、自転車に抜かれ、マラソンする爺さんに抜かれ、電車に抜かれ「ああ……」とか言いながらシャツを濡らしたものだ。


 どこで生きようと同じなのかもなぁ……。


 あの時だって、なんで走ってるのかよく分かんなかったし…………今だって――


 山の中はさすがにまだ寒いのか吐き出す息が白く、初めてローブが服として役立っているように感じた。


 既に国境は越えた。


 山間を塞ぐように作られた砦のような街を横目に更に山を深く歩いた。


 先行していた公道破壊グループとは違う道だったために、途中からルートを外れた。


 これもまたターニャの読み通りで助かる。


 公道を破壊した奴らは既に任務を終えているせいか、戦線には加わらず山越えで故国へ戻るらしい。


 損失は大きいだろうに……いつの世も、苦労が耐えぬは宮遣え、である。


 平原に合流するために降りた山の浅い場所を、出てくる魔物を一蹴しながら駆け抜ける。


 戦場が近いせいか、そのお毀れ狙いの雑魚ばかりなので、手こずることは無いのだが……奴らが咥えている物を見ると気分が激しく落ち込む。


 ……なんで戦争なんてやるのかねぇ。


 本当ならここにも目が眩むばかりの金色の園があった筈なのに……。


 今や人の怨みと血を吸った呪われし土地でしかない。


 そんな山のこちら側に、そこまで手を入れるわけもなく、魔物も入り込み放題で、それすら戦場の掃除と黙認されている。


 吐き出す息に赤が混じったように思う。


 ある程度、森の伐採は行われているが、それも両国の中間ともなると少なく、両側から突き出したような木立が平原には存在する。


 とりあえずはそこを目指している。


 開戦は申し合わせて中間地点で行うんだそうだ。


 それから押しつ押されつのシーソーゲームを繰り返し、こちらの軍が鏡合わせたような向こうの街に到達したら勝利だという。


 ……お偉いさんにしたらそうだろう。


 しかし何百何千何万と無くなってしまう命の前に、勝ちとか負けとかあるのかな?


 酷く気分がささくれ立つのは、何も戦場の空気だけが理由じゃない。


 色々な気持ちに蓋をして、澱んでいると感じる空気を大きく吸い込んだ。


 本番はこれからだからだ。


 なんの警告も無しに、矢の雨が降ってきた。


 来ると分かっていれば落ち着いて対処出来るさ。


 ターニャの読み通りだ。


 両強化の倍率を上げることなく、目を付けていた大木の影に身を隠す。


 この森は最も伏兵を配置しやすい場所で、大抵は押した側が警戒のために兵を立たせている。


 しかし兵に取っては手柄が無い場所のため不人気で、いわゆる左遷ポジションである。


「驚きました。完全に不意を突いたのですけれど……」


 ……半日ぶりに聞く声だなぁ。


 ああ、だ……。


 ちょっと怖いくらいに。


 しかしこれでこちらが勝っているということが分かった。



 ――つまり向こうの予定通りに、誘い込まれているのだ。



 この平原で決着が着かない理由に、どちらも戦力や兵糧の逐次供給が出来る――というものがある。


 ある程度攻め込まれたら、相手のも本気を出すのか、近くの領地にある騎士団や国軍を動かすんだそうだ。


 そしてそれはこちらも同じく。


 跳ね返し、拮抗し、攻め立てられ、また跳ね返す――


 無限とも言える繰り返しの中で、両軍共に疲弊しきったら休戦を取り、そしてまた始めるんだという。


 何百年と続いているということは、もはや体制を確立されているのだろう。


 ……やっぱり不毛じゃないか?


 そんな不毛な繰り返しを終わらせるために、向こうが先に手を打ってきたんだと、ターニャは言った。


 向こうは、懐深くに誘い込んだ軍を殲滅させる手段を有している――


 正直、半信半疑だ。


 しかしここまで予想がハマると、ジワジワと現実感も湧いてくる。


 その理由の一つである――リーゼンロッテ・アンネ・クラインが森の近くで布陣された騎馬の中から現れた。


「抵抗は無意味です。また逃げ出すことも叶いません。大人しく投降することをお勧めします。それでも尚、誉れ高き死を望むなら――私が相手を努めましょう」


 白と青で構成された軽鎧を纏い、闇を切り裂く光を放つ剣と共に、静かとも言える微笑を称え、リーゼンロッテの白馬が前に出る。


 お付きをする……見たことのある顔の騎士は酷く困ったような、それでいて諦めているような雰囲気。


 しかし止める素振りが見られないのは、信頼されているからだろう。


 ――ターニャの予想通りに。


 ……予想通り。


 ちょっと予想通りが過ぎて困るんだけど?


 さすがに止めろよと思う俺は変じゃない筈である。


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