第166話
転生人、動きます。
ターニャと二人きりという危険な空間になってしまった宿屋の一室。
こんなところに居られるか! とばかりに扉の外を確認した。
「……なんだ?」
「あ、いや、トイレどこかなー……って」
「部屋に付いてる」
「そうでしたそうでした……」
ギロリと睨みをくれてきたのは、完全装備の騎士さんだった。
見張りを言い付かったせいで置いていかれたとでも思っているのか、憎々しげな視線はいつもの三割増し。
扉の隙間から出した顔をゆっくりと戻しながら、悪しき者を封じよとばかりに扉を閉めた。
ターニャが未だにモゴモゴしているワンフロアぶち抜いた豪勢な部屋を横切って窓枠に手を掛ける。
夜風が涼しい好立地の一室は、しかし眼下にこれまた武装した騎士を確認して仰け反った。
オーケー。
昏き者の侵入を拒めとばかりに窓を降ろした。
「……なんとか抜けられそうだな」
魔法を使えばという枕言葉を抜いた呟きに、食ってばっかりだったジト目が頷きを見せる。
未だに口がモゴモゴ。
……勿論、ターニャのこの姿は擬態さ。
勿論である。
しかしながら村娘精神を発揮した知恵者が、皿が空になるまで食べ尽くしたのだから、その夢中さが演技だなどと気付きようはない。
なーに、敵を騙すには味方からと言うじゃないか?
ね? ターニャちゃん、ね! そうだよね?!
二人きりの密室で男の目が血走っているというのに落ち着きを見せる女の方が、分かっているとばかりに頷いて――座っていたソファーの下から何かを取り出した。
ぺっちゃんこになっているが、丸められた羊皮紙のようだ。
葡萄のような果物を最後に、口を未だにモゴモゴさせるターニャがそれを広げる。
地図だ。
中心地点に『テウセルス』と書いてあるので、恐らくはこの周辺の地図だろう。
……そう、これは囮作戦だったのだ。
俺が執拗に逃げ出そうとすることで注意を引いて、その隙にターニャが地図を写し取るかチョロまかすという。
全く打ち合わせしていないけどね、そういうことそういうこと。
「ターニャ……信じてたよ」
「うそつき」
それは転生の者だから仕方ない。
「ター……」
「詐欺師」
生まれて初めて聞く単語ですが?
「タ……」
「人たらし」
「言い過ぎじゃない?」
「間違えた」
そうでしょう?
「人でなし」
「まだ下がりますか……」
げんなりしつつも阿吽の呼吸で隣り合わせに座る。
広々としたソファーは子供二人を詰め込んだとてまだ余裕がある。
それでも肩を寄せ合いながら座るのは情報の漏洩を避けるためである。
広げられた地図にはテウセルスの街と、その何倍にもなりそうな穀倉地帯が示されていた。
緯度はそんなに変わらないというのに、ここら辺は暖かいのでその関係だろうか?
というか村の外に出て初めて分かったのだが、うちの村は特に寒いと思う。
その割に動植物も豊富で生命力に満ち溢れた魔物が滅多に出ないという訳の分からん森もあるという。
原因はどうせあのデカい蛇辺りなのだろうが……感謝しようという気にはなれない。
必要以上に森の奥に踏み込めば、その恩恵もいつまで続くのやら……。
だからこの街のような実りを望むのは、人の世に住む者の性とも言える。
恐らくは見渡す限り黄金色なのだろう大きさである。
……ちょっと見てみたいな。
「……ここと、ここが、毎年お互いの領地を削らんと争ってる」
ターニャが指差すのは、テウセルスの北の平原を挟んだ反対側だ。
戦争の相手国なのだろう名前が載っている。
『デトライト』
それが領地の名前なのか国の名前なのかは分からないが……ぶっちゃけ、さして興味もない。
ただ北側に同じような穀倉地帯を抱えているという印象だ。
「同じ特産で、同じ規模の街なのか?」
「……そう。戦力も同じ」
そりゃあ……毎年のドンパチが続く理由にも思い至れるな。
「……戦争の理由は、生産量の向上」
「あ〜、お互いの穀倉地帯を狙ってんのかぁ。あるある」
地図を見ながらターニャが教えてくれる注釈に頷く。
他人事のように自分が住む国の事情を右から左へと流すが、イマイチ実感が湧かないので仕方ない。
なにしろ戦争というのは教科書に載っているだけの遠い世界の出来事だったから。
なのでテウセルスの北にある穀倉地帯と同じだけの広さを持つ平原を見ながら指も差せる。
「ここを半分ずつにすればいいんじゃない?」
そしたらお互いに巨大な穀倉地帯を半分ずつ管理出来る。
「……もう遅い。何百年と続く争いで、平原は農地に向かなくなってる。相手の穀倉地帯を奪えば、三分の二が手に入れる。そういう考えなんだと思う」
……なんともまあ。
前世で農業知識の無かった俺でも、農地にする土壌は弱酸性が良いというのを聞いたことがある。
しかし人の血や脂が染み込んでしまった土は中和されPH値が下がり農地に向かなくなってしまうらしい。
生産量を上げるための戦争が、自らの手で生産量を下げてしまっている……と見える。
……これを愚かと取るのは俺が部外者だからだろうか?
「なんとも嫌な『もう遅い』だなぁ」
もっとスッキリするものだと思ってたのに……。
「……うん」
相槌を打つターニャが地図の上に、丸やら四角やらの知恵の輪を広げた。
活躍の場が無くなってしまった、いつかの暇潰しだ。
ターニャがその一つを摘む。
「だから……」
コトリ、コトリと知恵の輪を規則的に並べていくターニャ。
「テッド達が……『もう遅く』ならないように、今からレンには頑張って貰う」
それは――恐らくだが、戦場にある部隊を表しているのだろう。
ターニャの瞳が魔力を帯びる。
「――わたしも、頑張るから」
「……」
呆気にとられる俺を他所に、ターニャは淡々と知恵の輪を動かしていく。
歪に曲げられた知恵の輪が、相手の陣地にあることが、やけに無性に――気になった。
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