第三章 死地蹂躙 前
第95話
白一色に染まる森を、ゆったりとした足取りで白い鹿が進む。
攻撃的に枝分かれする角が、鹿を雄だと教えてくれる。
雪の匂いを嗅ぐように、時折地面の方へと顔を近付けては、何かに気付いたように振り返る。
「モタモタするなよ」
「分かってる」
緊張してるんだから、あまり急かさないで欲しい。
雪落とししたとはいえ、足場が枝の上だから不安定なのだ。
皆よく平然としていられるもんだ。
音を立てないようにしながら、鏃を白く塗った矢を弓につがえて引っ張る。
……足が止まっている、今がチャンス……!
一度大きく息を吐き出して、大きく吸い込み、止める。
――――今だ!
鹿が跳ねるのと矢を放とうとするタイミングが重なった。
慌てて狙いを修正して、走り始めた鹿に矢を射る。
…………ハズレた。
「ハハハ、へたくそ」
「くそ〜〜?!」
いや、動く的と止まった的じゃ難易度段違いだからね?! これは初心者には無理じゃない? キツいよ父上。
第二矢を放とうにも、鹿の足は速く、とっくに俺の射程距離外へと逃げ
ああ?! 今日の晩ご飯!
未練タラタラで逃げる鹿を目で追っていると、横合いから飛んできた矢が鹿の首に刺さった。
……それでも走れるとか、異世界の鹿はどうなってんの?
しかし二本、三本と刺さる矢が増えていく。
大した生命力を見せた鹿だったが、これに限界を迎えたのか、減速するかのように足を緩め、雪の中に横倒しとなった。
「エノクは随分と弓の腕が上がったなぁ」
「ほんと、凄いよなぁ」
染み染みと吐き出した父の言葉に乗っかる。
鹿が倒れると同時に、雪の中に伏せていた村人や、同じく樹上に潜んでいた村人が、三々五々と姿を見せた。
誰も彼も似たような格好だ。
白い毛布のような服を体に巻き付け、更に上から白いレインコートのような物を着ている。
白い毛皮で編まれた手袋を着け、白く塗った矢筒に靴を纏っている。
冬の狩りを教えて貰っている最中だ。
初めて村の外に出た…………勿論、初めてだとも?
いわゆる『初狩り』というやつを体験中である。
皆と同じように雪の上へと飛び降りて、今日の主役へと駆け寄る。
着膨れして見えないが、最近筋肉が付いてきた細マッチョ――エノクに。
両手をズボンの横に、視線は斜め九十度で頭を下げる。
「二割程ください!」
「お、おお。なんか清々しいな、お前。前からそうだったか?」
変わったと言えばエノクの方が変わっただろう。
顔を洗うようになったし、髪だって綺麗に切り揃えて、服もパリッとしている。
やはり嫁さんを貰うと違うということだろうか……ユノの歯軋りが思い出される。
前世から合わせると、随分と差を付けられたように感じてしまう。
やんちゃ坊主が、もうすぐお父さんになるというのだから感慨深い。
「そいつんとこは、嫁に栄養がいるだろ。儂の分を分けよう」
白い兎を持って現れたのは、テッド達の師匠であるドゥブル爺さんだ。
最近は更に細くなった……。
兎の耳を掲げ持つドゥブル爺さんに、エノクが慌てて手を振る。
「いやいや、それはドゥブルさんが食べるべきですよ。俺、今日は二匹目なので、レンに分ける分がありますから」
おお、イケメン! さすがは嫁持ち! 爆発してくれ!
「ハハハ、いやいいよエノク。レンには自分の分は自分で獲らせるから」
父上様? そりゃ殺生じゃないですか? まさに。
ワイワイと集まりながらも、村人は誰一人として鹿に近付かない。
逃げ場を失くすように囲んではいるが。
油断無く見据えるばかり。
……他の人の狩りを見学した後なので分かるけど、普通は騙されそうなものである。
だって白い雪が血で染まっていく様には、鹿の生死なんて一目瞭然じゃないか。
死んだフリと、追撃をされないように、一挙両得で身を伏せているなんて……誰が思う?
観念したのか、鹿が猛然と体を起こした。
しかし既に弓を構えていた村人が一斉に射掛け、鹿をハリネズミのごとく変えてしまう。
今度こそ倒れ伏す鹿を、それでも油断せずに刃物を持った村人が検分する。
「こんだけ大きい奴なんだから、少しぐらい……」
「ダメダメ。狩りに出るっていうのは、獲物を得て一人前ってことなんだから。最初の一口は自分で獲ったものを口にするのが慣例さ。ハハハ、頑張れ」
「エノクが三割くれるって言ってんのに……」
「……二割だったろ?」
程って言ったから。
「俺達の時は割と早いこと仕留めれたからなぁ……勿論、サポートして貰ってだけど」
ドスドスと足音を響かせて、こちらも白い兎を手にしたマッシが現れた。
相棒の姿にエノクが呆れ顔だ。
「……お前は、少しぐらいレンに分けた方がいいんじゃないか?」
「なんで?」
本当に分からないという表情のマッシ。
恐らくは幼少期の二倍近い体重が原因だろう。
樹上に潜めないもんね。
「さすが村一番の狩りの腕だな!」
「ハハハハハ! ちげぇねえ、ちげぇねえ!」
「やめてくださいよー……もうほんと、俺達が悪かったですから」
「昔の話出すのはズルくないっすか?」
擦れ違いながら解体に加わる村人がエノクやマッシの背中や肩を叩いていく。
寿ぎの表現なんだが、二人の表情は優れない。
この二人の狩りの腕が飛び抜けていいのは今や本当のことだが、それを自慢することはなくなった。
むしろ昔の話をされると罰の悪そうな表情になる。
「もう狼も怖くないですね?」
「レン」
「もうお前に兎肉はやらん」
最初から貰えないじゃないっすか、だったらストレスの捌け口ぐらいにはなってくださいよ。
一頻り笑いに包まれる村人達だったが、こういう時に絶対というほど絡んでくる者達の姿は見当たらず。
狩りをしている村人の中に、幼馴染達の姿は無かった。
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