第84話


 めちゃくちゃ息苦しい。


 繋いだ手からは、いつの間にかテトラの存在を感じれなくなっていた。


 鼻から侵食してきた水がツンとくる、動きが重い、喉が辛い。


 ――――水中にいる?!


 ようやく現状を把握すると共に、見えにくい視界にも納得がいった。


 水の中に投げ出されたのだ。


 いや確かに水の中には入ったけども。


 テトラ? テトラはどこだ? いない? いない?! いないんだけど?!


 見えにくくとも流石に見落とす筈がない、テトラが行方不明である。


 昨今の流行り。


 こんな時にも?!


 不思議と暗さはないのだが、それだけにテトラの不在がよく知れた。


 ……息が持たない! 一先ずは浮上しなくては!


 焦りからか突然故か、長々と潜っていられないと口から空気が漏れる――――逆さまに。


 ――こっちが上?!


 どうやら天地が逆転していたようで、気付かなかったらより深く潜っていたところだった。


 急いで反転して水面を目指す。


「――――バアッ! ゴホ! エッホ?! ……ハーッ、ハーッ」


 明るさのせいでイマイチ距離感が掴めなかったのだが、幸運なことに水面は割と近くにあったらしく、早くも目的を達せた。


 いやまだだ!


「――テトラ!」


「あ、レーきた」


 いんのかい?!


 直ぐさま取って返そうとする俺の叫びに天使が応える。


 再び水面へと浸けた顔を瞬く間に上げる。


 テトラは直ぐ近くの陸地に立っていた。


 …………濡れてねぇな。


 いつもとは逆になってしまった目線に、いつも通りの笑顔で、テトラが手を振ってくる。


 その姿は水に浸かった様には見受けられない。


 なるほどね。


 猫はどこかな? ああいや説明とかいいんだ求めてないんだ欲しいのは別のものなんだ死ね。


 精霊を食べれるかどうかの検証をしてやろうじゃないか、田舎暮らしをナメんなよ? うふふ。


 ギラギラと瞳を滾らせながら陸地に手を掛ける。


 テトラが手伝うべく手を伸ばしてきたが、断りを入れて陸地に上がる。


 ……なんか明るくない? なんで?


 そこでようやく、夜なのに明るいという不思議に気付いた。


「…………光ってる?」


「きれーねー?」


 いやどうだろう? ちょっと不気味じゃない?


 光を放っているのは水ではなく、今も足場にしている陸地だ。


 仄かに白く発光している。


 辺りを見渡せば、水ばかりが見える。


 視線を上に上げると満天の星空。


 どうやら屋外のようだ。


「海?」


「みずーみ、だって!」


 湖? この規模で?


 再び視線を下ろせば、暗がりに広がる水面が見えた。


 辺り一面水だらけ。


 月明かりや発光する地面も手伝ってかなり遠くまで見えるのに、どこまで行っても水面である。


 ポツンとある陸地に立っている。


「この規模の湖が、俺らの村の奥に存在してんのか……」


 猫への怒りも一時的に消えてしまうぐらいの驚きだ。


 琵琶湖や霞ヶ浦を見たことがあるけど、ここまでの規模じゃなかったように思える。


「だって水平線があるよ……」


「すいへー……ってなに?」


「ずっと向こうの線のことだよ。ほら、あれだよあれ」


「あれかー。すいへー……じゃあ『すいへーちゃん』にする」


「ちょっと待って?」


 そういえば、湖だと聞いたのか。


 キャイキャイとハシャぐテトラの周りには誰もいない。


 勿論それはここに案内してくれたミィも含めてだ。



「軽々しく『名付け』を行うものではない……」



 疑問に答えをくれんとばかりに、大きくて低い声が轟いた。


 …………俺にも聞こえたよ……どうしよう。


「そうなの?」


「ああ……本来なら互いの了承を得る必要がある……」


 謎の声と会話するテトラ。


「血と魂を繋ぐ契約……それが『名付け』……能力ちからと糧との交換とは違う、自然に身を融かす行い……無垢故に恐れは無く、しかし無垢故に知らぬ……止めよ」


「……わかんない。テー、ダメだった?」


 今のこの状況がダメだ、テトラをダメとか吐かす奴がダメだ。


「おいおいおいおい? うちの天使に何囁いてくれちゃってんの? そういうのは面と向かって言うもんでしょ? とりあえず出てきてくれる? 俺の ずぶ濡れの件と合わせてお話しようじゃない?」


「レー?」


 うん、ちょっと溺れかけたせいかカチンと来ている。


 これが招待だと言うのならまた随分な招待もあったものだ。


 チンピラよろしく凄んでみせる。

 

 こういうのは最初が肝心だからね、最初が。


 ズルズルと何度も頼み事されても困るので、最初から大きく出る。


 詐欺の、違った、交渉の常套手段だろう。


 どうせまた小動物な見た目なんでしょ? というのは関係ない。


 言う時は言うってだけだ。


 タヌキか? カワウソか? なんなら狼ぐらいでも怖かないぞ。


「不思議なことを言う……既に目にしている……」


 もしかして『闇』そのものとか言わないよね? もっと目に見える配慮とかしてくれる? 精霊ってちょっと常識ないよね?


「いや、わっかんねぇって言ってんの? なに? なんならもう帰ってもいいんだよ? テトラさんスケジュールパンパンだから? 明日も朝から村長と次期村長との会食が入ってんだよ? うん?」


 嘘じゃない。


「レー、レー」


 うん、分かってるからテトラ、ただの朝食だね? でも嘘じゃないよね? 言い方だね? 


 グイグイと服を引いてくるテトラに『任せとけ』とジェスチャーを添えて胸を張る。


 口八丁なら大人に任せとけ、大丈夫だから。


「あんたらの世界じゃどうか知らんけど、人間の世界じゃ姿を見せるのが礼儀なんだよ、分かる?」


「……そうか……では――」


 言葉尻と共に縦揺れが襲ってきた。


 地震?! なんてタイミングで……。


 咄嗟にテトラを抱きかかえて地面に伏せる。


「おー」


 屋外で良かった!


 いつでも魔法を使える心持ちで揺れが収まるのを待つ。


 幸いにして揺れは直ぐに収まった。


「…………テトラ、怪我は?」


「ふふふ、ないよー」


 普段は地震になんて晒されないので危険度が分かっていないのだろう、楽しそうな表情だ。


 ……台風で家に籠もる子供がこんな感じなんだよなぁ。


 やれやれと、テトラを立たせながら水面にも目をやる。


 津波を警戒しての目配せだったのだが――――それどころじゃなくなった。


 水面が随分と遠くにいったのだ。


 ほんの少し前は手で届く位置だったというのに。


「これで……構わぬか……?」


 先程よりも明瞭に聞こえてきた声に体が震える。


「いや、これでって……どこに……」


 振り向いた先にあったのは――――巨大な眼だった。


 ――――闇の中に仄かに光る、白い体をした巨大な蛇の、金色の眼だった。


 陸地だと間違えて踏んづけているのは、どうやらこの蛇の体のようだ。


「……構わぬか……?」


「あ、はい…………大変結構です」


 もう結構です。


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