第77話
フワフワと宙に浮いている……。
いや。
まるでそこには地面があるとばかりに宙を転げ回っている不可思議な生命が、俺の方を見ては首を傾げている。
フンフンと臭いを嗅いで『うわっ、これヤベ?!』とばかりにコテンコロコロと古典を噛まし、再び俺の方を見るというループ具合。
芸人さんかな?
少なくとも絶対に猫ではあるまい。
あと俺は臭くないぞ! こっちに入浴という習慣がないだけで清潔にはしているし、サウナっぽい汗落としは毎日行ってるんだからな?!
一頻り『なんだろな? よく分からないな? もういいや』とジェスチャーよろしくナゴナゴしていた猫モドキだったが、区切りはついたとばかりに高度を落として穴の底へと戻っていく。
「待たんかい」
いやいいわけねぇだろ、見逃せるか?!
追い掛けるべく梯子に足を掛けて穴を降りる。
穴の底では、逃げるわけでもない物体エックスが……毛布を敷いた寝床の上で寛いでいた。
なんという実家感なのでしょう。
いや明らかに飼われている。
そして犯人も分かる。
迷宮入りだ。
…………いやいや、ははは……確かに子供って親に内緒で猫やら犬やら飼うもんなんだけどさぁ……。
いや待て。
まだ証拠不十分だから。
事件には証拠と動機が付き物だから。
そんな希望を持とうとする俺の目の前で、物体エックスは何処か既視感を覚えるクズ野菜入りの水を飲み始めた。
やめてくんない?
もうここが底の底みたいなもんなんだからさ。
更に突き落とそうとするの、やめてくんない?
量がバカにあるクズ野菜入りの水……もうクズ野菜に水を添えてるだけとも言えるそれを、物体エックスは美味しそうに口にしている。
さては諸悪の根源だな? 捨てっちまおう。
「レー?」
裁断の足音を響かせながら猫に迫る俺に、柔らかい声が投げ掛けられた。
横穴から体を覗かせているのは、ランプを手にした幼馴染。
テトラだ。
ここでターニャだったならまだ納得も出来たし説得も簡単だったとか思うのは失礼なのだろうか?
「テトラ……」
「あはは、レーだ!」
『わーい』とばかりに、手にしたランプを丁寧に床に置いて駆け寄ってくるテトラ。
悪びれる仕草が欠片もないんですけど?
ごっふ?!
「あぇ? レー?」
いつものスキンシップを図ってきたテトラに対し、受け止めるべく動いた体はしかし力が入っておらず。
敢え無く壁とサンドイッチ。
…………良い人生だったな、そう思うよ。
あ、テトラ、グイグイ押しちゃダメだ。
出ちゃうから、中身とか色々。
ここ一番と踏ん張りをみせて、テトラの体を持ち上げる。
振り回すスペースが無いので、グルグルは勘弁な。
「あはは、レーがいる!」
そうだよー、レーだよー?
テトラの笑顔が可愛過ぎてもうどうでもいいかな? そう考えたところで想像の中のターナーが角材を振り回した。
だよねぇ? 見逃せる事象を超えてるよねぇ?
テトラを確保したままズンズンと進み、猫のような何かの傍に降ろした。
「ミィー」
ご機嫌とばかりにテトラに纏わりつく物体エックス。
あれだ、色々と隠せ、この野郎。
それは発光する謎生命を嬉しそうに撫で返すテトラにも言えることかもしれないけど。
とりあえず、熱を持っていて触ると火傷するとかはないようだ。
残念、その路線での処分は見合わせねばなるまい。
さあ、どうしよう?
「テトラ……紹介してくれる?」
「う?」
とりあえずそれが何かを知りたいと思う。
っていうか、魔物じゃない?
もう魔物ってことでよくない?
俺の必殺魔法でナイナイしない?
「この子ねー、ミィーっていうんだよ」
「ミィー」
それは鳴き声なのか名前なのか。
テトラの呼び掛けに応えるように鳴き返す発光体。
ランプいらずでとっても便利。
言ってる場合じゃねぇな。
光る、浮く、鳴く。
…………異世界の猫ってば俺の常識を越えてくるんだから。
なんて現実逃避。
凄い楽しそうに猫を撫でているテトラを見ていると、それも致し方ないことだと思える。
いや…………それでも、これはちゃんと…………ちゃんと言っておかなくては……!
ギリギリで負けている理性を奮い立たせてテトラと向き合う。
「テトラ」
「あい!」
可愛い。
…………もうさ、猫だよ? 猫でいいだろ……。
しっかりしろと叱咤してくる本能。
脳内に味方がいない?!
しかしそれもテトラを思えばこそなのだろう。
今はまだ子猫にしか見えないモフモフだが……大きくなれば分からない。
それは危険性であってもそうだ。
ここで伝えておかなくては。
「テトラ…………それ、たぶん魔物……」
うん、間違いなく。
「う?」
俺の発言に驚いたような表情を浮かべるテトラ。
その視線が、手の内に収まる子猫に見える何かに向かう。
テトラだって魔物の危険性は分かっている。
なんせ森に囲まれたド田舎村に住んでいるのだ。
それはこの後の展開に関してもそうだろう。
…………泣いちゃうのかな?
しばし見つめ合う一人と一匹に申し訳無いという思いが募る。
言葉を交わしているわけではなかったが、対話は終わったとばかりにテトラの顔が上がる。
「ちがうよ?」
「ミィー」
首を傾げるテトラの顔は――――何故か確信に満ちていた。
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