第61話


 トレードマークだったアホ毛を失ったセミロングのアホが、能天気な笑みを浮かべながら手を振りつつ近付いてくる。


 天真爛漫という言葉がよく似合う少女だった。


 健康的な魅力とでも言えばいいのか、日焼けした肌にスラリとした肢体、人好きする笑顔は明るく、活発な雰囲気を漂わせている。


 こちらは半袖にショートパンツという、如何にもな装いだ。


 お外で遊ぶ勢の紅一点。


 身長が俺を追い越してしまわれたアン様のご登場である。


 大丈夫……俺の成長期はこれからだから……子供の頃の身長差なんて将来を彩るスパイスにすぎないから…………ターニャにはまだギリ勝ってるから。


 むしろ八歳という時点での背の高さは俺の方が上だからして?


 アンは俺達の近くまで走り寄ると、その快活な笑みを――――小悪魔的なものに変えた。


「おー、レンもいるじゃ〜ん。……小さくて見えなかったよ、キシシ」


 こいつ!


 身長を追い越したことが明らかになった辺りから、こいつは俺のイジり方を覚えてしまった。


 どちらかと言えばイジられるキャラだっただけに、こんなちょっとした遣り取りが楽しいのだろう。


 ハハハ、しかし俺も大人さ? こんな安い挑発に乗ったりはしない…………こともない。


 マジで覚えとけよ? もう知らんからな?


 男子に身長のイジりを入れたら戦争と決まってるんですよ、いつの世も!


 乗らいでか!


「いや、今はモモちゃん抱えてるから。背筋を伸ばしたら今の倍は固いから」


「あたしもピンとしたら凄いよ!」


 今胸の話してないから


 しかもターニャよりはでしょう?


「この前測った時から拳一個分は伸びたから。もうアンの方が低いから」


「そんなことないよ! じゃあ比べようよ!」


「ハハハ、アンの目は節穴だなぁ。どっちが勝ってるかなんて比べるまでもないのに……」


「あ、また逃げるの? 逃げるんだ?」


 時期を図ってるだけだわ?! 盗難の風を待ってんの! 誰か! 早く! あいつから身長を奪って! どこぞの三代目の方ぁ?!


「これは逃げてるわけじゃない。戦略的撤退だよ!」


 よくある!


「畑作業ばっかやってるからそんなんになるんだよー。ずーっと腰曲げてるから…………ちーび」


 あ、こいつ勘弁ならねぇ。


「謝って! 全国の農作業者と俺に! 今すぐ謝って?!」


「アハハ! 怒った怒ったー、レーンが、怒った〜」


 おおお怒ってないしぃ?! おおお怒るようなこここ子供でもないしぃ?!


 ヒラリヒラリと踊るように距離を取るアホ娘。


 挑発してんのか? そうなんだな?


 ちょっとターニャ、モモちゃん預かって。なんで首を横に振るの? ケニアはなんで楽しそうに笑ってんの?


「あーぶ」


 モモちゃん……今だけ、今だけでいいから手を離して、お願い? さっきまで脱走しようとしてたじゃん? なんで今は『離すもんか!』とばかりに踏ん張ってんの? なんで服に噛み付いてんの?


 あ、これ踏ん張ってるわ、違う意味で。


「ターナー、モモちゃんトイレだ」


「……そう」


 あれ? 土の魔晶石は? 替えのオムツは? 持ってるんでしょ?


 しかしターニャは――よく見なくとも手ぶらで……そんなに長いこと妹を連れ出すつもりがなかったことが窺えた。


 ……意地っ張りめ。


 トイレ宣言に慌て始めたのは実の姉以外の女子だった。


「え? え? トイレっておしっこなの?! た、大変! どうすればいいの?! 売店で借りる? あたし借りてこようか?!」


 落ち着けケニア、お前が借りてどうする、しかも物理的に持ってくるジェスチャーになってるから。


「モモちゃんトイレ我慢してたの?! ご、ごめんね? ごめんね? あ、あああたしそういうの分かんなくて?!」


 ギルティ、お前だけは許さない。


 しかし子供のトイレに反応するようになったあたり、この二人も成長してるんだなぁ……。


 小屋でテトラが散々してたじゃん。


 まあガチ無視してたけど。


 俺も気を遣って、ユノと二人で部屋の端っこの方で処理してたから、二人がイマイチ記憶にないのも仕方ないけど。


 ここから自宅まで帰るのは面倒なので、早いとこターニャの家に行こう。


 ……もう誰も出てこないよね? テッドとチャノスは、からの予定が決まってるし……。


 いや……ユノあたりとか怖くないか? なんかひょっこり出てくるイメージあるよな、あのお姉さん。


 しかし俺の心配を余所に、何事もなくターニャ家に着いた。


 ターニャが、美人だけど胸は無い母親と親子の会話をしている間、俺は何故か手慣れてしまったオムツの交換をすることになった。


 …………結局こうなるんだよ、分かってた。


「あ、ふーん、へー? レン、上手いね?」


「レンはテトラのオムツも換えてたじゃない。得意なのよ。きっと」


 違うから、必要に迫られた技術だから。


 キャイキャイとご機嫌なモモちゃんをあやしつつオムツを交換する俺の隣りで、キャイキャイと騒ぎながらそれを見届けるアンとケニア。


 せめて手伝おうとか思わない?


 ちなみに、異世界のオムツ交換は物凄く簡単だ。


 これが正解なのかは知らないが……土の魔晶石の欠片を糞尿に掛けて土へと変えるだけである。


 ただ尿には反応しないのでオムツを換えて洗う必要はあるが、臭いやその後の処理に困ることはない。


 ……ほんと、要所要所で便利だから困るよな、異世界。


 俺が淡々と新しいオムツをモモちゃんに巻いていると、アンが思い出したとばかりにケニアへと顔を向けた。


「あ、ケニア今日来るんだったっけ?」


「うん。ちょっと見学にね」


「ケニアも参加すればいいのに」


「あたしには無理よ。もう付いてけないもん」


「そんなことないけどなー? テッドもチャノスも、偶には違う相手としたいって言ってたし」


「アンがいるじゃない」


「あたしは結構参加してるから。……あ! そだ。――――ねえレン?」


 ちょっとオムツ換えるのに忙しいから。


 俺は会話を避けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る