第54話
ここでの毛玉野郎復活は絶対にマズい。
敵の中で唯一、両強化魔法の三倍が必要な奴なのだ。
本来なら立ち上がることも出来ない重傷で、心配することすら意味がないのかもしれない。
――――しかし異世界。
回復魔法なんてものが存在する。
もしくは俺の知らない『
でなきゃ、なんで味方を攻撃しているのかの説明がつかない。
毛玉野郎は重傷だ。
腕は折れ、足は折れ、ボロボロに壊れた鎧の残骸をへばりつけ、野球ボールのような飛び方で木にぶつかったのだから。
生きているのが不思議なぐらいだろう。
しかしその生存の確かさは、大きく上下する胸からも判別が出来た。
ただもう動くことはあるまいと放置を決め込んでいた。
蔓で縛ることもない、と。
とことん裏目に出る。
しかも、この包囲網の唯一の穴が、傷顔が立っている方向に空いている。
――――まずは蔓を、いや遅いか? 強化で? 先に距離を、ああ魔法か?!
納得と混乱が判断の遅れを生んでしまう。
その僅かな時間が――――奴の次にする行動を許した。
傷顔の男は手にした剣で――――――――毛玉野郎を突き刺した。
「……………………は?」
…………なにして……?
「……やはりな」
毛玉野郎の上下していた胸が動きを止める。
しかし傷顔の男はそれを一顧だにすることなく、観察するような目で――――恐ろしく冷たく無機質な瞳で、俺を見ていた。
俺だけを見ていた。
心配は無意味なものとなった。
重傷者から死者へと変えられた毛玉野郎が、俺の心を捉えて離さない。
恐らくは、この騒動での初めての死者となった。
ドゥブル爺さんでも、エノクやマッシでもなく…………。
混乱と動揺、気怠さと気持ち悪さ、体の外の痛みと内の痛みが――――堰を切ったように襲い掛かってきた。
何かの糸が切れた――――そんな気分だった。
――――北東へと。
ター――――
気付いたら走り出していた。
既にガンガンと響くまでになった頭痛を歯を食いしばって耐えながら。
魔力は二割を割った。
直感に間違いはないようだ。
肉体強化を掛けずに身体能力強化だけで走る――――しかし追い付けない。
――速ぇ! 純粋に森の歩き方で負けてる!
しかも速度もそんなに遜色がないように思える。
切れやすい葉や伸びた枝が体へと当たるのに構わず追い掛ける。
ある程度は蔓が防いでくれている。
最高かよ『木』属性。
「ハッ……ハァ……!」
肉体強化で体力を補っていたのか、息が上がるようになった。
このままではマズい。
……っ、離される!
追い掛けられていると分かっているのだろう、チラリと振り返った傷顔の――――酷薄な瞳と目が合った。
毛玉野郎にもあった冷たさだ。
傷顔の手にした剣から毛玉野郎の血が滴る。
森が血で汚れていく。
――――傷顔があそこに到達したらどうなる?
想像は容易についた。
命を奪った兇刃が幼馴染に向けられるのだ――――
――――させる、わけがない。
再び静止した時間の中に潜り込んで、凶敵との距離を詰める。
頭痛は既に引き攣るような痛みまで連れてきていた。
『もう休め』と全身が訴えている。
後は無い。
速攻で――――決め、なければ!
すれ違い様に一撃。
決着は――――つかなかった。
この静止した時間の中で、スローモーションのような速度で動いていたことにも驚嘆に値するが――――こちらの一撃を受け切ったことに比べればその驚きも小さい。
確かな反動が拳が潰れたと教えてくれる。
拳の痛みが、
……だからってなあ!
魔法を解いたのは――――奴の進路を塞いでからだった。
行かせるわけにはいかなかった。
…………効いてないのか?
渾身の一撃を鎧の上から叩きつけた筈なのに、罅一つ入ってない。
衝撃もなかったのか、平然とした面だ。
随分と対象的ですね……。
痛みと疲れでうごうごと動く蔓の塊を前に、未だ冷静さを保っている傷顔が呟く。
「……素晴らしいな」
何がだよ?
首を傾けるような動作をしてしまったせいか、傷顔の言葉が続く。
「――――やはり知性があるな? しかもある程度は喋れるようだ……」
…………え、まあ? 人間ですから?
「しかし幼生体か……惜しいな」
あれ? バレたとかなって思ってたんだけど、これまだ魔物だと思われてるね?
まあ、どっちでもいいか……。
魔力は、残り一割ちょい。
……いけるかな?
次の一手に迷う俺を余所に、傷顔が懐から欠けた十字架を取り出した。
「アミュレットも潰したか…………益々惜しい」
アミュレット? 潰した? …………ダメだ、頭回んねぇ。
「しかし作戦は終了した。これより帰還する。――――邪魔をするな」
お前らが俺のスローライフの邪魔すんじゃねぇや。
ただで帰すと思ってんのか?
粋がるチンピラのような心持ちで、なんとか心を奮い立たせようとしているのだが……怠さが段々と増していく。
緊迫した状況だというのに――――ちょっと眠りたいような…………。
このまま倒れてしまいたい、という誘惑に抗って体を揺すっていると、傷顔の男が再び懐へと手を入れた。
この冷静さに腹が立つ。
…………ぶん殴ってやる。
「『火』を使うということは……『火』に耐性があるな。『木』の弱点を消そうと掛け合わせたか……。好都合。お前は無事に済むかもしれん。が、しかし――――縄張りは無事じゃ済まないだろう」
……なに言ってんだ?
したり顔の説明を、距離を測られているとも知らずに聞き入ってしまった。
戦闘経験の差というものは意外に大きいのだと――――後々になって反省することになる。
常に後手。
故に――――相手のペースで物事が進む。
殴ると決めた時に殴れば良かったのだ。
傷顔の男は懐から取り出した袋から、何かをバラ撒いた。
無造作に。
絶妙のタイミングで。
それはキラキラと紅く――――
「必死で消すといい」
森の一角から爆炎が上がった。
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