第21話


 うちの村の悪癖に、愛称が付くと本名を呼ばれなくなる、というのがある。


 分かる、分かるよ? 実害にあってるから。


 ターニャが本名なんだとか。


 でも愛称の方が長いってどうなの? あと性別を考えられてないってどうなの?


 はいはい、俺が悪い、俺が悪いんですよ〜。


 不貞腐れながら服をゴシゴシする。


 ターニャとは――特に何もありはしない。


 そりゃあそうだよ、勿論さ。


 よく考えてみて欲しい。


 五歳なのだ。


 それで男女の云々なんて言い出す奴は病気だから。


 ……うん、まあ、とはいえ五歳児だってプライバシーってものがあるだろう、とは思う。


 恥を覚えた時から女の子はレディ。


 ハッキリ分かんだね。


 ただ開き直って素っ裸のまま角材で魚を取ろうとしている奴がレディなのかどうか……は、置いておくとして。


 一応謝罪はしておいた。


 謝罪なんて既に山のようにしているけど。


 今更それが一つ増えたところで何だと言うのかってのはあるけど。


 ……マジかぁ…………ターニャちゃん……でしたかぁ……。


 他の幼馴染達は知っていたのだろうか?


 少なくともケニアは知っていた筈。


 お隣さんらしいし、いつも一緒にいるし。


 ただテッドやチャノスは怪しいと思うんだ。


 テトラはいいんだよ可愛いから。


 アンはアホ。


 そしてここにいるのが大バカ野郎ですよ……と。


 木の実の汁で、服に染み込んでいた血がみるみる落ちていく。


 そりゃ洗剤が開発されない筈だよ、どう見てもこっちの方が便利だもん。


 その代わり染色された物が高価だという不条理。


 より便利な物が開発されると今までその分野で活躍していた人が職を失うことがあるというが、最初から最高値に近い代替品があると発展すらしないものなんだなと思う。


 洗濯は未だに手揉みなのだ。


 すっかりと元の色に戻った服を見て、豊富だった洗剤の種類や便利な機能の付いた洗濯機が思い出された。


 それがこの絞りカスとなった木の実一つで代用できるというのだから……ファンタジーって理不尽。


 …………ルミノール反応まで消えたりしないだろうな?


 洗い終わった服を絞りながら物騒な考えも水に流すことにした。


 さて、洗濯は終わった、色んな意味で。


 口裏合わせの時間だ。


 大体のカバーストーリーは考えている。


 あとはターニャが頷くかどうかに掛かっているんだが……。


 ザブザブと、傍目には川遊びを楽しんでいるように見える女の子が一人。


 やや野性的過ぎるけど。


 ヤケクソな訳じゃないよね? 怒ってないよね?


 角材で水面を叩く真剣な姿が怖い。


 ……あれ? もしかして本当に魚を狙っているのだろうか?


 …………そういえば、小腹が空いたとか言っていたような……いないような……。


 時刻はお昼をとっくに過ぎている。


 もしかしなくとも腹ペコなのかもしれない。


 そういうフィルターを通してみたら…………ダメだ、やっぱり野性児にしか見えねぇよ。


 しかし点数稼ぎ出来そうな予感。


 魚は『水』で解決できるだろう。


 少しでも心象をよくしておくために、ここは一つ賄賂でも送っておこうじゃないか。


「おーい、ターナー。魚食べ……早っ?!」


 恥じらいはどこへやったのか、くっつかんばかりに走り寄ってきたターニャ。


 目が血走っている。


 本気でお腹が空いているらしい。


「……捕れるの?」


「お、おう。まず、服着ようぜ。ビショビショだけど。今日暑いし、そのうち乾くだろ」


 乾き切っていない服を、しかし躊躇なく着るターニャに、俺も続いた。


 日に焼けそうになる肌に、水を吸った服が気持ちいい。


 割と開き直れるのは子供だからだろうか?


 だとしたら、子供も悪くはないな……つって。


「魚」


「うん、分かったから」


 少しくらい浸らせて。


 裾を絞らないで。


 中々の握力を披露するターニャを余所に、俺は『水』の魔法を行使した。


 魚が泳いでいた辺りの川の水が持ち上がり、岸へと飛んでくる。


 バケツ三杯分ぐらい。


「あれ?」


 大した水量ではなく、魚も捕れてはいない。


「……魚」


「待って待って! ちょっと待ってて!」


 俺の予想だと、あの辺りの水を根刮ぎ抉るように取り出せる筈だったのだが?


 もしかして俺って『風』なんだろうか?


 なるほど、それなら説得力がある。


 ……だとしても恥ずかしさは変わらないが。


 何が「魚食べる?」なのか。


 余裕ぶって下手こく程、恥ずかしいことはない。


「よ、よし! 今度こそ!」


 気合を入れて魔法を発動。


 本気も本気、あの竜巻レベルの気合いを入れた!


 バケツ三杯分の水が飛んできた。


「……」


「あ、違う! 分かった! 待って!」


 何も分かってなどいないが、咄嗟の言い訳が口を衝く。


 よもやの落とし穴だ。


 割と万能だと思って検証を怠っていたツケがこんなところで来た。


 さすがにもう失敗は出来ない。


 アプローチを変える必要がある。


 使うのは『水』だ、そこに変更はない。


 ただ発動のイメージを変えて……。


 再び魔法を行使する。


 水面から水が上がる。


 岸まで届いたそれはアーチを描き、流れは生きているのか勢いのままに地面を濡らす。


 一方通行の水流に乗ってやってきた魚が、逃げ場の無い行き止まりで打ち上げられる。


 十匹も取ったところで魔法を解除。


 面目躍如といったところ。


「いやー、ごめんごめん。ウォーミングアップにちょっと時間掛かったわ! ハッハッハ……」


「……」


 幼馴染のジト目が痛い。


 いやターナーは元からこういう目なんだけど。


 ああ、ターニャちゃんでしたね。


 ピチピチと跳ねる魚に誘われたのか、手頃な魚を掴み取っていくターニャ。


 ようやく角材を手放したのが食料のためというのがなんとも……。


 色気より食い気の年齢だからね。


 手に持ちきれない程の魚を、服の裾を広げて確保したターニャが戻ってくる。


「焼こう」


「あ、はい」


 当然のように火を要求された。


 できると思われたのか、何も考えていないのか……。


 食欲に釣られているを推したい。


 この際だからと『火』を行使。


 なんの前触れもなく、地面から焚き火が噴き上がる。


 燃料も種火も無い焚き火ってなんかシュール。


「……すご


 あれ?! これで?


 今日初の驚きを示すターニャにこっちが驚く。


 まだビックリするところいっぱいあったよねぇ?!


 服も乾くしとターニャと共に手頃な枝に魚を刺して炙っていく。


 頃合いだろう。


 魚のことじゃないよ? これからのことだ。


 ……いや食後の方がいいかな? 大事だよな、満腹感。


「ねえ」


 なんだかんだと話すのを後回しにしていると、ターニャの方から声を掛けてきた。


 ……そりゃそうだよ。


 おかしいもんなぁ、色々と。


 五歳だって分かるさ、話を切り出すタイミングが無かったってだけで。


「なに?」


 色々と覚悟を決めて返事をすると、ターニャは真剣な瞳で俺を見つめて――


「喋り方、今の方がいいと思う」


 真剣な調子で……。


「なんだって?」


って言ってた。『俺』、の方がいいと思う」


 ……………………いやいやいやいや、言ってないよ?


 そんな油断する筈ないでしょ。


 確かに口調は少し荒っぽくなってたけど……少しね、少し。


 でもほら? 緊急時における精神的高揚から生み出される仕方ない荒さってやつで、やっべ、どっからガチめで喋ってました?


 森を行軍している間が無言だったせいか思い出せない。


 巧妙な罠だ。


「……気のせいだよ。は自分のことをそんなふうに言わない……」


「ナイショなの?」


「……」


 グイグイ来るやん、ターナーさん……。


 まさに今、そういう話をしようと思っていたんだけど、猫被りしている性格についてじゃないじゃんね?


 しかしここで否定しようものなら、このあとの話がややこしいことになりそうな予感……。


 パチパチと、地面から伸びる火に魚が炙られる。


 ジュッ、という油が焼ける音が沈黙に響く。


 誤魔化しようが無くね?


 後押しするようにターニャが訊いてくる。


「ナイショにする?」


「………………………………お願いします」


「わかった」


 の無くような声だったけれど、しかししっかりと聞き取ったターニャさんが力強く頷く。


「あー……それでですね? 諸々ナイショにするために、ご協力して欲しいことがございまして……」


「わかった」


 再び力強く頷くターニャに、俺は思った。


 ほんとに分かってんの? と。


 やけにあっさりと受け入れられた口裏合わせの提案に、不安が払拭されるどころか益々と増すことになった、長い長い昼下がりだった。


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