第21話 沈黙

 冬休みは終わり、全ての講義が最終回へと向かっていく。周りの学生ももう春休みのことや次の学年のことについて気にし始めている。とは言え、まだテストは終わっていない。いずみは今まで学んだことを再び脳内に詰め込み直し、テスト対策を整えていった。

 少し振り返ってみれば、いろんなことがあったのは確かだ。彩葉いろはに再会したことや、より深い仲になれたこと、それから大きな問題に直面して、喧嘩もして……考えてみるも、ほとんど彩葉が関わっていることばかりだった。多く友人がいた訳でもなく、教授と特別仲が良い訳でもなく。教室の隅で何となく講義を聞いている程度だったことを思うと、彩葉がいなかったらもっとずっとつまらない大学生になっていたのかもしれない。

 これから少しずつ終わっていくことも数多くある。講義はもちろん、今あるうすっぺらな友人関係も気付けば消えているのだろう。どうせそんな人たちと春休みに会う約束なんてしないし、来年度会ったとしても名前すら思い出せないだろう。そのくらいの、必要性すら感じない関係。

 窓に向けていた顔を、机の上に戻す。パソコンが嫌になるくらいの光を発している。夜に見たいとは思えない白。傍らに置いたメモ帳とにらめっこをして、レポートの題を考える。自分の書いたスカスカなレポートをもう一度読み直して、ため息を吐いて、それからまたメモ帳に目を移す。提出期限まであと数時間。もう十分近くも同じことを繰り返している。

 ――しかし、本当はレポートのことなど少しも考えていなかった。頭の中心にいるのはいつだって彩葉だ。

 一ヶ月くらい前はふたりで笑い合って、手を繋いでどこまででも行けるような気がしていた。それなのに、今はほとんど何もない。手を繋ぐなんてことは、ほとんどしなくなった。いずみが指を絡めればゆっくりそれに応えてくれるようだが、彩葉から手を寄せてくることはなくなってしまった。

 今も変わらず、講義のある水曜日は毎週会っているし、他の日にはたまに電話だってする。けれど、何かが違っている。笑って見えても、本当の笑みだとは感じられない。通話だって、沈黙が多くなった。テスト勉強をしながら話しているから仕方ないのかもしれない、最初はそう思っていた。しかしそうでもなさそうなのだ。考えるようなうなり声も、メモするための呟きも、何もない。本当に電波の向こう側に彩葉がいるのか疑問に思うほど。

 カフェに入っていく彩葉を見つけても、追いかけようとは思わなくなった。彩葉がブラックコーヒーを飲んでいるのを見て、心に波紋が広がるのを感じていた。デートなんてこともしなかった。冬休みが明けてからはふたりともテストに打ち込もう、という理由だったような気がするが、そんなものは後付けの理由にすぎないだろう。本当は……いずみは口内を強く噛んで、それ以上考えるのをやめた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。彩葉は何一つ変わらないのに。自分も、少しだって変わっていないはずなのに。

 あぁ、だけど、だからこそ――。

 いずみは、ふたりの間に流れる温度が変わりきってしまったことに気付いていた。

 炎のように熱く燃え上がっていたあの頃を思い出す。今や、窓の外と同じくらいの温度しかない。ふたりの間に降るのは、雨じゃなくて、雪になっていることだろう。

 いずみは小さくため息を吐いた。明日、最後の講義が気がかりでならないのだ。

 スマホには新着のメッセージがある。全文は見ずに伏せておいているが、悪い予感が絶えず背を這っているようで嫌だった。

『明日、テスト終わったら一緒に夕食行かない?』

 今の状況から考えて、これはただの誘いとは思えなかった。彩葉は、「恋人」という二文字を重く背負ったままのこの現状から、抜け出そうとしているのではないだろうか。別れよう、だとか、別れたい、だとか、そんな言葉を彩葉が言うのなら、いずみは笑顔で受け入れるつもりだった。今のふたりの在り方から見ても、このままずるずると「恋人」を引きずっていく訳にもいかないと思っていたのだ。

 頬杖をついていた腕から力が抜けていく。どうするべきなのか、いずみにはわからなかった。ただ全身から全てを保とうという力が失せていき、とうとう机に突っ伏してしまった。それでも、その瞳にたまった涙が落ちることはなかった。

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