第19話 留守電

 ベッドの上、いずみは毛布にくるまっていた。イヤホンをつけて、けれど音楽などは聴かずに、ただ雨音を再生する。ざあざあと思考を邪魔するようで、それが今は特別心地よかった。

 毛布から少し手を出してスマホを探すが、手に触れるのは紙切ればかり。手帳の残骸ざんがいだった。彩葉いろはが出て行ってから、いずみは感情に任せて全てのページを破り捨てた。記されている文字が見えなくなるまで細かくちぎり、そのままベッドの上に散らせた。息も絶え絶えそうしていた記憶が、うっすらといずみの脳内に残っていた。

 不思議と涙は出なかったが、自分の中心にあるものが何なのか、それはわからなかった。

 全部自分のせいで全部自分が悪い、そうは思えなかった。確かに重大な秘密を隠し持っていたのは事実で、それをもっと早く共有するべきだったのに、そうしなかった。言おうとしては何か理由をつけて逃げ、誤魔化ごまかしてきた。それが大きな原因であることを、いずみは理解していた。

 しかし、本当にそれだけだろうか。彩葉にも責任があるのではないか。どうして勝手に部屋を漁ったのか。どうして勝手に本棚を触ったのか。どうして見つけた手帳を勝手に読もうとしたのか。それがどうしても、許せなかった。

 彩葉に言えなかった秘密も、言える訳もない気持ちも、何もかも全てがそこに詰まっていた。自分の性を見つけられないなんて、そんな単純なことだけだったら素直に謝って正直に説明していただろうが、それだけではなかった。そこにはいずみの心の奥底に沈めておいた感情すら、書かれていたのだ。

 自分を理解して楽しそうに生きている人たちへの嫉妬。影島が犯した罪への怒り。何もわからない自分への憎しみと、嫌悪。それから――死にたいという思いまで。

 そんなもの書き起こすんじゃなかった。いずみは後悔の念に駆られる。首元に手を伸ばして、触れて……けれど何もできない。

 やっと左手が見つけ出したスマホを毛布に引き入れて、画面をつける。ロック画面に現れるのは、大きな黒いリボンのイラスト。彩葉のことを連想させるかわいらしい絵だと思って設定していたが、今はそれが胸を締め付ける。パスコードを入れて開くと、メッセージが届いているらしかったが、いずみはそれを無視して、この前彩葉に見せてもらった写真をファイルから探し出す。

 ――サボテン。教授が話していたものと全く同じ、クジャクサボテン。

 彩葉はあの狭い一室の端にそれを置いたらしい。そんなに大きくないものを買ったとは言っていたが、育てば百センチにも及ぶと言われているものだ。それを知っていて買ったのだろうか。彩葉なら店員の説明もろくに聞かず、直感で決めていそうなものだ。

 このサボテンの話をしたとき、彩葉は何と言っていたのだったか。確か、「あんまりにもいずみちゃんに似てたから、思わず買っちゃった」とかそんなことだったはずだ。これならいずみちゃん本人が近くにいなくても、一緒にいるみたいで心強いね、とも。

 いずみは思い切りため息を吐く。そんな風に言ってくれていた恋人に、酷い裏切りをしてしまった気分だった。

 そのまま何をするでもなくスマホをいじっていると、ボイスメッセージが残っているらしいことに気付いた。いつの間に電話が来ていたのだろうか、彩葉からだった。聞きたくない、けど聞きたい。再生しないといけない、でも嫌だ。

『――いずみちゃん、何も聞かずに出て行っちゃって、ごめん』

 ざらざらとした粒のような音声が耳に入ってくる。

『昨日一日考えたんだ。あのときどうしたら良かったのかな、これからどうしたらいいのかな、って』

 ふうっと、小さく息を吐く音が聞こえた。

『会いたい。いつでも良いから、いずみちゃんが良いときに会おう。それで、ちゃんと話そう』

 いずみは奥歯を強く噛んだ。

『いずみちゃんのこと、ちゃんと教えて欲しい……好きだから』

 勢いよく起き上がったいずみは、握ったままのスマホを険しい目つきで見つめていた。やがて観念したように画面をタップすると、メッセージを打ち込んで送信ボタンを押した。

「明日会いたい」

 ベッドの上に投げ捨てたスマホの画面は、暗い部屋に明るすぎる光をもたらす。

「家に来てくれたら嬉しい」

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