第14話 秘密

 おかえり、家族の声が聞こえていた。いずみはそれを無視して、まっすぐ自室へと向かう。

 確かに、彩葉いろはと二日間一緒にいられたのは嬉しいことだし、楽しかった。また遊びに行きたいが、次はうちに呼ぶのでもいいかもしれない。

 だが問題は別にある。どうして自分は――。

 いずみは、ぽすん、とベッドに座り込んだ。

 あのときどうして黙ってしまったのだろう。少年のおかげで言えなくなったことで、どうして安堵したのだろう。言うべきことから、また逃げてしまった。力なくその場に身体を横たえて、大きなため息を吐く。自分が嫌になる。

 誰から見ても、もちろん彩葉から見ても、ふたりは女の子同士の恋人だろう。それは決して間違ってはいない。生物学上はそれが正しいのだから、周りがそう思うのも無理はない。というか、そちらの方が自然だろう。

 彩葉は以前付き合っていた影島かげしまにつきまとわれ、男性を恐怖の対象としている。きっとそれが大きな影響を与え、いずみと「恋人」になることを決心させたはずだった。そうでなければ同性にキスされて応えてくれる訳がないのだから。いずみはそう思っていた。彩葉は「男」という存在を酷く嫌っているのだろう、とそう考えていた。

 ベッド近くの本棚の奥に隠していた黒い手帳を引っ張り出す。パラパラとめくって、ため息を吐く。そうして今の考えをまとめることもできないまま、それを書き足していく。ふたりでいるときはあんなにも幸せなのに、自分という現実を見つめれば見つめるほど、辛くなる、苦しくなる。

 ――いずみには自分の性がわからなかった。

 自分の身体は確かに女のそれであるとわかっている。成長していくごとにふっくらと丸い身体つきになっていくのが見て取れたし、腹の中に別の命を宿す装置が備わっていることも理解していた。それはわかっていたが、自分は女ではないと感じていたのだ。だからといって男かと問われれば、そういう訳でもない。

 ある日にはかっこいい男性アイドルにときめいて、ある日にはかわいらしい女優に心を惹かれる。どうして自分の身体が男ではないのだろうと絶望に打ちひしがれた夜もあったし、自分の裸体を見て何とも思わない日もあったし、自身の性が何なのかぐちゃぐちゃになって吐いたこともあった。周りは当然のように自分の性を理解している。当たり前のように異性に恋をしている。それなのに自分は、自分が何なのかすらわかっていない。男でもなければ、女でもない。

「彩葉は……」

 自分を嫌うだろうか。その言葉は、脳内に浮かんでも口にすることはできなかった。

 だからこそ高校時代、誰と関わることもしなかったのだ。いずみは思い出した。幼い頃から自分のことすら理解できずにいたいずみは、思春期の恋の話に同性の名をあげて気持ち悪がられたあの日から、他人との間に分厚い壁を築くことにしたのだった。普通は同性をそんな目で見たりはしない、普通はかっこいい男の子に恋をするんだよ、普通は……。自分が異常であるということは、あのときできた深い傷と共に刻まれている。

 それでも彩葉のことを一途に想い続けているのは、高校一年のとき、初めて話したときのあの笑顔が忘れられないからだ。彩葉は、いつでもクラスの中心部にいるような本物の女子高生だった。たまたま同じだった委員会で出会って、たまたま会話をする機会があって。友人に向けるのと全く同じようなその笑顔に、誰と接するときも変えないその態度に、衝撃を受けた。

 始まりは彩葉のその「女の子らしさ」への、一種の憧れだったのかもしれない。自分が「女の子」であると確信し、それを存分に謳歌している彼女への憧れ。彼女がどんな子でもいいから自分のものにしたい、と思うようになったのはその頃だったと記憶していた。

 彩葉は、数パーセントでも男という性が入っている自分を嫌がるだろうか。日によって男になる自分を嫌うだろうか。いずみにはそれが怖くてたまらなかった。

 ――と、電話が鳴った。画面を覗けば、「彩葉」の文字。

『あ、いずみちゃん? 何となく、電話かけたくなっちゃった』

 今は家にひとり、だろうか。いずみは心臓が冷えていくような感覚に顔をしかめた。何が原因なのか、問題が多すぎて何にもついて行けない。

 いずみが何も言わずにいると、そのまま彩葉は話を続ける。ひとりで、いつも通りに、楽しそうに、何かを話している。

「――いろは」

 それを遮って、いずみは弱々しく呼びかけた。

『ん?』

「……好きだよ」

 一瞬、彩葉はうろたえる。

『どうしたの、急に?』

「いや、やっぱり彩葉のこと好きだなぁ、って思って」

『……私も、いずみちゃんのこと好きだよ。誰よりも何よりもずぅっと、いずみちゃんが大好きだよ』

 誰か知らない人に心臓を握られているような気分だった。絞り出すようにありがとうと告げて、いずみは寝返りを打った。

 ふと視界に入った窓の外を眺めてみれば、綺麗な夕日が見える。誰かと一緒に悲しんでくれるはずの雨は、どうしていずみの涙を代弁してはくれないのだろう。瞬きをしたいずみの瞳から、ひとしずく流れ落ちた。

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