第13話 デート
荷物をまとめて、忘れ物がないかふたりで確認する。それからいずみはその大きなリュックを背負い、
「じゃあ、帰るね」
「うん」
「また、水曜日」
「うん……」
「明日も会えるかもしれないし」
「……うん」
「電話もするから」
「……」
いずみは恋人が悲しそうに俯くのを見ていられなかった。こんなにも寂しそうにしているのに、どうして自宅に帰らなくてはならないのか。ついに黙ってしまった彩葉を、そのまま置いていくことはできなかった。玄関の鍵を開けたまま、外に出ることができなかったのだ。
「いろは」
柔らかく呼びかける。それでも彩葉は下を向いたまま、動かない。いずみは、両手で彩葉の頬を包んだ。ふ、と上げられたその瞳は潤んでいる。一段分高さが違うのに、ふたりの目線は同じ直線上にある。
「やっぱり……ひとりには、なりたくない、かも」
やっと本心を口にした。
「じゃあ」
いずみは企むような笑みを見せる。
「デートする――?」
ふたりはそのまま手を繋いで外へ出た。目的も目的地も何もなく、ただ散歩に出た。
彩葉の家の近くをふらふらと歩き始めて、しばらく会話はなかった。少年少女の遊ぶ楽しげな声が住宅街の隙間を縫って聞こえて来たとき、やっと彩葉が口を開いた。
「いずみちゃん、ありがとね」
まっすぐ前を向いたまま、彩葉はそう言った。それが、いずみには、何だか誇らしくすらあった。昨日まで家から出ることも、家にひとりでいることも怖がっていた彼女が、こうして外で前を向いていることが、嬉しかったのだ。それがもし、本当の彩葉でなくとも、演技だったとしても。
「でも、ひとり暮らしなのにそんなことあったら、怖くて夜も眠れないよね」
「勇気出して家に呼んでみて、本当に良かった。ちょっと、楽になったかも」
「それは何より。嬉しい」
繋いだままの手に、いずみは少しだけ力を入れる。このまま離したりするもんかと、心の内で呟いた。
「で、どこ行こっか?」
「彩葉の方がこの辺り知ってるんでしょ、行きたいところ案内してよ」
「んー、困ったなぁ」
そのまま歩き回っていると、高校に隣接している公園が見えた。大学近くにあるのよりも、比較的新しいようだ。とは言え、全体的に錆び付いているところはそっくりだが。
「じゃ、ここでどう?」
「……公園好きだね」
ふたりは奥の方に並べられているベンチのひとつを選んで、座った。目の前には懐かしい遊具が揃っている。小規模なアスレチックや滑り台、ロープウェイ、小さな家型遊具、ジャングルジムにブランコまで。どれも遊んだことのあるものばかりで、何となく、この空間にいると幼い頃に戻ったように感じた。
ふたりが座って会話をしているうちに、近所の小学生と思しき男の子四人組が公園に入ってきた。ひとりは脇に汚れきったサッカーボールを抱えていて、その子を先頭に四人で遊具のない広いスペースに走って行った。
「小学生って元気だね。私もあんな風に遊びたいなぁ」
「混ざってきてもいいよ」
「私は良くても、たぶん、あの子たちは嫌でしょ」
「彩葉は良いんだ」
ふたりは笑い合う。この時間が永遠に続けば良い、いずみはそう思った。しかしそうも言っていられないことはわかっている。帰らなくちゃいけないときは来るし、それに、本当のことを言わなくちゃならないときも絶対に来る。そんな簡単なことは、いずみにはとっくにわかっていた。しかし今の彩葉にそれを言うべきかは、判断がつかなかった。昔付き合っていた男との問題があったというのだから。自分が
「あのさ、彩葉――」
それでもいつか言わなくてはいけないのだ、それならきっと早いほうが良い。いずみは口の中が急激に干上がっていくのを感じた。それなのに、握りしめた手のひらに汗が滲む。
「どうかしたの?」
不思議そうにいずみの顔を覗き込む彩葉。カシャッと音が鳴って、フィルターが変わったような気がした。いずみは視線を落とす。
「彩葉に、まだ、言えてないことが、あって……」
尻すぼみになってしまったその言葉は、彩葉に聞こえていたかは定かではない。覚悟の決まりきらないいずみは、そのまま黙り込んでしまった。真実を伝える恐怖に囚われてしまった。
「あっ、すみませーん」
少年の声と共に少し遠くからやってきたそのサッカーボールは、そんないずみを救うようだった。
「そのボール取ってくださーい!」
「おっけー! ちょっと待ってね!」
彩葉はすっと立ち上がると、足元に転がるボールを持ち上げ、軽く蹴って高く飛ばした。
「あ、ごめん、飛ばしすぎちゃった!」
四人の少年はボールを追いかけて走る。道路に出る直前でそれを仕留めて、嬉しそうに彩葉にお辞儀をしてから、大きく手を振った。彩葉もそれを見て、同じように振り返していた。いずみはそんな様子を見て思わず微笑んだが、それだけで、心に刺さったままの柔らかな棘が消えていくことはなかった。
「あ、えーっと、あれ? 何の話だったっけ」
偶然こんなことが起きるなんて、面白いこともあるものだ。だったら、それはまだ言うときではないということなのかもしれない。いずみはそう思うことにした。また、次の機会に打ち明ければ良い。まだ言わなくたって、ふたりの絆が壊れる訳ではない。だから、大丈夫。そう言い聞かせながら。
「何でもない、またそのうち」
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