第11話 弱さを自覚するという強さ

==針林しんりんダンジョン・三合目==



弱肉強食の世界を生き抜いてきたモンスターの赤い眼と、虚勢で笑ってみせた僕の視線が交差する。


僕は震える手で鞘から剣を引き抜いた。

しかし、ハイコボルトはそれよりも長い槍を装備している。


低級のモンスターに見合わない、美しい白銀の槍。

例え剣に自信があったとしても勝負にはならないだろう。



「上等だ……!」



僕は携えた剣を逆手に持ち替え、勢いよく駆けて来るハイコボルトに向け思い切り投げつけた。


ーーもちろん戦いを諦めたわけじゃない。その逆だ。


まだ経験のない近接戦闘を真正面から挑むほど僕だって馬鹿じゃない。

特にヤツは明らかな上位個体。


一方の僕はといえば、モンスターを倒した経験値で基礎能力が上がっているとはいえまだまだ未知数の冒険者見習いだ。


ーーだからこそ、今出来る最善策を選ぶ。


強敵との対峙によって研ぎ澄まされた感覚が条件反射的に僕を敗走ではなく勝利へと突き動かしていた。


先刻の自暴自棄にも見える投擲とうてきの狙いはヤツを“一瞬でも足止めする”こと。


たとえ剣を避けても、長槍で弾き飛ばしたとしても、最高速度を維持したまま迫り来ることは難しいだろう。


そしてーーその狙い通り剣を弾き飛ばしたハイコボルトは予想以上に体勢を崩し速度を落とした。


僕はその隙に距離を取り、すかさず「雷撃」を浴びせかける。

もはや見慣れたであろう魔法陣の生成にヤツも気づかない訳はなく「またか」と言わんばかりに軽やかなバックステップで退避。


両者の間に凶々まがまがしい雷撃の柱がそびえ立つ。

今回は位置が手前側過ぎてコボルトの一匹を掠めとることも出来はしなかった。


ーーが、大丈夫。魔力にはまだ余裕がある。


やがて収まる雷鳴、終息してゆく赤黒い閃光。

開けた視界の中で再び得物をとらえようとしたハイコボルトの赤眼に僕の姿は映らない。


ーーそう、さっきの雷撃はただの“目くらまし”だ。


僕が放つ雷撃の効果範囲は広く、そして効果持続時間は長い。

適切な距離で使えば視界をさえぎる手段ともなる。


剣を投げたあと、僕は折り重なった倒木の影に飛び込んで身を隠すことに成功。

今はダメージを承知で“あえて針のむしろに潜伏する”ことを選んだ。そしてーー



「雷撃」



僕は出来る限り“群れの後方”を狙って雷撃を放つ。


予想外の出来事に狼狽うろたえる人狼のモンスター達。

先頭のハイコボルトも群れの方を振り返り、見失った獲物ぼくを血眼で探している。


ーー狙い通り、これでヤツは完全に僕を見失った。


定点魔法である雷撃は避けられやすいという欠点を持つが、同時に“どこから撃ったのか分からない”という強みも兼ね備えている。


つまり、隠れてさえしまえば“何度でも”敵におびやかされることなく“一方的に攻撃”する事が可能だ。


僕は高鳴る気持ちと鼓動を抑えつつ、息をひそめて「雷撃」の詠唱を続ける。



「雷撃……」



凄まじい雷鳴とともに次々と数を減らしていくコボルトの群れ。

この轟音と焦げた血肉の匂いにさらされては自慢の耳や鼻も充分に機能しないはず。


今はどれだけ卑怯と罵られてもかまわない。

これが生きるため、勝ち残るための最善策だ。


終わりの無い雷撃の猛攻に、たまらず四散し逃げ惑うコボルト達。無数にも思えた狼のモンスター達の殆どが深い森の中へと姿を消してゆく。


ーー残すはくだんの強敵のみ。


ただ一匹残されたヤツは見るからに狼狽うろたえ、全身で怒りを露わにしている。槍を振り回し、奇声を上げ、地団駄じだんだを踏むさまはまるで幼子おさなごのよう。


先ほどまでの貫禄は見る影もない。

対して、僕は自分でも驚くほど冷静だった。


ーーあと三歩。


明後日の方向を警戒している背中があとずさりで近づいてくる。


ーーあと二歩。


あてもなく、なりふりかまわず槍を振り回すハイコボルト。


ーーあと一歩。


その屈強な下肢が焼け落ちた木の枝を踏み、一瞬ながら体勢を崩す。

そして、こちらに気づくこともないままヤツは死地へと足を踏み入れた。そこへすかさずーー



「雷撃!」



僕はかの“獲物モンスター”を中心に魔法陣を形成。

時間を置いて再び標的となれば、その効果範囲から抜け出すのは容易ではないはず。


しかしーー



「う……嘘だろ!」



ヤツはそれ以上に上手うわてだった。

魔法陣を認識するとともに長槍を地に突き刺し、それを支点とすることで効果範囲外へ“高跳び”したのだ。


流石は上位モンスターと言うべきか。

例え冷静さを失おうとも、戦闘面ではハイコボルトの方にがあった。


ーーしかしながら、奴はそこで槍を手放した。


それは僕の臆病で姑息な戦略がハイコボルトの戦術を凌駕りょうがした瞬間でもあった。


獲物ぼくを見失い、得物ながやりを失い、ヤツは完全に無防備な背中をこちらにさらけ出したのである。


ーーこれ以上のチャンスはない。



「そこだぁあああああ!」



言葉より先に、むしろ意識より先に、僕の身体はハイコボルトに向かって走り出していた。

自分自身の全身全霊、最大加速値ーーそして戦いの中でさらに強くなった僕の全速力を出し切る。


今までの自分では考えられない速さ。

周りの景色が止まっているように錯覚するほど。


ーーまるで風にでもなったみたいだ。


荒ぶる肉体とは対照的に研ぎ澄まされていく精神。

数刻前に投擲とうてきした僕の剣がヤツの足下に落ちているのは折り込み済みだ。


僕は瞬時に剣を拾い、ハイコボルトに背後から切り掛かる。


その斬撃は自分の想像をも遥かに上回るスピードと威力だった。

ヤツの真っ赤に充血し切った双眸そうぼうが僕をとらえるより速く、その痩せた首筋に剣がめり込む。


そのまま身体を斜めに両断する勢いだったが、とっさの機転を効かせたハイコボルトは斬撃を受け流すように回転しながら宙を舞い左肩から先を失いながらも地に足をつけた。


ーーくそっ、すぐにもう一撃っ!


振り下ろされた剣をすかさず振り上げ、一歩踏み出そうとしたその時、頭の中で不思議な声が響き渡る。



<<まだその時ではない>>



突然の警告に焦りながらも咄嗟とっさに出しかけた足を引っ込めれば、回転の遠心力を利用した鋭い蹴りが僕の眼前を横切った。


ーー危ない……そのまま前に出ていればやられていた。


両者、崩れた体勢を瞬時に立て直し睨み合う。


その間、約一秒。


まるで時が止まったかのような静寂が訪れる。


ーー次の一撃で勝負が決まる。


左腕を失い満身創痍のハイコボルトはなりふり構わず決死の突撃を仕掛けてきた。



「ーーーーッ」



けたたましい怒声とともに襲いくる姿は先刻までの知性を感じさせない獣そのもの。

僕も真正面からぶつかる覚悟を見せ、咆哮ほうこうとともに大地を蹴った。



「うぉおおおおおおっ!」



もはや恐れはない。

肉体の成長に精神が追いついていくのを本能で理解する。


ーーいける! 勝てる! 僕はまだ強くなれる!


その時ニア・ヴァルトールがこの場にいる誰よりも冷静に的確に状況を判断出来ていた。自らの“弱さ”を誰より理解していた。勝敗を分けたのはただそれだけのこと。


目の前に迫り来るハイコボルトの爪牙、逆上した手負いの敵に対して取る手段は一つ。


ーー悪いけど正面からやり合うつもりは毛頭無い!


僕はぶつかり合う直前にヤツの失った“左腕側”へ瞬時に飛び出し、攻撃をかわすことだけに全力を尽くす。


洗練されたハイコボルトの動きをもってしても、その右腕から繰り出された爪牙は少し遅れて僕の背後で空を切るばかり。


渾身の一撃をかわされたそのモンスターは体勢を崩し、鋭い眼光だけをこちらへ向ける。

対する僕はそのまま全速力で駆け抜けて“足下に広がる魔法陣”から間一髪かんいっぱつ抜け出した。



「いけぇえええええ!」



対峙する一秒の中で、その詠唱を僕は既に終えていた。

僕の背後で立ち昇る“緋色の雷撃”の詠唱を。


勢いを殺せないまま地面に転がる僕、爪牙と魔力だけを残して雷光に消えゆくかつての強敵。


此度こたび、勝利の女神は見習い冒険者ニア・ヴァルトールに軍配を上げた。

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